伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

アナ・ウィンター:その複雑なメンタリティーな訳(2)

14、5歳からヴィダル・サスーンのショップに通いボブ・ヘアに、高級サロンに毎週通いだす。ツウィギーへの憧れとスタイリッシュへの完璧主義的こだわり。当時の先端の流行「ミニスカート」を制服で表現、退学へ。ファッションに疎かった母から愛情を注がれなくなった複雑なメンタリティとファッション


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▶スタイリッシュなボブ・ヘアにするため、アナが14、5歳の時から通いはじめたのは、王室御用達のスタイリストでもあったヴィダル・サスーン(メイフェア地区の店)の店でした。アナの憧れの存在で、人気音楽番組「レディ・ステディ・ゴー」の人気司会者キャシー・マクゴーワンがこの店に通っていたのを知り、『ヴォーグ』からお気に入りの写真を切り抜きその写真をスタイリングしたスタイリストを指名したのでした。この頃はキャシー・マクゴーワンのファッションだけでなく振る舞いや言葉使いまで真似していました。また同じ頃、美容室だけでなく、毛髪専門のクリニック(毛髪学者フィリップ・キングスレー経営)にも通いだしているのには驚きます(最も最初に通っていたのは父で父のアドバイスからだったが)。

さらにティーンのバイブル『セブンティーン』(最初はヴィヴィアンから貸りていた)に掲載されたスキンケアの記事をむさぼるように読み、フェイシャル・トリートメントを受けるため高級サロン(エリザベス・アーデンよりも高額)になんと毎週のように通いだすのです。まだ若いアナの肌が荒れているわけもなく、きれいな肌への執着からきた行動でした。サロンでアナは最年少の顧客でした。基本的には早熟な「大人ごっこ」からはじまったようですが、アナが「完璧主義者」の傾向があったことと家の環境が、「大人ごっこ」で終わらなくさせたともいえます。

そんなアナにとって外見に気を遣わない者は誰も彼も「批判の対象」となり、「信じられない」を連発し、嫌みを繰り出し、他人の存在など気にもとめませんでした(なんと嫌みな女の子だったことか。伝記ステーションということで個人的見解はひかえますが)。そんなアナもじつはこの時期、視力が弱まっていて(弱い視力は有名なあのサングラスにつながる)、大きな鼈甲(べっこう)眼鏡をかけなくてはならないほどだったのです(何事もスタイリッシュでなくてはならなかったアナはほとんど眼鏡をかけなかった。教室で眼鏡をかけないことは黒板の字が読めないことになる)


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早々とファッションに目覚めた娘を両親に理解する術はありませんでした。「アナの才能はウィンター家から継いだものではなく、成功の秘訣は持って生まれたものだ」と言う声もありますが、「マインド・ツリー(心の樹)」的解釈を試みれば、持って生まれたものに帰することはおよそ間違いですし、そうした見方は、ココ・シャネルの成功の秘訣は持って生まれたものだということと同じことですが、本ブログの「ココ・シャネル」にあたって頂ければ、才能を「持って生まれたもの」に還元することの無意味さと虚無が再び甦ってきます。
Front Row アナ・ウィンター ファッション界に君臨する女王の記録


この頃アナは仕事一筋の父だけでなく母からももはや関心と愛情を向けられなくなっていました。母は家庭に愛情を注ぐかわりに里子に愛情を注いでいたのです。社会奉仕こそ母エレノアが充実感を味わえる対象だったのです。アナのファッションやスタイルへの強いこだわりは、それらに疎い母への反逆でもあったのです。アナは実際、本当の子供である自分に関心が向かなくなった母に対し怒りをおぼえているのです。


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スタイリッシュさは、もちろん自身の身体も対象でした。14歳の時には、ツウィギーへの憧れから食生活も徹底的に変えランチはリンゴ一つ。スタイルへのこだわりは凄まじく、その自制心もふつうの高校生離れしていて、クッキーだけで血糖値をあげていたほどです(時々高級レストランでヴィヴィアンと贅沢なランチを摂った)。雑誌やガイド本から人気のレストランやパブ、クラブの情報をランクも含めてチェック。そうなれば学校など真面目に出るのもバカらしくなり、急病はお手のもの、大伯母の葬式も嘘なんかでないはずがありません。ヴィヴィアンとお茶し、ショッピングや美術館、映画館へ繰り出しました。この頃のアナの夢は、ミニスカートをはいたお洒落な獣医師になることでした。この頃夢中になっていた乗馬とファッションがアナの心の裡で結びついたのです。

高校のクイーンズ・カレッジ時代、クラスメートからアナは自分勝手で怒りっぽく、規律も複雑なメンタリティをもった女の子だとおもわれていたようです。女同士の友情にまるで思い入れがなく、友達になったとしても長続きさせる気はなかったといいます。厳しい規律と学校の雰囲気に嫌気がさしたアナは、両親に訴え別の一流高校ノース・ロンドン・カレジエイトに転入。
同じく転校生だったヴィヴィアン(父親は知識人向け雑誌「エンカウンター」の創設者兼編集者)ティーンエイジャー時代唯一のアナの親友になります(ヴィヴィアンの家庭も両親の不仲などトラブル続き)。が、この高校でも学校指定のびざまな運動着に嗚咽し、脚線美を保つためアナは体育の授業はズル休みばかり。先生たちに怒鳴られることになるスカート丈を上げたショートスカートは、ちょうど流行しだしていたファッション・トレンドの「ミニスカート」をアナなりに取り入れたもので、ひるむことのない校則破りは校内で大問題に。登下校時に茶色のベレー帽を被らずにいたことも目撃した卒業生が告げ口、校長はアナを叱りとばしますがアナを矯正することはもはやかなわないことでした(校長が父の義兄の友人だったのでかなり大目にみてもらっていたが校長が代わって事態は一変)


セレブ・モンスター化しはじめたアナにとって拍車をかける出来事は、15歳の時のウィンター家の引っ越し。新たに移り住んだケンジントン地区にある上流階級住宅地の家は4階建ての瀟酒な一軒家(なんとベッドルームが9室、バスルームが4つもある)で、アナは早々と自分の部屋をあてがわれたのです。自室を飾るためインテリアに目が肥え出したのもこの頃からで、門限もなくプライバシーも手に入れたアナは、アガサ・クリスティやドリス・レッシングの本に飽きれば日夜デートに繰り出しクラブ遊びに拍車がかかります。若さと華やかな顔立ち、シャイなのに我が侭、そしてその謎めいた雰囲気はどんな年齢の男たちをも惹きつけますが、アナの好みは年上ときまっていました。

ジャーナリストやライターに惹かれるのはすでにこの頃からで、やはり無意識のうちに父の代わり、しかも自分にだけ愛情を注いでくれる面倒見のよい父親タイプをこそ求めていました。どんな手をしてでものし上げれという価値観を持ち、交友関係の広い10歳年上のゴシップ記者と交際しはじめたのは16歳の時でした。とにかく60年代に旋風を巻き起こし少女たちを失神させていたローリング・ストーンズビートルズなどのロック・コンサートや当時のアイドルたちもアナの視界に入ってきませんでした。アナの憧れは、年配の俳優ローレンス・オリビエで何度も観劇に出向いています(映画はローレンス・オリビエが出演するヒッチコック映画『レベッカ』の大ファンだった。下掲のYoutube参照)


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そして16歳の時、両親との溝はさらに深まります。母は米国ラドクリフ大学、父はケンブリッジと高学歴で、娘にもふさわしい大学に進学することを望んでいた両親は、「家族で大学に行かないのはお前だけだ」とアナをあげつらっています。ミニスカートが原因となってアナの退学は決定事項になってしまったのです。娘アナを憂いた父は、ロンドンの老舗高級デパートのハロッズの研修プログラムに参加できるよう口添えしています。

ハロッズではティーン向けブティックでスカーフやアクセサリーを扱うショップ店員として働き、「バイヤー」になる夢を抱くようになります。また両親の命令で、ファッション・スクールに通いだしますがこちらは授業に辟易しすぐにドロップアウト。ニューヨークならば自分に合ったファッション・スクールがあるかもしれないと、当時女性誌のエディターをしていた母の従姉妹の所へ(従姉妹は女性誌のエディターをしていたが母と同様ファッションには関心がなかったためアナの視界の外へ)女性誌の編集者をしていたことが多少ともアナに影響を与えたかもしれませんが、アナは1カ月もの滞在のお礼を言うこともなく従姉妹を憤然とさせ帰国しています。


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帰国後、「バイヤー」になる夢は一気に消え去り、「ファッション写真」がアナを熱中させていきます。トレンディ雑誌のファッション写真を撮影する5歳年上のフリーランス・フォトグラファーと出会ったのです。ジャーナリストかライターだったアナの男性の好みにはじめて(ファッション)「フォトグラファー」が登場することになり、後のヴィジュアルに強いアナ・ウィンターが準備されるのです。
▶(3)に続く-未

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