出生と生い立ちのなかに「シャネル・モード」の原点と、「白・黒のシャネルの基本色」の秘密があった。騎兵ー馬ー乗馬用仕立て、「シャネル・スーツ」の発想の源。修道院の孤児たちが着用していた制服は黒のスカートが基本だった
ココ・シャネル 時代に挑戦した炎の女 (FIGARO BOOKS)
(1)からのつづき▶エドモンド・シャルル=ルーが暴くことになったシャネル(シャネル・モード)の秘密とは何だったのでしょう。それはシャネル・モードの「基本色」と「シャネル・スーツ」の発想の<原点>でした。その発想の<原点>は、シャネルが生前秘密にし続けていた生い立ちとその「環境」に深くかかわるものだったのです。「わたしの人生はずっと幼年時代の続きだった。人間の運命が決まるのはまさにこの時期よ。その頃の夢が一生を左右する。何から何まで全部覚えているわ…」と語るシャネルの言葉が木霊せずにはおられません。
ここでシャネルが生前改竄し続けていた出生の秘密と生い立ちについて少し触れておきましょう。父の仕打ちからすればある意味やむおえないといってもいいと思うのですが、少女期シャネルは父のことを訊ねられると父はアメリカ在住で滅多に会えないと嘘をつき、成人後は父はブドウの仲買人とか栽培人をしていたと言い張っていました。実際には父アルベール・シャネルは、町から町へと渡り歩く「行商人」、根っからのヴァガボン(放浪癖のある者)でした。土地から土地へ流れゆくアルベールの故郷は、南仏の山合い(冬は雪に閉じ込められ程)ラングドック・ルーション地方の寒村セヴェンヌ。シャネルの曾祖父ジョセフ・シャネルは栗を収穫して暮らし、結婚後は村で一軒だけある居酒屋を営んでいました(畑仕事が嫌いだったため農民相手に酒を売った)。居酒屋では村一番のパンを村の共同ガマで焼いて出し、椅子や机、家具もつくるほど器用で自身の名前を「J.C.」と彫り込むのでした(家具に彫り込んだイニシャルが後のシャネルのイニシャルとよく似ているといわれる)。ココ・シャネルの誇り高さ、優れたアイデアに手先の器用さは曾祖父譲りという人もいるほどです。
曾祖父ジョセフの次男がシャネルの祖父となるアンリ=アドリアン・シャネルです。アンリ=アドリアンは当初畑仕事に就いていましたが、栗が蔓延した枯れ葉病で全滅したため、働き口を探しに村を出ます。辿りついた町で養蚕業の仕事に住み込みで就いている間にその家の娘とできてしまいスキャンダルに。村の好奇心の目から逃れるようにしてニームの町へ。生まれた子供がアルベール・シャネル、ココ・シャネルの父です(ココ・シャネルの父となるアルベール・シャネルは長男で、その下に18人の弟と妹ができる。一番下の妹アドリエンヌはシャネルの生涯のよき相談相手となっただけでなくシャネルの服の最初のモデルとなる)。アルベールは小さな頃から行商しはじめていた父の仕事を手伝いだしています。父とちがって口が上手く商才があったアルベールは、南仏からオーヴェルニュ地方へと行商先を伸ばしていきます。クールピエールの町で木工職人マルタン・ドゥーボルと知り合い冬場を泊めてもらいます。そのマルタンの伯父がブドウ栽培業をしていて、その家でお針子になろうと修業していました妹がいました。その娘が、後にココ・シャネルの母となるジャンヌでした。ジャンヌが妊娠したことを知ると、アルベールは村を逃げ出してしまいます。村長も繰り出してアルベールの実家を突き止めます。執念深いジャンヌはアルベールを追求し探し出す旅に出、発見するのです。そしてその地で身籠っていた子供を産みます(ココ・シャネルの姉ジュリアを出産)。アルベールはジャンヌと産まれた赤ん坊をともなってソーミュールに住むことに決めます(その地のワインは行商品目の中でも人気が高かった)。ブドウ栽培業が長年の夢だったアルベールはその地に落ち着こうと考えたようです(後にシャネルが父はブドウ栽培人だったとかブドウ仲買人をしていたといっていたのもこうした背景があった)。翌年ジャンヌは救済院で2人目の子供ー後のココ・シャネルを産みます。(その時も父も居ることはなく)救済院の誰かが守護天使のガブリエルの名をその赤ん坊に付けたといわれています(その翌年に2人は結婚)。
少女シャネル3歳の時、シャネル一家はジャンヌの伯父と伯母が住む南仏クールピエールに移り住み、母ジャンヌが亡くなるまでの7年間をこの地で過ごします。父アルベールは相変わらず行商をしていて(あちこちで女をもうけていた)、その地に留まることはありませんでした。いっこうに家族を省みないアルベールを追いかけ回していたジャンヌの喘息が悪化、ついに命を落としてしまいます。少女シャネル11歳の時でした。父は1歳上の長女とガブリエルをフランス中部リムーザン地方オーバージーヌのサン・ティティエンヌ修道院付属の孤児院に連れていきました。姉妹は父の帰りを待ちましたが、父アルベールは二度と姿をあらわすことはありませんでした。これがシャネルが嘘の上塗りをしてまでも生涯公にしたくなかった出自と生い立ちでした。
シャネルの伝記『シャネル・ザ・ファッション』のなかでエドモンド・シャルル=ルーが露にしたのは出自や生い立ちだけにとどまりません。本書を原作にしたといわれている映画『ココ・アヴァン・シャネル』(2009 監督アンヌ・フォンテーヌ/『アメリ』のオドレイ・トトゥ主演)は、顔も映ってない父アルベールが大きな建物の修道院に付属する孤児院に馬車に乗せた姉妹を連れていくシーンからおこしているので、伝記に描かれたシャネル家の家系のこと生地ソーミュールのこと、母のことには触れられていません。孤児として育ったひとりの少女が、波乱に満ちた体験のなか(上流ブルジョワで競馬事業に入れこんでいたエティエンヌ・バルサンとの出会いや英国人実業家ボーイ・カペルとの熱愛ーカペルを通して知り合った演劇界は出自の卑しさなど誰も気に留める者などいず、シャネルの人生観、人間関係は一気に広がっていく)、ファッションを通してどのように女性の解放ー新しい女性像を生み出していったかがテーマになっていることもあり、伝記『シャネル・ザ・ファッション』の肝(きも)になっているシャネルの「基本色」や「シャネル・スーツ」のルーツに関することは描かれることはありません。
「シャネル・スーツ」のルーツに関してエドモンド・シャルル=ルーがあきらかにしていたのは、「騎兵の制服」こそが「シャネル・スーツ」のルーツだったことでした(伝説ではなく、今日ではほとんど定説となっている)。シャネルの生地ソーミュールには、騎兵学校があり「騎兵の町ーあるいは馬の町」として18世紀から(今日に至るまで)つとに知られた場所でした。暗い出生の事実を隠すためソーミュールの町も過去から消してしまった3歳の時、伯父と伯母が住む南仏クールピエールに移り住んでいるので「騎兵の町」の記憶がどれほどだったのか実際には分かりませんが、「幼少のことは何から何まで覚えている」シャネルのこと、また母ジャンヌが行商する父を追って子供たちを引き連れて旅をすることがあったことも考えに入れれば、「騎兵の町」の記憶は記憶の底に刻み込まれていたにちがいありません。その記憶がたとえ黒い斑点の様なものだったとしても、歌手をめざしたシャネルがミュージックホールで歌っていたムーランは偶然にも「騎兵隊」が駐屯する町でもあったのです。さらに重ねるかのように歌手の夢を追って向ったヴィシーも駐屯部隊の軍人が休暇を過ごす場所として知られていました。そして後にシャネルが通いづけた仕立て屋の主人もまた騎兵隊に所属し、裁ちバサミで名をあげた人物でした(とらえにくい関係だがシャネルの最初の愛人ともいわれるエティエンヌ・バルサンの調教師の衣装をつくっていた)。バルサンの許にいる間に乗馬に凝っていたシャネル。騎兵ー馬ー乗馬用仕立て、「シャネル・スーツ」は、シャネルの”生の根っ子”から生み出されたものだったのです。
またシャネルの「基本色」の「白(時にヴェージュ)と黒」も、シャネルが少女時代を送った孤児院修道院の建物の簡素な色合いと相同することをエドモンド・シャルル=ルーは指摘しています。「小さな黒い服」以来、「黒」はシャネルの色でありつづけました。この「白と黒」は、黒いスカートが基本だった孤児たちが着用していた制服の色合いだったのです。▶
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