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あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

デイヴィッド・リンチ(2):「映画」と「絵画」と


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小さい頃から絵を描くのが好きだった。

庭に「発見」した生命の活気と死

デイヴィッド・リンチ(1)の続き:

デイヴィッドは小さい頃からいつも絵を描いたりそこに色を塗っていたといいます。描いていた多くは当時一番のお気に入りだったブルーニング・オートマティック水冷式サブマシンガンで、ピストルや弾薬、飛行機もよく描いていました。

第二次世界大戦が終焉し、周りにはまだその感覚や空気が漂っていて、デイヴィッドは木製のライフルからヘルメットにアーミーベルト、それに飯盒(はんごう)ももっていた頃でした。絵を描くことが好きだと分かった母は、デイヴィッドに塗り絵帖を買い与えることはしませんでした。

それは創造力についての母エドウィナなりの考え方で、塗り絵帖を与えてしまうとせっかくの創造力やイメージ力を限定してしまうと思ったからだといいます。その代わり、父がいろんなサイズの紙を山のように持ち帰ってきていました。林業にも関する仕事だったので、紙だけは仕事柄いくらでも手に入ったのでした。

 

おそらくは絵を描いていた頃のこと、デイヴィッドはクローズアップで好きなものを描いているのが好きだったので、少年デイヴィッドの世界は、2ブロックほどの範囲以内ですっぽりと収まってしまったいたといいます。

実際に、その範囲以外の記憶がほとんどなく、思い起こすことができないというのです。けれどもその2ブロックの範囲内の世界は、少年デイヴィッドにとって一つの宇宙のように広大で無限でした。

それは物事のディテールが虫眼鏡を通して見るかのように異様に膨らんでくるかのようにーミクロコスモスが目の前に迫り来るかのようにー少年デイヴィッドの感覚を捉えるのでした。

走り回るのが仕事の子供ならば、一足で飛び越えてしまったりするような庭の片隅にしゃがんで、デイヴィッドは何時間でも過ごすことができたといいます。

 

その庭は一皮剥けけば生命の活気に満ち、いろんな世界が出現することがいったん分かれば、子供にとってもう一つのプレイランドの家の中は、少年デイヴィッドにとっては閉所恐怖症をもたらしかねない場所になっていました。

それでもデイヴィッドが子供時代は、牧歌的で本当に幸福だったと思えたのも、庭の<自然>と<生命の多様性>がすぐ近くにあることを知ったからだったのです。

同時に、幸福な少年時代であったがゆえに、その庭で誰にも知られないままおこなわれている生命の腐敗や死、生き物同士の攻撃や虐殺があることを知ったデイヴィッドは、美しいものの裏側、世界の裏側のことに敏感になっていったのです。


少年デイヴィッドの「マインド・ツリー(心の樹)」は、家の庭を芝生の裏側に無数に根を這わせ、さらにそこと地続きの深い森へと続いていたにちがいありません。

そしてその根は、生命<span class="deco" style="font-size:small;">(いのち)</span>が水分とともに別の生命の腐敗と死からなる養土としていることを感知してしまっていたのです。

 

そのため幸福な少年時代だったと同時に、少年デイヴィッドは、一方で「子供の頃は恐怖の中で暮らしていたというより苦しんでいた。こんなの普通じゃない」と感じ取っていて、自分だけがどうもどこか感性帯が違うのではないかという疑いが生じてきて、それは子供ながらほとんど確信に近いものがあったといいます。

 

映画『イレイザーヘッド』の異様な胎児や、チーズと七面鳥の肉で人間の頭のかたちをつくりそれを粘土でくるんで蟻がやってくるのを待ってつくった「クレイ・ヘッド・ウィズ・ターキー、チーズ・アンド・アンツ」というアート作品などは、その確信の延長線上にあるものにちがいありません。

 

デイヴィッド・リンチは自身を「アイデアやイメージに波長を合わそうと試みる”ラジオ”のようなもの」と形容していますが、自然や生命もまた何処か”向こう側”からやってくるのであり(それはデイヴィッド・リンチが映画製作において偶然や事故、ツキや直感に対しつねにオープンだということにつながる)、それに静かにチャネルを合わせようとすることが、そもそも創作のはじまりであり重要な要素なのです。

サウンドやリズム、イメージの質感、色感覚に、異様にこだわるのも、空間のなかの”見えない”領域や地形を感受するからに相違ありません。


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画家だった友達の父のスタジオを訪れ、

画家の道に全力ですすむことを決意

 

14歳(1960年)は、少年デイヴィッドにとって一大転機の年でした。将来どうなるのだろう、どうしたら一番いいのか、あまりにも獏(ばく)として、絵を描くのが好きだということ以外なにも思いつかなかったといいます。

せいぜいが父が林業関係の科学を専門にしていたので、薄ぼんやりと自分もそうなるのかなと思っていたくらいでした。ところがある日のこと、当時のガールフレンドの家の前で、友達のトビー・キーラーに偶然会ったことが少年デイヴィッドの運命を決定づけます(じつは友達のトビーはその女の子が好きで家の近くに居合わせたのだった。

 

後にトビーはデイヴィッドから彼女を奪うことになる)。トビーはどうもデイヴィッドが絵を描くのが好きだということを知っていて、自分の父は画家なんだとデイヴィッドに教えたのです。

トビーの父はアート界にその存在が広く知られる画家ではありませんでしたが人生を絵に捧げていた渋い画家で、デイヴィッドはワシントンD.C.近くのジョージタウンにスタジオを構えるトビーの父ブッシュネル・キーラーを訪ねます。

 

少年デイヴィッドはブッシュネル・キーラーに会い、絵を見て、本当に魂に触れたといいます。まるで即答で、絵の道にすすむことを決意したほど、映画監督デイビィッド・リンチとなったいまでも、人生のなかで屈指の素晴らしい出来事だったといいます。

ブッシュネルは少年デイヴィッドにロバート・ヘンリー(ヘンライ)が著した『アート・スピリット』という本を教えてくれました。

 

芸術的生活の規範を示した内容が語られたこの本は、少年デイヴィッドにとって「聖書」となります。叔父母の店の隣で風景画を描く夫婦と一緒に絵を描き、またいつも絵を描くことが好きで好きで仕方のなかった少年デイヴィッドだったからこそ、ブッシュネル・キーラーの存在や『アート・スピリット』が少年デイヴィッドの魂に深く届いたのです。

樹幹からまさに太い枝(画家へ)が生えだそうとしていた状況だったにちがいありません。


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イーグル・スカウトに所属、ジョン・F・ケンディの大統領就任式に立ち会う

またこの頃、ボーイ・スカウトに参加していた少年デイヴィッドは、勲功バッジを集めるため精力的に活動し、晴れてイーグル・スカウト(ボーイ・スカウトの中でもリーダーシップがあり優秀な者の僅か2%程しかなれない)に所属することになるのです。

世間的にはこの頃、ボーイ・スカウトは徐々にどこかダサイ存在になってきていたといいます。デイヴィッドによれば、当時イーグル・スカウトですらどこか恥ずかしくなるような空気があったといいますが、勲功バッジとその狭き門は少年デイヴィッドにとって精力を出し切るべき対象であったことは間違いありません(イーグル・スカウトと同時に絵も精力を出し切るべき対象に)。

 

優秀なイーグル・スカウトに所属できたおかげで、少年デイヴィッドは、1961年1月20日ジョン・F・ケネディの大統領就任式で、ホワイト・ハウスの外の観覧席のVIP席に、他のイーグル・スカウトのメンバーとともに招待されるのです。

その日は少年デイヴィッドの誕生日(15歳)でもありました。1メーター50センチ程の目の前をアイゼンハワー大統領と、これから大統領就任式に向うジョン・F・ケネディが車に乗って移動していく姿を目撃するのです。

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David Lynch: Lithos

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