キース・リチャーズ(2):自伝『ライフ』に記されていた驚くべき事実
さてこの頃には、少年キースは聖歌隊(イギリス有数の聖歌隊に成長をとげた。ウエストミンスター寺院内の教会でエリザベス女王の前で学校対抗の合唱コンクールに出場)に所属し、優秀なソプラノとして学校を代表して活躍していていました。
キース・リチャーズ(1)より:一方、少年キースの「ワル」が突如あらわれだし、軌道がズレだした時期と理由を知っておくとよいかとおもいます。
時は13歳。なぜ少年キースは、学校に対して「敵意」をもちだし「反抗」しだしたのか。それは学校側の少年キースに対する心ない仕打ちがあったからでした。
「当時の俺にはこの国と国が象徴する、あらゆるものをぶち壊すだけの理由があったんだ。それからの3年間は学校を困らせるために費やされた。反抗者を育てたけりゃ、あんなふうにすりゃあいい。もう散髪はしない。
……学校が困ることはなんでもやった。それで何か得られたわけじゃない。親父からは何度も顔をしかめられたが、それでも俺はやめなかった。今思うとすまないことをした…悪かったな親父。
だが当時の俺はそれどころじゃなかった。今でも心がうずくんだ。あの屈辱はいまだに消えてなくならない。あの燃えたぎる怒り。世の中を疑い始めたのはあのときだ。ただのいじめっ子より大きないじめっ子がいることに気がついたのは、あのときだった。
やつら、権威や権力者のことだ。退学になろうと思えば簡単になれる方法はいくらもあった。しかし、そうなるとわざと退学になったことを親父にたちまち見抜かれただろう。だから、ゆるやかな作戦にせざるをえなかったんだ。
いずれにしろ、学校にも、思いどおりいい子にする努力にも、完全に興味を失った。通知表? 好きなのをよこしな、いくらでも書き換えてやる。俺はすごく偽造がうまかったんだぜ」(キース・リチャーズ自伝『ライフ』p.59)
何が起こったか。それは13歳で変声期を迎え声が出なくなったソプラノ担当の3人(キースを入れ)に対し、学校側はツレなくお払い箱にし、早々留年を言い渡したのです。
学校サイドは授業の時間の一部が合唱のトレーニングがあてられていたことなど全く考慮ない無慈悲な留年宣告でした。
少年キースが学校を「敵意」しだし「反抗」しだしたのにはまったくもって充分な理由があったのです。
これは私自身にも状況は違えど身に覚えのあることで、お門違いも甚だしい留年宣告に多感な少年が反抗心を抱いて当然といえます。
キースが言うように「ただのいじめっ子より大きないじめっ子(=学校権力)がいることに気がついた」わけです。
一族のDNAともいえる自由奔放さに、この仕打ちからくる反抗心、それに音楽好きが相俟って、少年キースは無意識のうちにもある方向へと歩みだしていきます。
しかし、10代半ばではその方向が何なのかは、すべてが不確かで根拠もまったくないわけですが。『「まっとうな職につけ」「ええ?親父みたいにかい?」俺は親父に憎まれ口をたたき始めた。よせばいいのに。「俺にもバルブや電球を作れってのかい?」
「ただそのころ、俺は大きな野望をいだいていた。どう実現したらいいか、何か根拠があったわけじゃないが、なんのかんの言っても自分にはこの社会の綱を抜けて立派に戦える力があると思っていた。両親は世界大恐慌のなかで育った。何かを手に入れたら、必死にそれを守りつづけ、それでおしまいだ。
バート(父)は世界一野心のない男だった。一方、俺はガキだったし、野心がどういうものかさえ知らなかった。だが、俺の育っていた社会やら何やらは、俺にはちょっと窮屈すぎたんだな。
単なる十代特有のいきがりだったのかもしれないが、出口を探す必要があることだけは確かだった」(キース・リチャーズ自伝『ライフ』p.72
「何か根拠があったわけじゃない」っていうのもまさにそうで、少年キースはアコースティック・ギターをようやく手に入れた頃。15歳の時、母が初めてガット弦のギターを買ってくれたのです。
それからというものギターは、少年キースの身体の一部になります。魂の延長に。何処へ行くにもギターと一緒、とにかく他のことなどすべて忘れるほどに夢中。眠る時もギターと一緒でした。
これは超一級になるギタリストならばほとんど同じ光景といってもいいでしょう。ただ少年キースの場合はかなり几帳面なところがあり、スケッチ兼ノートブックに、聴き込んだロックンロールのレコード「リスト」を綺麗な文字で記しています。
エディ・コクランやエヴァリー・ブラザーズ、クリフ・リチャード.....そして別枠で書き込まれていたのがエルヴィス・プレスリーでした。
自伝『ライフ』では、エルヴィスの感動とはまた別に少年キースが圧倒的な感銘を受けたものについて触れています。しかも極めて重要なことにつながることです。
少年キースがエルヴィス同様に魅了されたのはスコッティ・ムーアとそのバンドでした。つまり、演奏をする「バックバンド」のサウンドとその存在が少年キースを虜にしたのです。
バンドのメンバーのなかで互いに反応しあい、そこから溢れだすサウンド。そうしたサウンドは一人の歌い手ではなく、「バンド」から生まれてくるものでした。少年キースにとって「バンド」はこうして特別なものになっていくのです。
「バンド」といえば、「ローリング・ストーンズ」!
キース・リチャーズはバンド「ローリング・ストーンズ」の要の位置にいつづけています。
キース・リチャーズの存在こそが、「ローリング・ストーンズ」が半世紀にもかけて、強力なバンドでいつづけられている理由です。
それは決して結果的に続いたというのではなく、バンドを結成する以前に、バンドリーダーとなるキース・リチャーズの心の裡に芽生えていたことだったのです。
身も心も打ち震えるサウンドは、「バンド」でなくては生み出せないものなんだと。
グループで「結束」することの面白さを、少年キースはギターを手にするより少し前に入団していた「ボーイスカウト」で発見しているのです。学校と違いボーイスカウトで、少年キースはあっという間に昇進しています。進級章(バッジ)を立て続けに幾つももらいパトロール・リーダーにすらなります。
キース・リチャーズは自伝『ライフ』の中で、「この頃の経験は思った以上に意味があったような気がする」「グループを組む訓練になった」と実際に語っています。しかも少年キースは、ボーイスカウトで「団結が堅い」グループをすでに結成していたのです。
こうした少年期のことはもちろん、自伝『ライフ』には興味がつきないことが数え切れない程書かれています。そのほんの一例をあげてみます。オープンGチューニングを発見した時のことです。
シタールの共鳴弦と同種の不思議な鳴り響きつづけるサウンド。「根源音(ルート・ノート)」=ドローンをついに発見し、これまで以上にギターサウンドの探求に向うキース。
この探求心にしてこのサウンド、そして半世紀鳴り続けたバンド「ローリング・ストーンズ」。最強のロックンロール・バンドの核心にあるものがここに記されているといって過言ではありません。
「夢中になってギターを学習しなおした。気持ちが奮い立つ感じがした。まるで別の楽器に向きあってる気分だった。
……五弦をきっかけに西アフリカの部族を訪ねた。すごくよく似た楽器があった。五弦楽器の一種で、バンジョーに似た感じだ。同じドローンを使っている。それが声と太鼓をすばらしく引き立てる。
その底辺には一貫して、全体を通り抜けていくひとつの音が潜んでいる。モーツァルトやヴィヴァルディの作品に耳を傾けると、あの二人もドローンを知っていたことがわかる。
ひとつの音を本来ないはずの場所に残し、消さないで、風に揺れるにまかせ、死者を美しく甦らせる。
いつどこでそれをやればいいか、あの二人は知っていた。これが音楽なんだ」(キース・リチャーズ自伝『ライフ』p.273)