モーツァルト家は、機織り職人や石工職人、製本職人など代々「職人」の家系だった。父レオポルドは中学を中退、大学から退学処分をくらい「就活」。そして「作曲職人」の道へ
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この音楽史上最も有名な「神童」にして、無限の音楽の可能性が体現された奇蹟の音楽家は、何世紀にもわたって「天才」として呼ばれてきました。日本でも評論家・小林秀雄が「モーツァルト」についての一文を戦中に発表し、モーツァルト・ブームへの呼び水となっただけでなく、以降日本においてもモーツァルト=「天才」が定着していったようです(小林秀雄は、簡単に楽想を書き写す天賦の才を授けられたモーツァルトにとって、気高く曇りない「自由な精神」こそが汲めども尽きない楽想の源ととらえたが、16歳の時に精神の危機を迎え才能が逆に重荷になっていたともみていた)。
「モーツァルトが死ぬまで、夫人は夫が天才であった事を少しも知らなかった。夫人は彼が才能ある優しい快活な夫である事しか知らなかった。モーツァルトは、彼の音楽を楽しむ同時代の人々にも、同じ様に彼の天才を隠していたと言える。彼は、自由な寛大な心を持ち、庶民の生活を大変愛していたから、自分の天才の特権化する事など少しも考えなかったが、天才の常として自己の表現というものには大変正直であったから、辛い想いをしていたのである。それを聞き分けると彼の音楽の世界は突如として感動に満ちたものとなる様に思われる」(「モーツァルトを聞く人へ」『小林秀雄全集20』収録 新潮社)
私もかつて、天から「音楽」が尽きぬように降ってくるように、音楽が自らの裡に自然に沸き上がってきたモーツァルトは、天界と通じていたとしか考えられない、そういう人物は肉体をもった人間がもはや関与せず、まさに「天」の「才能」にそのものではないかとずっと思っていました。でなくともモーツァルト=「天才」は万国法の様に定説であり、楽曲や楽想はそれを証明していました。もはや神童モーツァルトの有り様をわざわざ覗き込んでみることもない、といわんばかり。覗き趣味がある人は、晩年の毒殺説かフリーメイソンとの関係でどうぞというように。
で、今回、「伝記ステーション」でモーツァルトを取りあげるにあたって、秀逸なモーツァルトの伝記本『モーツァルト』(メイナード・ソロモン著 新書館)にあたることになったわけですが、これがなんとも興味深い。天の蓋が開けられたというか、天が与えし才能がどのように開花していったのか、またその才能は必ずしも天(だけ)が与えたというわけでなく、その「(生育)環境」こそが宿された才を引き出し、さらには驚くべきその才そのものを生み出すことになったことをあますところなく暴いているのです。その様子は奇妙にみえることもあれば、極めてスリリングでさえあります。
奇妙さとスリリングさは、つねに父レオポルド・モーツァルトとの関係から発します。
「あの子は両親、とりわけ父親のことを深く愛していましたので、毎日寝に行く前には、自分の作ったメロディを歌ってみせます。その終わりのところで父は彼を椅子に座らせます。今度は父がその続きを歌わねばなりません。この儀式は一日も欠かしたことがなかったと思いますが、それが終わると彼は父親に優しくキスし、満足しておとなしく寝に行きます。このゲームは彼が十歳になるまで続いていました」(『モーツァルト』メイナード・ソロモン著 新書館 p.113)
これを読むと神童ヴォルフガングに連れられるように父がメロディの続きを歌っていたのかなと思われるかもしれませんがじつはその様相はかなり異なるのです。「神様の次はパパです」という少年モーツァルトが語った言葉の真の意味もわかってきます。まず前奏として、モーツァルト家の家系を少しみてみましょう。
モーツァルト家の出自は、もともと南ドイツのアウグスブルクにあり代々「職人」の家系でした。父レオポルドの母方の祖父も機織り職人、母方の祖母も機織り職人の娘でした。父の母の夫(モーツァルトの祖父)の家系も石大工などの職人の家系であり、祖父は製本業にすすみ製本職人の親方として活躍しています。聖母マリア被昇天修道会のメンバーだったモーツァルト家では、モーツァルトの父レオポルドは聖職者になるよう期待をかけられ、そのための教育をしっかり受けさせられていました。その一方で父レオポルドは歌手としてもまたヴァイオリニストとしての才能があらわれだしていたようです(幼少期から教会音楽をたっぷり浴びてきたことでしょう)。父レオポルドは引かれたレールに乗って歩む人生には馴染まない性分だったよううで、聖職者への道をすすむことを潔しとしませんでした(教会に批判的だった)。
中学時代に父が死去、レオポルドは人生の方向性を見失ってしまいます(あとは製本職人の道か音楽か)。実際、中学2年になる前に突然学校生活を放棄し中退。後に大学で法律と哲学を専攻しますが自然科学への授業にまるで出席せず退学処分。モーツァルト家の家族親族は2度も落胆させられたといいます。すでにモーツァルト家は経済的に逼迫しはじめていて、気づいた時にはレオポルドも生活に困窮しだしていました。急遽、レオポルドは「就活」し、伯爵家の従僕兼学士として受け入れられ働きだします。この緊急の就活が結局、「作曲」の道につながっていたというのですから人生何が起こるかわかりません(最も自身の「心の樹」に忠実に従ったのでしょう)。レオポルドが家族かた望まれた人生から降り、緊急の「就活」をしなかったならば、天下の「天才」ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは間違いなく誕生していなかったはずです。
そしてついに父レオポルド・モーツァルトは生地ザルツブルグの地で「作曲家」、正確には「作曲職人」となるのです(モーツァルト家の家系は代々職人だったことを思い出してほしい。レオポルドも音楽の世界に踏み出したがそれは作曲をする「職人」としてであった)。▶(2)へつづく
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