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あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

M.C.エッシャー(2):「木材」「幾何学」への関心

 

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「木工工学」とM.C.エッシャー「版画」の世界。そうなのです。M.C.エッシャーは父の「木工」の世界を、自身のかたちへと変換し受け継いだといえるのです(と、同時に父の内面すら受け継いでいった)。


そんな父エッシャーは明治6年から5年間にわたって、日本政府招聘のオランダの土木技師として来日しています。そのうち1年近くを福井県九頭竜川の治水工事に携わり、地元の龍翔小学校の校舎(それが独特なかたちの設計だったと語られている)にもあたっています。

 

 

日本から帰国した父エッシャーは、マーストリヒトの地方技師のポストに就いています(遺産相続と日本での仕事で、エッシャー家の経済状況は好転。その2年後にブレダに転勤になってから真剣に結婚相手を探しはじめます。

(妻となったシャーロットは次男出産後に腫瘍の手術後に死去。M.C.エッシャーの母は父の再婚相手。義理の兄の薦めで大蔵大臣の娘と結婚。M.C.エッシャーが誕生した建物は後に市立美術館となり、後に若きM.C.エッシャーの展覧会も開かれる)。

 


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エッシャー8歳の時、木工作業がいつでもできる部屋を庭に増築しました。それは「木工」の世界(とりあえずの大工仕事)に子供たちが親しめるようにしたもので、2台の作業台が庭に置かれました(父の仕事の請負いの見習いをしていた者が定期的に子供たちに木工の手ほどきをした)。

後に木版をつくるようになるM.C.エッシャーの「木材」への関心は、この時からのものです。実際、梨の木の板のザラザラした表面を、濡らして繰り返しやすりをかけるテクニックはその時に教わったものでした。

 

さらになんとも面白いのは、あの独自の世界観をもった木版画は、M.C.エッシャー個人の個性や魔的な内面世界に、幾何学的、数学的な精神が接ぎ木され生み出されたようにおもわれるのですが、その源流はなんと幼い頃に父が読んで聴かせていたグリムやアンデルセン童話のものもあることです。たとえば作品「空中楼閣」(1928年作成;30歳の時)</span>は次の様に生まれてきました。

 


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「私はよく病気になりましたが、そんなとき父が本を読んでくれるのを聞きながら、次第にぼんやりと眠りについた思い出が、はっくりと残っています。父は声を出して読むのが好きで、とても上手でした。ローマではグリムやアンデルセン童話を読んでくれ、なかでも父の子供のころの本で、緑の魔法使いの物語が載っているのが、私たちみんなのお気に入りでした。空中に浮かぶ島に、亀に乗った王子の絵の木版画(作品「空中楼閣」)はこの物語から生まれたものです」(『M.C.エッシャー その生涯と全作品集』p.40) 

 

エッシャーの作品には、宇宙に関するものも数多くあります。「もう一つの世界」「四面体の小惑星」「二重の小惑星」「太陽と月」「星」「婚姻の絆」などがよく知られています。このモチーフのルーツもまた父との語らいと、天体望遠鏡を用いた観測にあったのです。 

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「父は王立技術者協会の名誉会員でした。父の趣味の一つで、家族全員が夢中になったものがあります。パリで購入した大きな天体望遠鏡で、それを自宅の屋根の上に取りつけたのである。そこで彼は子供たちと一緒に天体について学んだ。モーク(少年エッシャー)がなかでもこれに魅せられて、その興味は一生涯つづくことになった」(『M.C.エッシャー その生涯と全作品集』p.12)
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