ブラッドベリの祖先メアリ・ブラッドベリは、「セイラムの魔女裁判」で魔女として告発されていた。思想統制を糾弾した『華氏451度』には魔女裁判が木霊している。ブラッドベリ作品の土壌は、シカゴの北方ミシガン湖に面した生地ウォーキガンの森と
思想統制する未来社会でおこなわれた焚書を糾弾したデストピア小説『華氏451度 Fahrenheit 451 (1953) 』や、未来の火星植民を描き米国を風刺した名作『火星年代記 The Martian Chronicles (1950) 』、見世物小屋で働く男に彫られた刺青が語り出す未来を描いた『刺青の男 The Illustrated Man (1951)』などで知られるSF界の抒情詩人、レイ・ブラッドベリ。皆さんもきっとかつて、『何かが道をやってくる』『黒いカーニバル』『たんぽぽのお酒』『よろこびの機械』『ウは宇宙船のウ』『10月はたそがれの国』『恐竜物語』といったタイトルをどこかでご覧になったり、何冊か手にとったことがあるのではないでしょうか。レイ・ブラッドベリが描き、たずさわったのは、SFだけにとどまらずファンタジーや小説・詩、ミステリー、コミック・ブックやホラー、さらにはラジオやテレビ、映画、演劇、建築、デザインにまでひろがっています。
ブラッドベリのアイデアは、万華鏡のようであり、枯渇しない井戸のようです。ブラッドベリはよく、「どこでアイデアを得るのですか?」という質問を何度も浴びせられつづけられたといいますが、ブラッドベリの伝記本『ブラッドベリ年代記』(サム・ウェラー著)こそ、その答えにもなっています。たんに類稀なる空想力や想像力があれば「物語」がひとりでに描けるわけではないことが本書からみえてきます。『華氏451度』や『火星年代記』といったサイエンス・フィクションでさえも、じつは「物語」の”根っ子”があり、その”根”の上に「物語」が想像(創造)され構築されていたのです。その”根っ子”、つまりブラッドベリのアイデアの源泉は、幼少期の強烈な「個人的体験」にあったのです。
それではさっそく『ブラッドベリ年代記』に潜り込んでみましょう。まずは冒頭から面食らわせます。どんな伝記本も、語られる主人公の幼少期の出来事や記憶から、さもなくば両親がまだ出会う前のこととか各々の家系のこと、あるいは誕生した日のことや生地のことからはじまりますが、なんと本書はレイ・ブラッドベリが誕生した日の、レイ・ブラッドベリ”その人の記憶”から始まるのです!
「わたしは生まれた日を憶えている……この件に関しては、永年にわたり心理学者や友人たちと議論してきた。『そんなものあるわけがない』といわれるが、それでもわたしは憶えているんだ」
ブラッドベリによれば予定出産日よりもひと月程おそく生まれ、子宮に長く居た分、視覚と聴覚が発達したからだといいます。生まれる時の闇から光のなかへ出る時のおののきや、まだ出たくないという欲求すらも記憶していると。その翌日の診察室の風景や医者の顔もことごとく記憶しているといいます。そんな超感覚をもった特殊な人間だから、驚くべき作品を次々に生み出すことができたのだ、とまた人はおもうかも知れませんが、そんな超感覚は忽然と消えてしまったようです。その代わりに重要になってくるのが、ブラッドベリの個人的体験であり、その体験を生み出す生地(=聖地)ウォーキガンの町と森と闇でした。
「中西部のとある州の北のはずれ、小さな川と小さな湖のほとりにある小さな町だった。周囲はそれほどの大自然でもないので、町が目にとまらないほどではない。といって、それほどの町でもないので、大自然を見たり、かいだり、さわったり、感じたりできないほどではない。町は木々でいっぱいだった。秋をむかえて、枯れ草やしおれた花でいっぱいだった。軽わざ歩きをするための塀や、スケートのための歩道がいっぱりあり、ころがりおちたり、声をはりあげたりできる大きな谷もあった。そして町は少年たちでいっぱいだった。
ときはハロウィーンの午後。どこの家も肌寒い風にぴったりと戸をとざしている。冷たい日ざしが町にあふれている。だが、とつぜん昼の光は消えた。夜が木々の根もとから現れ、ひろがっていった……」(『ハロウィーンがやってきた』レイ・ブラッドベリ著 晶文社)
後にブラッドベリの作品の中で「グリーン・タウン」と呼称されるようになる町ウォーキガン(Waukeganー当時の人口3万3000人程)は、中西部の大都市シカゴから北方60キロ程に位置し、町の東部はミシガン湖に面し、湖へといたる渓谷と鬱蒼とした森が点在するスモールタウンです(ウォーキガンとシカゴの間には米国屈指の高級住宅地があるものの、現在のウォーキガンは老いた町に)。20年代、30年代とブラッドベリの幼少時代(ブラッドベリは1920年8月22日生まれ)、ウォーキガン一帯はなんとも牧歌的で、ブラッドベリが描いた旅周りの「カーニヴァル」やトロリー電車、南北戦争の勇士たちのパレードも日常生活の一部だったといいます。ちなみにウォーキガンとは土着のポタワトミー・インディアンの言葉で「小さな砦」を意味し、先住人と入植者(1673年のフランス人イエズス会宣教師が最初)との間に設けられた交易所を指すようになります。さらにはこの一帯には、アメリカ先住民の、さらにその遠い祖先の手になる”塚造り(マウント・ビルダーズ)”の痕跡があちこちにあり、歴史の闇が土地にこもっていました。
ブラッドベリ家のルーツは、15世紀のイングランドにまで遡ることができるといいます。最初に植民地(東部マサチュセッツ州へ)にやってきたのは、1610年生まれのトマス・ブラッドベリで、その地で地域共同体の代議士にまでなっています。その妻のメアリは、あの歴史上有名な「セイラム(セーラム)の魔女裁判」(1692年)にかけられた200人の魔女の一人として告発されています(当時77歳のメアリは有罪となり死刑を宣告される。19人が絞首刑に。夫トマスが守衛を買収しメアリを脱走させた。審理にあたった判事には、小説家ナサニエル・ホーソンの祖先がいた)。
『ブラッドベリ年代記』の著者サム・ウェラーは、この「セイラムの魔女裁判」は時空を超えて、ブラッドベリの『華氏451度』(33歳の時の作品)に木霊しているといいます。直接的には、1950年代に巻き起こった赤刈りのマッカーシズムを公然と非難していたブラッドベリの、マッカーシー公聴会に対する反応ではありましたが。
「あんたが燃やした本のうち、どれか読んだことがあって?」
彼は笑って、「それはきみ、法律違反だよ」
「それはそうね」
「おもしろい仕事さ。月曜には、エドナ・ミレー(米国の女流詩人)を焼く。水曜には、ホイットマン。金曜にはフォークナー。みんな焼いて、灰にしてしまう。灰まで焼けというのが、ぼくたちの職務規程なんだ」(『華氏451度』p.18)
マッカーシー公聴会や、本を焼却することが「職務規程」となるほどの「集団心理の暴走」の源流にあったのが、「セイラムの魔女裁判」だったのです。実際にも、『華氏451』刊行から数ヶ月後のこと、祖先のメアリ・ブラッドベリについて『20世紀著作家事典』のなかで、「彼女からわたしが受け継いだのは、恐怖からの解放に対する希求と、あらゆる種類の思想検閲や思想統制に対する嫌悪だろう」とブラッドベリは述べています。
イングランドから遥々やって来たブラッドベリ一族には、その後も開拓者精神が貫いていたようで、トマスとメアリ・ブラッドベリから5代目のニューヨーク生まれのサミュエル・ブラッドベリは、印刷工の見習いを終えるとハドソン川を遡り、一家を蒸気船に乗せ中西部へと向かいます。ウォーキガンの地でサム・ブラッドベリが結婚した相手は、霊園をひらいていた地主の娘メアリ・スポールディングでした(『たんぽぽのお酒』の主人公の家族の姓がそのスポールディングで、名はダグラス。つまりブラッドベリの実のミドルネーム。同書は家族構成や自然や町など自伝的な設定の上に物語が語られる。ブラッドベリが自作中もっとも大切にしている本ともいわれる)。サミュエルは印刷業に進出、新聞の印刷を請け負い、リンカーンがウォーキガンで演説した時は、自身で記者をし編集し、新聞を創刊しています(ウォーキガンの市議会員となり市長にまでなる)。
その息子サミュエル・ヒンクストン・ブラッドベリ(レイ・ブラッドベリの祖父)も父の出版業を手伝い印刷、編集、執筆も手がけますが、生来の開拓者精神がうずき鉱山で一攫千金を夢見、西部へと足繁く通いだします。その息子のレナード(レイ・ブラッドベリの父)も父を追って一人西部へ向う貨物列車にホーボー(無賃乗車)になって乗り込んだといいます(結局、祖父と父の夢は破綻し、家業の印刷業と別事業のクリーニング会社の経営に戻るが、西部への夢はつづいた)。その西部(とくにアリゾナとロサンジェルス)は、レイ・ブラッドベリの少年時代と青年期にとって重要な地になっていくのです。
▶(2)に続く
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