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あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

メッシ(1):「成長ホルモン欠乏症」に罹っていた少年

「成長ホルモン欠乏症」に罹っていた少年時代。4歳の時、サッカーボールを両親からプレゼントされる。4歳からすでにボールを巧みに扱い周囲を驚かす。サッカー狂の一家。幼少期から無口で内気な性格だった

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「身長が低いという相談でした。そういう患者は毎日たくさん診ています。ホルモンの問題なのか、それとも単にいわゆる”晩熟(おくて)”なのかを見極めるにはいろんな検査をしてみる必要がありました。
内分泌腺が成長ホルモンを分泌しないんです。
 ……メッシのようなケースはそう多くはありません。統計によると、生まれてくる子供のうち2万人にひとりです。いいですか、これは遺伝性ではないんです。

わたしが覚えているのは病気にとてもけなげに向き合っていたということです。治療やさまざまな検査、採血のような苦痛をともなう侵襲性検査でさえも、いやがらずに受けていました。この点に関しては、ご家族はたいへん助かったでしょうね」(アルゼンチン・ロサリオ市にある内科内分泌科クリニックのディエゴ・シュワルステイン医師の言葉:『メッシー169センチの、本気!』(リーカ・カイオーリ著 井上知訳 2010年 東邦出版 p.53~54)


なんとメッシは少年時代、「成長ホルモン欠乏症」に罹っていたのです。冒頭の一文は、バビーフットボール(アルゼンチンの子供に普及されておるミニサッカー)をしていたメッシ少年9歳半の時、あまりにも身長が伸びないため、成長の遅れを心配した両親が内科内分泌科クリニックに連れていった時のことを後に医師が回顧して語ったものです。
この事実はアルゼンチンでは広く報道されたことがあったため(後に日本も含め世界中でも今では知られているようです)、「成長ホルモン欠乏症」の子供をもつ親がメッシのことを知って治療に殺到したといわれています。

現在もメッシは身長169cmで、外国のサッカープレイヤーの中でもひときわ背が低いのですが(あの長友佑都は公式身長170cm、実際は167、8くらいだと言われている)、成長ホルモンを促す適切な治療を何年も継続した結果、この身長にまでなったとのこと。

10代前半まではずっと120cm代だったといいます(他の兄妹はまったくふつうだった)。それでもメッシ少年は、小さな頃からサッカーが桁違いに巧かったといいます。
「成長ホルモン欠乏症」に罹っていた一人の少年が、いかに世界のスーパースターになったのか。何が他の少年たちと異なっていたのか。どんなマインドを持ち、どんな生育環境にあったのか、どうサッカーに感化されていたのか、見てみましょう。

「スラムから成り上がった選手にはよくあることさ。サッカーによって貧困から抜け出せても、その後うまくいかないとスラムに逆戻りだ。アルコールやドラッグにおぼれ、自暴自棄になる。結局、違いは教育にあるんだ。レオの場合、彼を見守り、今のレオになるのに力を貸した父親と母親がいた。家庭環境がサッカー選手の成功する要因のひとつだと思うよ」(『メッシー169センチの、本気!』より(10代の時に所属していたニューウェルズの元監督の話。リーカ・カイオーリ著 p.48 東邦出版)

10代前半の所属チームの元監督がこう語るように、まずはメッシの両親のことです。
父のホルヘは、アルゼンチンのロサリオから50キロ離れたビシャ・コンスティトゥシオン市にある製鉄会社に勤務(担当部門の主任)していました。父より2歳年下の母セリアは磁気コイルを製造する工場で働いていました。
メッシはスラム出ではありませんでした。スーパースターになってもまったく以前と変わらずサッカーに集中できています。いろんな少年をみてきた元監督が強調したのはまずはこのことでした。

もっともメッシ家が育ったのは、ロサリオ市内の貧しい労働者階級の街で、実際に、母の父は修理工冷蔵庫などの家電製品を修理し、その母(メッシの母方の祖母)は長年掃除婦をしていました。
一方、ホルヘの父(メッシの祖父)は、建築関係の仕事をし、父方の祖母は通いの家政婦でした。偶然にも両親の家は100メートルしか離れていませんでした。いっけん何気ないメッシ家ですが、あらためてみればこのラテン気質のファミリー全員がきわめて堅実に生きてきたひとたちばかりだということに気づかされます。


メッシ(2)に続く