伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

『あんぽん』に描かれた孫三代のディープすぎる血と骨の物語。九州一のパチンコ屋をつくりあげた父だけではなかった息子正義への大きな影響。家系のプライドから「商い」をやったことがなかった一族

あんぽん 孫正義伝

「だから親父は、僕がちっちゃいときからいつも言っていました。正義、俺の姿は仮りの姿だ、俺は家族を養うために仕方なしに商売の道に入っていったけれど、おまえは天下国家といった次元でものを考えてほしいってね。だから、僕は小さいときから商売人になろうと思ったことは一瞬もないんですよ。商売って要するに、できるだけ安く買って高く売ることですよね。でも事業家は違います。鉄道や道路、電力会社など天下国家の礎を作るのが、事業家です」(『あんぽん』佐野眞一小学館 p.101)


孫正義伝『あんぽん』は、人間というもの、そして人間の成長について、驚くべき”秘密”を書いてしまっています。人間はその幼少期に、どんな生育環境で、どんな気質の人間たちと関係しながら育ち、絶えず何を見、何を言われ、何(誰と)接触し、何を感じていたか。「三つ子の魂、百歳までも」、この言葉は、孫正義の人生にも如実にみられます。そしてここに「三代の魂、百歳までも」とでもいうべき新たな言葉を、つけ加えたくなる衝動に駆られます。
人間は、とりわけその幼少期、周りの人間とのかかわりが人間的栄養源になります。その吸収力は、まさに植物の根の如し。かかわりが密であればある程、根はたちまちに長く深く、密度をまして伸びていきます。そこに生まれでるのが、「根力」「根性」であり、その人間の「粘り(根張り)」です。
一般的に「伝記」本は、そうした状況を客観的に叙述していきます。「個人の生涯にわたる行動や、事績、業績を記録、叙述したもの」というのがおよそ一般的な「伝記」の方法論。ところがノンフィクション作家・佐野眞一はそんなカテゴリー的な叙述方法をとっていません。「内臓から抉るように内側から」(主観的ともまた異なる)、描きだし、次いで本人の背中から描く。そのため孫正義本人すら半分以上も知らない話がくりだされます。しかし取材から得た多くの話しは、孫正義の鼓動を掴みます。なぜならそれらはかつて孫正義の足下にたしかにあった鳥栖の豚の糞尿の匂いがたちこめるバラック小屋の「無番地」の土壌につながるもの、孫正義の”根っこ”となっているものだからです。

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「両親にはやっぱり一番感謝しています。僕の原点は何といってもかけがえのない親父であり、おふくろなんです。そしてその両親と一緒に暮らした子ども時代のあの環境そのものが僕をつくってくれたんです」(『あんぽん』佐野眞一小学館 p.391-92)

ところが佐野眞一孫正義の類例のないパーソナリティを、親父とおふくろという孫が語る「僕の原点」だけから生じたものでないことを取材を通して嗅ぎ取っていきます。そこにあったのは玄界灘を渡ってきた孫家と母方の李家それぞれの朝鮮人一族三代の過酷な歴史です。孫一家が、佐賀・鳥栖駅前の朝鮮部落から身を起こし、豚の飼育・売買と密造酒を売って生き抜いていた父の孫三憲が、サラ金業に、九州一のパチンコ店経営、不動産、焼肉店、ゴルフ場経営にまで手を拡げていったこれまた無類の事業家だったことは、『あんぽん』以前に孫正義をテーマにした書籍ですでに語られていた部分もありました。ゆえに無類の事業家の父のもとに生まれた、稀代の異端児・孫正義の誕生と、いっけん合わせ鏡のようにとらえられたこともありました。ところが鏡はさらに重なっていたというわけです。
『あんぽん』が炙り出すのは、父と子の物語でも、孫一家の物語ではありません。もの凄い感化や影響はあったにしろ、稀代の異端児・孫正義はもっとおおきな土壌のなかから生まれてきた。たとえ話しで言ってしまえば、「巨人の星」の星飛雄馬星一徹とのあの異様な親子関係だけから生まれたのではなく、星一徹の父、つまり星飛雄馬の祖父や祖母たちの国境に引き裂かれた過酷な生涯、さらには玄界灘を越えて強制労働でやってきた母方の一族たちの影響が陰に陽にあって、星一徹の異様な気骨が生まれ、「ワシが野球をやっているのは仮の姿なんだ。お前に野球を教えても、お前には天下国家の次元で考えて欲しい」と言って息子に大リーグ養成ギブスをつけさせた(じつは孫正義少年は自分自身で「巨人の星」を真似て、自ら大リーグ養成ギブスをつくって身につけてトレーニングしています)。
まあ大雑把にそんなイメージでしょうか。じつはここで野球を唐突に持ち出したのも、今ではソフトバンクは「ホークス」の親会社。九州唯一の球団をもつ会社です。そして孫正義少年も少年時代、野球少年(サードだった)でならしていたのでした。実際に、好きな野球をもっと大きな視野で見た時、どう考えるかという視点がある意味実現化されたといってもいいかもしれませんダイエーホークスを買収したらどうかというアイデアはじつは父三憲から出たものだったという)

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「うちの一族は商売なんかする家柄じゃない!と親類から凄い嫌がらせを受けた」とは?

この言葉は、祖父の孫鍾慶が日韓併合の時代が終焉し朝鮮半島植民地時代に日本軍が土地の多くを接収。土地を失った貧しい小作農は食べていけず、徴用に応じ日本の地へ、鉱山へ)、韓国へ帰国した時、生地の大邱(テグ:釜山から新幹線で40分のところにある慶尚北道の都)で、田畑がすっかり荒廃してしまっていたため、小さな商いをはじめた孫鍾慶が親類から凄い嫌がらせを受けた時の言葉だといいます。冒頭にあげた父の孫三憲が正義少年に語った「商売をしている姿は、俺の仮りの姿」なんだ、という言葉を裏書きするような言葉です。
孫家はどんな家柄だったのか。先祖は武人か学者の家系だったといいます。孫家の家系は、西暦500年頃の中国の将軍から「孫」の姓を与えられた大臣が孫家の始祖だとされ孫正義は25代目だとされる)、中国の紅巾の乱での貢献で中国の王から褒美をもらっているといいます。ところが日韓併合の時、日本軍に土地を取りあげられ小作農ではもはや食べていけない。結局、祖父の孫鍾慶は、今度は密航で再び日本へ渡らざるをえなかった。
息子の孫三憲孫正義の父)は、鳥栖駅前の、豚の糞尿と密造酒の匂いが立ち籠めた「無番地」のバラック建ての家に住むまでに転落。その「無番地」のバラック建ての家こそ、孫正義が幼年期を過ごした家でもありました。孫の父・三憲は中卒です。祖父・孫鍾慶から高校に行かせられないので働いてくれと言われ、中学を卒業したその日から魚や闇の焼酎の行商をして働いています。
父・三憲のこの厳しく苦しい体験こそ、「商い」への感覚が研ぎすまされていくのですから人生何が起こるかわかったものではありません。母の李家もまた半島から根をもぎ取られ、炭鉱から身を起こした一家でした(坑夫募集の甘言にのせられ九州へ。母方の祖父は筑豊炭鉱で働き戦後は廃品回収業を営む。孫正義は母方の叔父は麻生炭鉱の爆発事故で亡くなったと記憶していたが、実際には三井山野炭鉱だった。通信網や新エネルギー政策など国家的基盤の事業についての関心の源流は幼少期のそうした記憶も決して無縁ではないらしい)。堅気がいなくなった一族に流れる我武者らさー「血と骨」の物語、日本の企業エリートが決して持ち合わせない「反抗の血」はそんな背景から生まれたものでした。

孫正義を「商い」に感化させた父・三憲については、サラ金で一儲けしパチンコ業をおこし九州一のパチンコチェーンをつくりあげ、不動産やゴルフ場経営まで手をのばし億万長者になった凄まじい「やり手」であり、その「商い」の強面の筋から孫正義が誕生したとみられがちですが、『あんぽん』では孫家の別の相が描かれ多くの読者を驚かせます。じつは父・三憲にとって、金貸し商売ははなっから気性に合わず、長くやる商売ではないというのが口癖で(焦げ付きの取り立てを厳しくやれない性格だった)、その性格はまったくの「商売下手」だったといわれている祖父の孫鍾慶そっくりだったというのです。祖父の孫鍾慶は廃品回収の仕事をしていた時、扱ったブツが盗品だと知ると慌てて返しにいくような正直者で、根が本当に真面目な人だったと。そういえば孫正義の名の「正義」がつけられたあたりにも、そんな孫家の気質があらわれでているようです(その一方で、父の実の姉弟同士たちは情念と怨嗟にまみれ顔を合わせればいつも殴りあいの喧嘩に。三憲が本当に「血はうらめしか」という血の濃さ)。
では情念にまみれながらも根が正直者で「商売下手」の孫家は、なぜ化けたのか。困窮さがそうさせたのだろうか。『あんぽん』はその謎を、孫家の家風の核にあった両班の末裔だという強烈なプライド、父・三憲の誰も手におえない強情さや息子正義に対するかなりかわった「天才教育」(自分の子ではなく「社会の子」として扱い、正義にお前は「天才」だといつも言っていた)孫正義が小学校にあがった時にはすでに貧困から脱し、正義少年が経験した貧困の期間が短期だったこと(小学校高学年には、パチンコ業が当りに当り祖母が居つくバラック小屋の前にはベンツが5台も10台も並んだという)、小学生の時にすでに父と商いの方法について話しあったりしたこと、さらには父方の祖母の存在や、孫正義の母方の李家(日本姓・国本)の”濃い”性格孫正義にとっての母親譲りのもの)と、李家の兄弟姉妹のアクの強い者たちが周りにいたことなどに言及しています。
▶(2)に続く-未

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孫正義 働く君たちへ: 「腹の底からの思い」を語ろう
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