伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

(1):27歳から本格的に「画家」をまざしたゴッホ。16歳の時、叔父の画廊に勤めだす前の少年期にこそ、ゴッホの秘密を解く鍵がある。いつも独りで野に分け入り花や鳥、昆虫を観察し収集していた。「好奇心」のかたまりと母譲りの「意志」の強さが結びついて…


映画『夢』(監督:黒澤明)より
炎の人ゴッホ (中公文庫)


牧師の息子フィンセント(ヴィンセント)・ファン・ゴッホが、「画家」を本格的にめざしはじめたのは27歳の1880年頃と、今日画家やクリエーターをめざす人からすればかなり遅い方に感じられます。14歳年上のセザンヌは21歳の時、16歳年下になるマティスも20歳頃、天才ピカソはさすがに早く11歳で美術学校に入学し20歳で「青の時代」をスタートさせています。共同生活をした5歳年上のゴーギャンは35歳の時に画業に専念しはじめますゴーギャンは17歳で航海士になり海軍に所属し株式仲買人をしていた)ゴッホは37歳で謎の死を遂げていますので(自殺、他殺説)ゴッホが画業に全精力をかけたのはわずか10年ビートルズの結成期間とほぼ同じ期間)
ゴッホは16歳になると、叔父が経営する画廊(美術商)で働きだしたことはよく知られていることです。ではそれ以前の少年期、少年ゴッホはなにをしていたのか。どんな子供だったのでしょう。多くのゴッホ伝記本でも、じつは少年期のゴッホはほとんど描かれることはありません。ゴッホは「天才」か「狂人」こそが似合うからとでもいうように。
祖父も父も牧師、生家は牧師館(カルヴィン派)だったことはよく知られています。最初の問題はその間の15年間です。画廊で働きはじめたのも、自らすすんでそこで働きはじめたわけではありませんでした。他に働きたい場所もなかったし、みあたらなかった、そしてこれといった夢はなかなかかたちを成していかなかったようです。けれども強烈な好奇心と情熱は溢れんばかりでした。それは誰にも見えず(弟テオは感じだす)、自分の身体を切り裂くような巨大な「球根」を、少年ゴッホはその胸の裡に膨らませていたのです。
画家になる、その夢はまだ10代では明確な輪郭をともない浮上していません。というよりも、そんな駆け足で駆け抜けるような、走行トラックがみえているような単線的な「夢」では、時代を驚かし挑発する「絵」など生まれようがありません。少年ゴッホの裡に宿ったのは、ネザーランドの泥炭地帯で育った泥だらけの「球根」で、容易には土壌から抜けないような大きなものだったのです。
ゴッホの手紙 上 ベルナール宛 改版 (岩波文庫 青 553-1)
その「球根」はどのように育っていったのでしょう。それは沼地や野や畑を何時間も歩き回り、昆虫や花・植物を収集したり(ブリキの箱をよく持っていた。少し大きくなってからは植物図鑑を手に)、野鳥を観察したり、川岸に行けば座りこんで水性の昆虫を眺めたり、昆虫や植物を家に持ち帰って観察したりと、自然界の生命に対し好奇心でいっぱいだったといいます。それは宮澤賢治やファーブルの少年時代にも重なるものといえるでしょう。けれども少年ゴッホは、賢治少年のように「昔話」に親しむことはなく、ファーブル家とは比べものにならないくらい宗教的厳格さに包まれたなかで育っています(なにせ牧師館だった)。家に帰れば厳格な家訓や数々の宗教書が待っていたのです。
村の素朴な人々とキリスト教の教え、素朴な生活習慣と道徳ともに暮らすことが少年ゴッホの環境であったと描かれますが、当の本人はそんな空気に”首根っこ”を絞めあげられないように、いつも独りで自然の中に紛れこんでいったりしました(とにかく好奇心!)。不思議なことに、少年ゴッホは6人の兄弟姉妹のなかで、弟のテオをいつも引き連れるようになるまで、他の兄弟姉妹と一緒に遊ぼうとすらしなかったようです。幼い頃はフィンセントだけが人見知りする性格で、ワイワイ騒ぎたてることもなく、親から「静かにしなさい!」と注意されることもなかったといいます(同じ環境に生まれ育っても「気質」、そして「魂」はもちろん異なりますから)
少し長じても、とにかく「言葉」がなくても、ひとりでずっと遊んでいられる子供で、興味深いのは、百姓や洗濯女、織工が働いている姿をずっと見ていたり(後に百姓たちの姿を描くミレーの絵に至る)、織工たちの働いている現場に入っていって使っている機械をのぞいたり訊ねたりしていたといいます。いろんな色の毛糸を編んでいるひとがいれば熱中して見て、時に自ら編んでみたりしたとも(色彩の調和や対照に夢中になったとか)。そうかと思えば、ぴったり1年前に亡くなった兄で同じ名前のフィンセント・ヴァン・ゴッホが眠る墓地にふらり向っていたりしてていたといいます。
とにかく少年ゴッホは気難しがり屋で、非社交的な性格で、頑固者で反抗的的な性格で、ちょっとしたことが刺激になり、怒りだすと痙攣の発作を起こすこともあったほどだったようです。少年ゴッホのこの気質、じつは母から受け継いだものだったといわれています。母も頑固者で強情で、「意志」の塊のようなひとでした(母の息子フィンセントに自分の姿をみていたようで大目にみていた)。けれども少年ゴッホのそれははるかに母のそれを超えていきます。とにかく自分をゆるめることを知らず、周りは誰もわからず、本人すらその理由もわからず。
少年ゴッホ8歳の時、庭の林檎の木にのぼっている猫を素描しています。同じ頃、粘土でも遊びはじめ象をつくったりしています(誰かに覗かれていると気づきすぐに壊すほど過敏だった)。旺盛な好奇心や観察力、鋭い感受性はゴッホ家からははみ出してしまう性質でした。ところがゴッホ家の親族には、芸術の世界で働く者がいたのです。少し家系を辿ってみてもすぐにわかります(ちなみにGoch家はオランダからドイツ国境を超えた町Gochに由来するという。16世紀にオランダのユトレヒトに移住)。前世紀にハーグに定着した先祖のなかに金線細工師や彫刻師がいて、その子孫もまた父を継ぎ金線細工師になっています(後に牧師になる)
ところがゴッホ一族と芸術とのかかわりはそれだけにとどまりません。ハーグに画廊を所有していた叔父(フィンセントはそこで16歳から働きだします)は、世界的に有名な美術商パリのグーピル商会と密接な関係を築いていきますが、その画廊はオランダ国内でもとんでもない由緒ある画廊だったのです。なぜ叔父はそんな画廊の経営者たりえたのでしょう? ゴッホ家は金線細工師や彫刻師を輩出していただけではなかったのです。でなければ「夢」もまだまったく輪郭をともなっていなかったいち少年である16歳の少年ゴッホが、オランダ・ハーグで著名な画廊で突然働きだすということはできないかはずです。じつは、「フィンセント・ゴッホ」誕生の”根っ子”の見えない先は、ネーデルラド(オランダ)という国家の土壌の奥深くにまで達していたのです。(2)へつづく-未
参考書籍:『ゴッホの生涯』アンリ・ベリュショ著 紀伊国屋書店/『ファン・ゴッホ詳伝』二見史郎著 みすず書房/『ふたりのゴッホゴッホと賢治37年の心の軌跡』伊勢英子著 新潮社
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