「異形の家」に生まれ落ちた太郎。「漫画」に革命をもたらした人気漫画家の父・一平と、子供をまったくかまわない母かの子。弟と妹は2歳で死去。「天才教育」もなにもなく、「世間的愛情」が欠けた岡本家には子供の居場所はなかった。「不登校児」となって小学校を何度も変わり、「太陽」だけが唯一の話し相手、「太陽は身内だ」と言う孤独な少年だった。

岡本太郎―岡本敏子が語るはじめての太郎伝記 「『自分探し』なんて言葉が流行っているけれど、おかしな言葉ね。今ある自分以外の自分なんて、どこにもないのに。自分が生きづらいことを、親がこうだったから、ああだったからと、親のせいにする人も多いでし…

「映画」と「絵画」ーデイヴィッド・リンチのなかに生えている大きな「根」の源流にあるもの。小さい頃から絵を描くのが好きだった。庭に「発見」した生命の活気と死。米国農務省所属の研究者の父は、樹木の病気や昆虫に関するさまざま実験をしていた。14歳の時、「絵」に向って突っ走り出した

デイヴィッド・リンチ 改訂増補版 (映画作家が自身を語る) はじめに:「夢」のこと 映画『ツイン・ピークス』や『ブルー・ベルベッド』、そして『イレイザー・ヘッド』『エレファント・マン』から『ロスト・ハイウェイ』にいたるまで、映画監督デイヴィッド…

「聴く」から「歌う」への変化の時代。1970年代初期、時をおなじくし複数の人たちが”発明”していた「カラオケ」。楽器の教則本を売るバンドマンだった男がなぜ「カラオケ」をビジネス化することができたのか。アイデアマンだった父と商売熱心な母から少年期に体得していた商売センス

カラオケを発明した男誰もが手軽に歌え楽しめる「カラオケ」を”発明”し(ビジネス化)、1999年8月23日号の「タイム」誌で、「20世紀で最も影響力のあったアジアの20人」(日本人は、他に昭和天皇、豊田英二、黒澤明、盛田昭夫、三宅一生。他国では、ガンジ…

「私は人間などではない。私はウサギなのだ」と語り、蜜蝋や脂肪、フェルトなど「素材」に関心を向け、はたまた『自由国際大学』開設、『緑の党』結党にも関与したヨーゼフ・ボイス。生まれ育った土地の「自然」との深い関係。「自然を観察」することを教えた母。少年時代、家で「動物園」をつくり「植物コレクション」は周囲を驚かせた。ゴムナジウム時代、旅回りサーカス団の虜になって姿を消していた

ボイスから始まる (五柳叢書) 「芸術教育はすべての学科に含まれなければならない。つまり基本的なことを多く学ぶ小学校が特に重要なのだ、という考えを何度も表明している。ボイスは『成長を前もって準備することができるならば』、思春期の成長をより高次…

絹織物業者であり「画商」でもあった父。実家でもある宿屋「メーヘレン」には、デルフトの名立たる画家たちが画商の父と交渉するため訪れていた。家のすぐ裏手にあった「素描学校」。『真珠の耳飾りの少女』の少女と東方海洋貿易の中心地デルフトとの関係

フェルメール ――謎めいた生涯と全作品 Kadokawa Art Selection (角川文庫)フェルメールといえば、レンブラント、ゴッホと並び今やオランダを代表する画家である。2012年初夏に、『真珠の耳飾りの少女』(制作1665年頃)が来日し、各メディアでも大いに話題に…

美術家だった父・岡本唐貴は、「日本プロレタリア美術家同盟」に参加、三平が誕生した時、特高警察に検挙、投獄中。若き黒澤明に絵を教える。警察の監視から逃れ被差別部落や在日朝鮮人集落周辺に住む。長野・真田村への疎開。そこで村の記憶である真田一族の歴史を知る。「赤本」や「立川文庫」を読む。『カムイ伝』の原点の自然を知る

「優れた芸術家の生涯を眺めていくと、その人物を形成してきたものが本人の一代だけの努力と習練だけではなく、先行する世代から長い時間を通して蓄積されてきた知的・芸術的体験であることが、しばしば理解されてくるときがある。芸術家を父親とした息子や…

江戸後期から種苗業で繁盛した草間家は地元の美術科のパトロン。祖父も父も芸者遊びに狂う。家の中はメチャクチャで両親は喧嘩ばかり、水玉模様や網模様は、幼少期に「心の病(「非定型精神病」)」あらわれた「幻視」だった。10歳の頃に描いた「母の肖像画」に無数の水玉模様を描き込んだ

無限の網 草間彌生自伝 (新潮文庫) 「物心つく頃から私の視覚や聴覚や心の襞には、自然界や宇宙、人間や血や花やその他さまざまなことが、不思議や怖れや神秘的な出来事として強烈に焼きついて、私の生命のすべてを虜にして離さなかった。そして、しばしばこ…

ポール・ボウルズが作曲家であり、作家となった根っこにあるもの。幼年期に「地名」づくり「時刻表」づくりをはじめ、小学生の時には鉛筆とクレヨンで4ページの『新聞』を毎日発行。最も影響を受けたのは祖父は一日中「読書」をしていた。8歳の時にピアノをならわされ、レコード・音楽好きに

ポール・ボウルズの告白〜シェタリング・スカイを書いた男〜 [DVD]止まることなく—ポール・ボウルズ自伝 (ポール・ボウルズ作品集)坂本龍一が映画音楽を担当した映画『シェリタリング・スカイ』(監督ベルナルド・ベルトリッチ)の原作となった小説(『極地…

教育第一の母さきは、若い頃「商才」にたけた頭の回転の早い女性だった。義太夫語りのアイドル、芸名「竹本八重子」の祖母・北野うしは、たけしの芸能のルーツ。長兄は戦後GHQの通訳、ペーパーバックが積まれていた家。当時足立区の北野家の近所は、下町の職人街。たけし映画に登場する「ヤクザ」は、近所にあった「ヤクザの事務所」の影響があった

Kitano par Kitano 北野武による「たけし」http://youtu.be/vW7XssMTNy8:フランス人作家による伝記『北野武による「たけし」』インタビュー 「オフクロは教育に対して、信仰にも似た独特な考えを持っていました。貧乏の悪循環を断ち切るには教育しかない、…

キース・リチャーズ自伝『ライフ』に記されていたこと。父方の祖父と祖母は、なんとイギリスの労働党の創設にかかわった人物だった。市長になった祖母は児童福祉制度を創案したり、イギリス社会の「改革者」だった。音楽好きで自由奔放な母方の一族。13

2011年に刊行されたキース・リチャーズ自伝『ライフ』は、「サティスファクション」や「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の様に脳天に突き刺さってくる自伝である。それまでに刊行されていたキース・リチャーズ伝記本では、関連する記述はあるものの…

代議士だった父との接触はほとんどなく、父の「伝記」を読んで父のことを知った安吾少年。小学校にあがる前から新聞を読み、「講談」を読みだしていた。父は新潟新聞の社長にもなる。「切なさ」は幼少期の頃にすでにはじまっていた。憎み合う関係だった母とは、後に命をすてるほど母を愛すように

風と光と二十の私と (講談社文芸文庫) 「8歳の時、母は安吾に手を焼き、『お前は私の子供ではない、貰い子だ』と言った。そのときの私の嬉しかったこと。この鬼婆アの子供ではなかった、という発見は私の胸をふくらませ、私は一人のとき、そして寝床へはい…

熊野信仰の中心地・新宮市の「春日地区」とはどんなところだったのか。そこにある「路地」を描きつづけた理由。小説『枯木灘』『鳳仙花』『千年の愉楽』などには、実在のモデルが存在していた。父は盛り場のアウトローとして名を馳せていた

「春日町の、汽車が通る度に汽笛が家の中にいっおあいに飛び込んでくる線路そばに生まれ、そこできょうだいらと小学二年生まで住んだので、春日という土地がなつかしくてたまらぬ。愛おしくてならぬ。小説家としてデビューしていらい、小説のことごとくをこ…

森山家は、江戸の幕府直轄地・石見銀山の領地の村(島根宅野)につながっている。両親とも大学出で、「小説」や「短歌」好き、家の本棚にあった多くの本。大道少年は根っからの「本」好きな少年となっていった。生命保険会社勤めの父と7校にもなった小中学校の転校先。大阪・岩宮武二写真スタジオでなく、すでに13歳の時、玩具のカメラで可愛がっていた「犬」を撮っていた大道少年

犬の記憶 (河出文庫) 「ぼくは子供の頃から学校ぎらいで、とどのつまりは高校中退、系統立った教育は受けずじまいだった。では何をしていたかといえば、終日絵を描いているか本を読んでいるか、あとはひとり町なかをほっつき歩くばかりの子だった。とにかく…

「文系」と「理系」をたえず横断する立花隆の探究心の大本にあるもの。本姓は「立花」でなく「橘」、戦前の水戸の超国家主義者を従兄弟にもつ。文部省職員だった父は「全国出版新聞」の編集長に。小学校低学年から家にあった書籍を手当たり次第に読み漁った。小学低学年の時に読んだ「エジソン伝」が理科系への関心のはじまり。

ぼくはこんな本を読んできた—立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫) 「僕はもともと科学少年だったんですよ。中学ぐらいのときには手作りの望遠鏡を覗いてたりしていた、『子供の科学』という雑誌があった、通信販売でレンズだけ売っていた。あとはケント…

「成長ホルモン欠乏症」に罹っていた少年時代。4歳の時、サッカーボールを両親からプレゼントされる。4歳からすでにボールを巧みに扱い周囲を驚かす。サッカー狂の一家。幼少期から無口で内気な性格だった

「身長が低いという相談でした。そういう患者は毎日たくさん診ています。ホルモンの問題なのか、それとも単にいわゆる”晩熟(おくて)”なのかを見極めるにはいろんな検査をしてみる必要がありました。 内分泌腺が成長ホルモンを分泌しないんです。……メッシの…

『あんぽん』に描かれた孫三代のディープすぎる血と骨の物語。九州一のパチンコ屋をつくりあげた父だけではなかった息子正義への大きな影響。家系のプライドから「商い」をやったことがなかった一族

「だから親父は、僕がちっちゃいときからいつも言っていました。正義、俺の姿は仮りの姿だ、俺は家族を養うために仕方なしに商売の道に入っていったけれど、おまえは天下国家といった次元でものを考えてほしいってね。だから、僕は小さいときから商売人にな…

野田秀樹は坂口安吾の生まれかわりであった?!(野田秀樹本人談) 野田秀樹の芝居の”根っこ”にあるものとは。幼稚園の頃からずっと感じつづけていた「よそ者意識」と違和感。小学校時代、笑顔だが悪童、頭の回転がよく、この頃から「身体」がきびきびと動く少年だった

「1955年(昭和30年) 2月17日、坂口安吾、桐生の町で永眠する。2月18日、坂口安吾の魂は、日本列島を東海道沿いに、西方浄土を目指す。 2月25日、さらに坂口安吾の魂は、交通機関の発達していなかった当時としては、格安の料金と時間とを浪費して…

「モッタイナイ」という言葉を世界に広げたケニア出身のワンガリ・マータイ女史は、なぜ「ノーベル平和賞」を獲得したのか。1977年から30年以上にわたって取り組んでいた草の根的「グリーンベルト運動」。文字がなく「口承文化」しかなかったキクユ族と「イチジクの木」のこと

ワンガリ・マータイ(1940年〜2011年)は、日本では「モッタイナイ」という言葉を、国連の「女性の地位委員会」の講演で連呼し、「モッタイナイーMOTTAINAI」という言葉とその心を世界に広めたアフリカの伝道師として知られています。もっともワンガリ・マー…

スターバックスにある2つの「原点」。ブルックリンの貧しい労働者階級に生まれ、スポーツが得意だった少年。意志が強いアクティブな女性だった母は、成功した人物の例を子供たちに教えつづけた。12歳から新聞配達をし軽食堂で働きだす。大学卒業後も将来のイメージがわかずアルバイト人生をおくっていた

「スターバックス・ブランドの発展とともに、<サードプレイス>の概念はいっそう定着していった。店内に流れる音楽や座席、周囲のざわめきで、顧客は自分一人でいるときでさえ、社交の場所にいるような気分を味わうことができる。1990年代の始めにスターバ…

エッシャー少年はどのように「版画」と出会っていったのか。「木工工学」を専攻した父は、明治時代に土木技師として来日していた。父は庭で子供たちが「木工作業」に親しめるように作業台をつくった。幼い頃に父が読んで聴かせていたグリムやアンデルセン童話。家族が夢中になった「天体望遠鏡」

M.C.エッシャー—その生涯と全作品集鳥と魚の絵のパターンが交錯していく不思議絵「空と水」。建築不可能なループ状階段をのぼり続ける人と下り続ける人を描いた 作品「上昇と下降」や「相対的」(2次元の歪みを利用した数学者ペンローズの階段)。反射する…

アインシュタインの生涯は、4、5歳の時の「驚き」の延長にあった。父が持ってきた「羅針盤(コンパス)」にはじまる。父は当時の新興産業分野だった「電気」を、数学好きの叔父とともにはじめていた。10歳の時に毎週家を訪れていた医学生青年から教わった数学と「科学実験」を紹介した科学書

アインシュタイン その生涯と宇宙 下▶(1)からの続き:磁石の針を動かす<隠れた、見えない力の場>、<自然現象の不思議な力>。それはまさに電磁場であり重力場であり、そこから飛び出してくる光子など、後のアインシュタインが生涯をかけて探求すること…

小学校に入ってからすぐ「貸本屋」通い。『少年倶楽部』連載の作家の本を借りまくる。ガキ大将ではなく「空想」に遊ぶ性格。小学5年の時、伯父に連れられ「寄席」を初めて体験、小学生にして新宿・末広亭通い。『評判講談全集』『落語全集』を制覇。皮肉的に物事を裏側から見る性格ができあがった理由とは

▶(1)からの続き:立川談志(本名:松岡克由)は、昭和10年12月2日(戸籍上は昭和11年1月2日)、東京・小石川原町生まれですが、以降松岡家は引っ越しを繰り返すことになります(白山御殿町、蒲田、浦賀へ、さらに下丸子。6歳の時、東京・蒲田近くの鵜…

5、6歳になっても「言葉」をちゃんと離せなかったアインシュタイン。「言葉」を話せるようになった「時」のことを覚えていた少年。「暗記」ものの勉強が苦手だったが、一人遊びする時のねばり強さは凄かったという。父がもってきた「羅針盤ーコンパス」に抱いた「驚き」にはじまる。

アインシュタインはなぜアインシュタインになったのか (平凡社 自然叢書) 「…彼の家は平凡な中流ユダヤ家庭であった。1879ドイツのウルムに生まれるが、父はミュンヘンの電機事業の経営者、母は音楽をよくし、長男のアルバートや長女のマヤの教育には熱心で…

亡くなる1年前に緊急出版されていた『人生、成り行きー談志一代記』で談志が語っていたこと。落語会の「異端児」「革命児」、談志師匠の「成り行き」とは何なのか。29歳の時に書き、若手落語家の”バイブル”となった『現代落語論ー笑わないでください』にすでに書いていた「自伝」。「笑点」や「11p.m.」のアイデア出し

人生、成り行き—談志一代記 (新潮文庫)平成23年暮れ、談志師匠が鬼籍にはいった1年前に緊急出版されていた『人生、成り行きー談志一代記』(立川談志 聞き手:吉川潮 新潮文庫)。これは立川談志の”本体(本質)”を知る上で何をもってしても読んでおくべき…

「野口英世」の伝記を大人読みすると何がみえてくるのか。野口家は現在で言う「生活保護家庭」で、家出の多い「崩壊家庭」だった。母の犠牲愛と、男が家に寄り付かない家庭のわけ。「魚釣り名人」と酒飲みの父とは? 隣家に寺子屋、真向かいに小学校が立った。「登校拒否」になった英世 

子供向けの「偉人伝」の代表格の一人、「野口英世」を取りあげてみます。野口英世といえば、世界的な偉大なる細菌学者であり、日本銀行券「千円札」の肖像として、日本人の誰もが知る人物ですが、わたしたちのなかではその実像ではなく、子供時代に読んだ「…

世界の伝記の発行部数を塗り替えた『Steve Jobs : The Exclusive Biography』で初めて公にされたこと。自分は文系だと思っていた少年が、エレクトロニクスに目覚める。ジョブズの”現実歪曲フィールド”出現の背景。「access to tools」をうたった『Whole Earth Catalog』やインドへの旅、禅の大きな影響。”ギーク(技術オタク)”と”ヒッピー”の交叉点

*映像に出て来る極めて重要なSteve Jobsの言葉。「先を見て『点を繋げる』」ことはできない。できるのは過去を振り返って『点を繋げる』ことだけである」 ー 先が見えないのはS.ジョブズも同じだった。ではジョブズはどうしたのか? 過去を振り返って「体験…

1980年引退の年、21歳の時に著された自叙伝『蒼い時』、自らを抉り出し書いていたことの凄さ。喜ぶことの下手な子で「はりあいのない子」と言われる劣等感。「こわいおばさん」のこと。幼少から高校まで殺される夢を頻繁に見続けた「恐怖」。驚くべき「予知能力」。「喝采」が不安になっていったその心性

「山口百恵は菩薩である」。こう平岡正明が書いた時から山口百恵は、日本人の曖昧なるイメージの中、生きた「菩薩(ボーディ・サットバ)」の如き存在と化していきました(「サットバ」とは「生きている者」の意味。それは母性的なイメージが投影される観音…

桑田家に共通する「奇妙な気質」。”天然のソウウツ一家”。風呂で「歌謡曲」替え歌をつくって歌う父にいつも歌わされ。小学生の頃は皆で海で遊ぶこともなく、「透明人間」と遊ぶ”暗い子”だったが、ひょうきんで目立ちたがりな面もあった。音楽の成績はほとんど「1」だった。祖母の言葉、「佳祐の芸能の血は、私譲りなんよ」。

*小学生時代、姉からシャワーのように浴びたビートルズサウンドの後、中学1、2年時には、少年桑田は一転「歌謡曲少年」になる。とくに「内山田洋とクールファイブ」のレコードはすべて蒐集。その後に友人からの刺激で再びビートルズに向っていく。映像は…

宮藤家は全員「ベタ」嫌いだった。高校時代、母は「演劇」少女で「コント」好き。「たけし軍団」に憧れていたため男女共学校でなくあえて「男子校」へ。高2の時、「エレキギター」に開眼するがFコードで挫折。運動はダメ、勉強は人並み、オレには「笑い」しかない!

▶(1)からの続き; 「僕は勉強が嫌いだった。頭は決して悪くない。それは自分でもわかっている。悪いわけがない。母も言う。『しゅん坊は宮藤家で頭がいちばん良いんだよ』 姉は二人とも大卒。長女に至っては大学院まで進んだ。父は教師。実家は文房具店。…

若い芽をつぶす英国病の中から現れた”逆風野郎”ジェームズ・ダイソンの「発明」の根源にあるもの。古典人文系の家庭風土だったダイソン家からなぜ「発明家」が生まれたか。意地っ張りで無精で孤立し成績も悪かった少年時代。「ランニング」「絵画」と「木工」が得意に

ジェームズ・ダイソンは、あのサイクロン技術搭載の掃除機の開発者です。2012年時で65歳(1947年生まれ)になります。ダイソン社を設立したのが1993年なので46歳の時。現在はマレーシアに巨大工場をもち、世界35カ国以上にオフィスを構え、ダイソン製品を販…