伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

養父は機械工だった腕を活かした「レポマン」のはしりをしていたことも。ぶっきらぼうでありながら快活で誇り高い性格、物事にはポジティブに建設的な姿勢だった養父。10歳頃に「エレクトロニクス」に取り憑かれるようになったスティーブ少年


スティーブ・ジョブズ-偶像復活

「コンピュータ」産業に革命を起こしたアップルからの追放後、「映画」産業で革命を起こし、さらにアップルでの第二ラウンド、「iTune」「iPod」で音楽ビジネスに革命を起こしアップルに再臨した共同創業者スティーブ・ジョブズ。そのタフな起業力とリーダーシップ、交渉術、カリスマ性はどのように醸成されていったのか。粗暴で狭量で、我が侭で短気な気質と、稀有なリーダー性や起業家精神は彼の内部でどのように結びついているのでしょう。おそらくは相当にありえない確率で、一人の人間のなかに生じた「配合」だったようです。それでもスティーブ・ジョブズの幼少期から少年期にフォーカスしてみると、その「配合」が何度も「爆発」を繰り返している様子がみえてきます。青年時代のインドへの旅ではその「矛盾」が最高点に達っしていきます。
「マインド・ツリー(心の樹)」のアプローチをかけてみると、奇才スティーブ・ジョブズの”根っ子”がほの暗い幼少期の時の向こう側に見えてきます。基本的には通常の「伝記読み」をかけ、読者各々が関心が強い時期に焦点を向け自由に読めばよいかとおもいますが、スティーブ・ジョブズをデジタル時代の天才的イコンとして神棚に祀りあげるだけでなく、彼の”根っ子”を知っておくこともそれに劣らず重要かとおもいます。
他の分野の奇才と同様、スティーブ・ジョブズの「エレクトロニクス」への関心は、その「環境」からやってきました。広く知られるようになったようにスティーブ・ジョブズは、サンフランシスコに生まれ、生まれて数週間後に、同サンフランシスコに住むジョブズ夫妻の養子となっています。このジョブズ家の主ポール・ジョブズが、じつはちょっとした”クセ者”だったことが、奇才「スティーブ・ジョブズ」誕生にかかせなかったとおもわれます。
ハイライト的に言えば、スティーブ・ジョブズの養父は「機械工」としての技量を活かすことのできた自動車ローン未払いの客から強引に回収をおこなう取り立て屋「レポマン」のはしりだったことでしょう。養父のポール・ジョブズはまだスティーブを養子に貰い受ける前から暇さえあれば「機械」いじりをしていて、ポンコツ車を修理し走れるようにすると売っては小遣い稼ぎしていたような人物でした。腕にはタトゥーを入れた彼は、どこかぶっきらぼうでありながら快活で誇り高い性格で、物事にはつねにポジティブで建設的に対していたようです(なんとスティーブ・ジョブズの気質に似ていることか! この養父ポール・ジョブズインディアナ州の農家生まれで厳格なカルヴァン派の宗教環境のなかで育ち、青年時の大恐慌時には職を求めて中西部を数年間転々とし、まさに「放浪」ともいえる時期をおくっている。その後、安定した生活を求め「ごろつきの海軍」と呼ばれた海軍の沿岸警備隊に入隊。そこの機関室で機械工の技術を身につけていた)。そして夫婦に子供ができなかったため、養子としてもらい受けたスティーブ・ジョブズを育てあげます(後にもう一人女児を養子にもらい受けている)
3歳の頃には、スティーブは今でいう「多動症」と呼ばれる程、手にあまるほどのやんちゃな子供になっています。朝の4時には元気いっぱいに遊びだしていたといいます。そして(「エレクトロニクス」の申し子らしく)コンセントに興味をよせ、ヘアピンを差し込み大ヤケドしたエピソードをつくっています。我が侭でいたずら好き、利発でテレビ好きだったスティーブがエレクトロニクスに取り憑かれるようになったのは10歳頃だったといいます(小学5年生頃)。その頃ジョブズ一家はエレクトロニクス企業が次々と生まれていたパロアルトのベッドタウンに引っ越していてヒューレット・パッカード社などで働く一線のエンジニアが大勢居住)、それがスティーブ少年のエレクトロニクス熱をヒートアップさせていきます。大人のエンジニアと知り合いになったスティーブ少年は、カーボンマイクに夢中になり鋭い質問を浴びせたりしてエンジニアを感心させたという話も残っているようです。
小学校3年までは、スティーブ少年は誰とも仲良くならないヘンな奴でクラスで浮いていて、激しい気性がこうじて態度も悪くなり教師に逆らって何度も停学処分をくらっています(ジャンルはまったく異なるが、「ヴォーグ」の編集長アナ・ウィンターと似た気性か)。とにかく時間が無駄だとおもう課題や宿題をやるのはうんざりで、いたずらグループを率いるようになってからは教室にヘビを放したり、爆発を起こしたり学校の厄介者として目立っていたようです。小学校4年生になると担任先生がはじめてスティーブ少年を操縦する方法をみつけだし、たった1年の間に、スティーブはめきめき学力をあげ、飛び級してミドルスクールにすすむほどになります。ちなみに厄介者のスティーブを操縦する方法とは、学習帖を最後までやったら5ドルもらえる、というニンジン作戦だったといいます。
スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡

ところがミドルスクールは当時荒れていてスティーブは1年で辞め、持ち前になっていた意志の強さと説得術で家族と話し合いエレクトロニクスのメッカになっていたロスアルトスに一家で引っ越します。そこで久しぶりにできた友達ビルの家の向かいに後のアップルの共同設立者になる5歳年上のウォズニアックが住んでいたのです。この頃、スティーブはレーザーと鏡に熱中していますが、これも養父の影響のようです。いったん機械工に逆戻りしていた養父ポール・ジョブズは、転職後に後に世界中のスーパーのレジで使われている「バーコードリーダー」の開発にかかわっていたのです。
そしていよいよウォズニアックのコンピューターの設計の能力に脳天を突き破られたスティーブは、自己陶酔していた狭い世界からじょじょにエレクトロニクスとテクノロジーの大海へと乗り出していくのです。世界各地にタダで電話がかけれるブルーボックスをウォズニアックとつくったものの、ポートランドのリード大学に入学した頃からアイデンティティの危機に陥っていきます(私立探偵に実母を探させている。そしてその後、堕胎ではなく産むことを選択した母とスティーブ誕生時の真実を手にし公にした)。ドラッグや東洋の神秘主義に興味を引かれ、ヒッピーのような格好をしたままアタリで採用され、しかし結局、インドに導師(グル)に会いにいこうと友人を誘うのです。現地で「矛盾」が解消するわけもなくシリコンバレーに戻ったスティーブを待っていたのは、ウォズニアックとの「魔法」のような関係でした。それは2人の「マインド・ツリー(心の樹)」が絶妙な具合で、互いの自己陶酔を減じることなくうまく絡み合った関係だったことが功を奏したようです。本文は、『i Con Steve Jobsスティーブ・ジョブズ:偶像復活』東洋経済新報社を参照していますが、詳細は同書や他のスティーブ・ジョブズ関連書籍にあたってみてください。思わぬ発見があるはずです。その発見は、幼少期や少年期の自身に関する「発見」や「気づき」だったりもすることもあるでしょう。「伝記」とは、時に人生の「矛」や「楯」になったりもしますが、時に「鏡」にもなります。読む者を映し出すことになるからです。
▶(2)に続く
スティーブ・ウォズニアックの「マインド・ツリー(心の樹)」へhttp://d.hatena.ne.jp/syncrokun2/20101105/1288946441

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