伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

映画ファンだった母は3歳のレイを毎週一度、映画館に連れて行った。レイに最も影響を与えた10歳年上の叔母ネヴァ。叔母の蔵書『オズの魔法使い』に夢中に。祖父と妹の死。魔術師への熱中。大恐慌中、9歳から毎週兄に連れられ図書館に通い出す

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

「…24歳から36歳まで、まず1日として欠かさず、私は北イリノイにあった祖父母の家の芝生を思いだし、記憶の散策をしたのだった。爆竹の燃えさしでも落ちていないか。あるいは錆びたおもちゃ。小さいころの私が少し大きくなった私に宛てて、過去や、人生や、身近な人びとや、喜びや、つくづく悲しいことやらを思いださせようと書いた手紙の切れ端でも、落ちていないかと思いながら。それが一種のゲームになる、おもしろくてたまらなくなった」(『ブラッドベリがやってくる 小説の愉快』晶文社 p.103 「ビザンチウムとまで行かずとも—「たんぽぽのお酒」より)

ブラッドベリがやってくる—小説の愉快
ブラッドベリがやってくる—小説の愉快

▶(1)からの続き:レイ・ブラッドベリの母エスター・モバーグはスウェーデンから移住していた一族でした(一族は鉄鋼会社や電力会社で働いていた)。双子の長男のうち一人をスペイン風邪で亡くした後の待望の子供だっただけにレイをおそろしく過保護に育てています(6歳まで哺乳瓶をあたえられ10歳までスプーンで食べさせられた)。並外れて感受性が強かったレイの心のスクリーンには、そんな母の裡にある<不安心理>が映しだされてしまうのです。「気味の悪いもの、奇怪なものに惹かれるのは、母の極度の心配性が感染した」ためだったとブラッドベリはみています。その一方、過保護な子供につきものの「注目されちやほやされるのが大好き」な性向が密かに宿されていきました。
レイ・ブラッドベリ少年の一番古い記憶は、誕生した日をのぞけば、祖父母の家で皆が集まっている光景だといいます。祖父が鉱石ラジオを組み立て、そこから流れでる音楽を聴いたことを覚えているといいます。ラジオに音楽の次にブラッドベリを刺激したのは「映画」でした。母エスターが熱烈な映画ファンだったのです。映画にはさっぱりの父レナードをおいて、母は繁華街にあるエリート劇場の午後のマチネーに小さなレイを毎週のように連れて行ったのでした。「映画」はまるで視覚の”乳”の様に、3歳のブラッドベリの感性を刺激し、無意識を涵養しました。覚えている限り最初に観た映画は「ノートルダムのせむし男ロン・チェイニー主演)だったといいます。なんとその映画を見ながらも、3歳児にして「自分もせむし男と同類の人間かもしれない、自分は家族とはちがっている」という不思議な感覚をもったというのです。「奇妙なもの、幻想的なもの、想像力に富むもの」というブラッドベリ作品のエッセンス、トレードマークはどうもすでに3歳の頃から芽吹いていたかもしれない、とブラッドベリは語ります。まさに「三つ子の魂、百まで」です。

*3歳のレイ・ブラッドベリが観た映画「ノートルダムのせむし男」(1923年)ー映像の中程にせむし男が登場します
母が息子レイに与えた最大の影響はこの「映画熱」でしたブラッドベリのミドルネーム「ダグラス」は、母が大好きなダグラス・フェアバンクスにあやかったもの。またブラッドベリは、「映画というメディアに熱中したおかげで、ストーリーテリングの感覚と素早い展開のコツを磨くことができた」という。ブラッドベリのアイデアが、視覚的で映画的で、記憶しやすいのはそのためだとも)。「映画熱」は、その後のブラッドベリの作品においても、人生においても、ずっと重要な位置を占めつづけることになります。
ところが「映画」をもたらした母以上に、幼いレイ・ブラッドベリの感性に影響と刺激を与えた人物がいました。叔母のネヴァ・ブラッドベリでした。このネヴァ・ブラッドベリ、しばしば叔母としか記されることが多いようで、かなり年配の女性かとおもわれこともあるようですが、実はブラッドベリよりも10歳だけ年上の可愛らしい少女でした(レイはネヴァのことが好きになる)。ネヴァは絵や一コマ漫画を描くのが大好きな少女で、演劇部でも演技し、衣装を縫うのも得意でした(ネヴァは後にシカゴの美術館付属美術学校に入学)
ネヴァはレイが5歳のクリスマスに、本を贈っています。『むかしむかし』1921年初版、ランドマクナリー社)という「ジャックと豆の木」「美女と野獣」「親指トム」「シンデレラ」などのお伽噺がたくさんのっている本でした。このお伽噺集からブラッドベリ少年は、「物語」と同時に「イラストレーション」にも魅惑されるのです。レイ・ブラッドベリが生涯にわたって作品のイラストレーションに強いこだわりをもったのは、叔母のネヴァが贈ったこの『むかしむかし』がルーツだったのですブラッドベリは自著の表紙絵から内部のアートワークまですべてにわたって指示をだすことで知られる)。クリスマスの後、ネヴァはレイに自分の蔵書を見せました(小学校に上がる前年のこと)ブラッドベリ少年はその蔵書の中にあった『オズの魔法使い』シリーズ(L.フランク・ボーム作)にすっかり夢中になります(他にもルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』やエドガー・アラン・ポーの本があった)。夢中になった最大の理由は、満載されたカラフルな「イラストレーション」でした(憧れのお姉さんネヴァがオズの国からきたように感じていたという)
オズの魔法使い (ハヤカワ文庫 NV (81))
オズの魔法使い』に夢中になった直後に体験することになった祖父サム・ブラッドベリの死は(6歳の時)ブラッドベリの「想像力」を深化させていったようです。家族のなかの「死」。感受性が豊かだったブラッドベリ少年の世界に「別の色」が混じり込みます。祖父母の家の虹色のステインド・グラス窓から眺めた黄色いたんぽぽがある外界のように。その2年後(8歳の時)、妹が亡くなります。ブラッドベリ少年の心の裡は「命のはかなさ」でいっぱいになります。ブラッドベリがファンタジーの世界にのめり込む契機となったのは、祖父につづく妹の「死」からくる喪失感と罪悪感だったといいます(直接的体験はないものの兄の一人も亡くなっている)
そんなときブラッドベリ少年の心に映ったのは、街の劇場の壁に張ってあった魔術師ハリー・ブラックストーンの公演のポスターでした。この頃、アメリカ各地で舞台奇術(ステージ・マジック・ショー)は大人気で、なかでも魔術師ハリー・ブラックストーンはその頂点にいた奇術師でした。ウォーキガンでそのハリー・ブラックストーンが1週間公演をする。ブラッドベリ少年はぶっとびます。ブラッドベリ少年は1週間ぶっとおしで最前列のチケットを手に入れ、奇術をスケッチし記録し、トリックを解明しようとしたのです。図書館でも奇術の本を読みまくる日々がつづきました。
ブラッドベリ一家がニューメキシコ州へ旅をしたのはちょうどその年でした(6歳の時。1926年)。放浪癖がある父レオにとって西部は冒険の地でもあり、あわよくば仕事を見つけようとした旅でもあったようです(父は16歳の時にアリゾナへ行ったことがありその荒涼とした地にひどく惹かれていた。ブラッドベリも父と同様、放浪癖気質があることに気づいていく)。2週間程小さなアパートを借りて滞在した場所は、偶然にも20年余り後の1947年に未確認非行物体(UFO)が墜落されたとされるロズウェルだったのです。1950年(30歳の時)に刊行された『火星年代記』は、UFO騒動の余波のなかで書かれたものでした(火星の地表のような荒涼としたアリゾナの地形、20年前の記憶が一気に蘇った)。地球最後の恐竜を描いた短篇「霧笛」も、ニューメキシコ滞在時にアリゾナ大学の自然科学棟で見た恐竜の骨の記憶が発火点になったものでした。
火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)

3、4歳からの毎週の「映画」体験を下地にして、小学校にあがる前の5歳から8歳頃までに、ブラッドベリの感性は急速に涵養されていきます。ネヴァが住む祖父母の家には、ネヴァの蔵書に加え、祖父の500冊もの蔵書があったのですが、アリゾナで恐竜体験をした8歳の少年が「発見」したのは、パルプ雑誌「アメージング・ストーリーズ・クォータリー」でした。じつはその雑誌は、ネヴァや祖父のものではなく、その家に寄宿していた少女が置き忘れていったものだったのです。ブラッドベリ少年の目に飛び込んできたのは、そのパルプ雑誌の表紙に描かれた惑星や神秘的生物、空飛ぶ機械、ロケット船の「イラストレーション」でした。他のパルプ誌「ワンダー・ストーリーズ」を手にとるまでに時間はかかりませんでした。
そしてこの年、おだやかだったウォーキガンの夜に、「孤独の人」と名づけられ町をうろつきまわって家に侵入する謎の人物が出没し、ブラッドベリ少年の想像力にあらたな刺激を与えています(それはレイの見事な短篇「町みながねむったなかで」となり、『たんぽぽのお酒』にも出没し大きな役割を与えられる。「孤独の人」には幼い頃見た映画のせむし男が反映している)
翌1929年、米国発の世界大恐慌が吹き荒れます。9歳の少年にとっては大恐慌よりも恐竜であり、空飛ぶ機械であり、ロケットでした。ブラッドベリは地元紙の「ウォーキガン・ニューズ」紙に連載されだした漫画「二十五世紀のバック・ロジャーズ」(これはSFコミックの最初のものだった)にすっかり夢中になります。ブラッドベリ家もこの時期、経済的に困窮状態に陥りますが、家族は子供たちに気づかれないようにしていました。毎月曜日に「図書館通い」を恒例にするようになったのです。4歳年上の兄スキップに連れられ通いだした「図書館」にブラッドベリはわくわくします(家から数百メートルの所にあったカーネギー図書館。1983年製作の映画『何かが道をやってくる』で迷宮のような通路があり、机の上を照らすシェード・ランプのあるカーネギー図書館の様子が描かれた)カーネギー図書館には、オズの魔法使いシリーズや恐竜や奇術についての本、ミステリーや悪魔学の本もあってブラッドベリ少年は夢中になって読みふけるのでした。両親はレイが早熟な子供に育っていったことにはまるで気づかなかったといいます。
▶(3)に続く-未
▶Art Bird Books : Websiteへ「伝記station」 http://artbirdbook.com

▶「人はどのように成長するのかーMind Treeブログ」へ
     http://d.hatena.ne.jp/syncrokun2/

たんぽぽのお酒 (ベスト版文学のおくりもの)
たんぽぽのお酒 (ベスト版文学のおくりもの)
太陽の黄金の林檎 (ハヤカワ文庫NV)
太陽の黄金の林檎 (ハヤカワ文庫NV)
死ぬときはひとりぼっち
死ぬときはひとりぼっち
恐竜物語 (新潮文庫)
恐竜物語 (新潮文庫)
黒いカーニバル (ハヤカワ文庫 NV 120)

さよなら僕の夏
さよなら僕の夏