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あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

尾崎豊(3):母の気象・気質が受け継がれた

母の気象・気質・性格は、兄よりも弟・豊に受け継がれたようです。尾崎豊の「心の樹」は、尾崎ファミリーそれぞれと強く重なりながらも、とくに母親と最も深く重なっていたとおもわれます。母の死後4カ月後に尾崎豊が突然不慮の死を遂げたのも母の死と決して無縁ではないと父や兄は考えているようです。


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尾崎豊(2)の続き:

9歳にしてのこの悟り感はどうだろう(別人格なのではというほどの)。自分を突き放し客観的に自身をみているだけでなく、このわずか1カ月後に、「希望」と記していた「尺八の先生」と「躰道の先生」と「自衛隊の三番隊長」は、「希望と言うことにしている」と本音を露にしているう希望が実際にあった。父にそうした物件を探してもらおうと要望もしている)。
この時期から2、3年後の次の中学1年の時の日記を以下にあげてみます。

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「午後、全科にわたって父の指導あり。後、ギター練習(テープレコーダー使用)。さて、本年より練東中1年生。中学生の自覚にもようやく目覚め、中間試験には平均約八十点の好レコードをつくった。目下、余暇はギターの練習に凝っている。塾にも喜んで通っている。できれば七月にはAクラスに進みたいものだ(現在Bクラス)。将来はよく決めていないが、両親には医師か弁護士になると言って安心させることにしている。ラジオのアナウンサーにもなりたいと思っている」

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この時期には、「医師」か「弁護士」が両親の希望だったようで、「勘」の鋭い少年尾崎は、表面的にはそう取り繕って両親を安心させておいたのでしょう。

じつは父・健一氏の著作ではあまり描かれていませんが、兄・尾崎康氏の著書(『弟・尾崎豊の愛と死』講談社)には、母は父とは対極的に怒り出したら恐ろしいほどの剣幕で、息子たちに厳しく接していたようです(外では外向的で快活な母は、家では内攻的になり、不安になり自身を苛み、悲観的になり、勢い時にヒステリックになるほど)。


母はどんな心情を持ったひとだったのでしょう。息子豊が高校を停学するようになった時の母の日記からその一端が伺えます。

 

 

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「毎日毎日心の重い日が続く。朝起きると、大きく不安が広がる。心の重さは仕事を何倍もの重さにする。疲れる。身も心も疲れ果てるのに眠れない。これが地獄の辛さかと思う。私の性格でもあろう。業が深いことだ。豊をにくむ気になれない。母親の業なのだ。可愛さあまってか、自分が辛いのだ。学校なんか、中退でもいいのではないか。豊には豊のこれからの人生がある。中退だから不幸になると考える必要はない。しかし。教養人として、よりよく世の中で生きる為に、私は(親として)学校を出したい。私の考えは間違っているだろうか……」

 

「毎日毎日、日誌だけをつけさせて、教育を放棄しているのではないか。そもそも停学とは教育の放棄ではないのか。悪い事をしたからと学校から放逐して家庭におしつける。そして子供も親も苦しみのどん底に落とし込む。希望を与えないでおいて、日誌をつけさせる。…そしてまたある日突然、訪問をうける。復学の望みは、またもたたれる。こうした繰り返しの停学三ヶ月の豊や私の苦しみ、悲しみを先生方は考えたことがありますか……」

 

「豊。とうとう三学年の文化祭に参加できなかった。逃げ出したいと思い、かくれたいと思い、この世から消えたいと思いながら、不安におののく日々の何と多かったことか。もっともっと極悪非道の子に泣く親もあることだろうと思うが、私には私なりの性格からくる悲しさがあった。親の育て方が悪かったのでもあろうと思う。それに対して、親として反省をし、また許しも乞わなくてはならないと思う。いま、少しずつ良くなってゆく豊をみる。今の停学が、豊の人間性を良質のものに変えてゆくのなら、このことは彼の一生にとってよかったのではないかとも思う」(『尾崎豊デビュー』尾崎健一著 角川書店 1993刊 p.38〜44)

 

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尾崎家の中で停学中、出口が見えず最も苦しんでいたのは母でした。母は停学のことで一人カウンセリングに何度も足を運び、次第に不眠症に陥り、コップ一杯のウィスキーを一気飲みする寝酒が欠かせなくなり、睡眠薬にも頼るようになっていきます(デビュー以降、尾崎豊不眠症に陥っていく)。

一方、どこか楽観的で恬淡とした父は、停学でレコーディングに必要な時間がとれるだろうからといった心持ちだったようです(後に父は、母が遺した日記を読みその悩みの深さに驚くことになる)。


尾崎豊の歌に漂う深い孤独感と真実の愛への渇望は、深淵をのぞきこむこほどに内面的に深く強く求める母の魂をどこか映しだしているようです。そこに父が好む哲学や思想が流れ込んでいきました(CBSソニーのオーディション時、尾崎が鞄に入れていた本は、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』。父と豊は高校時代をのぞき、よく哲学や思想、宗教、芸術のことを語り合ったという)。

 

また、父によれば、息子豊が歌う「愛に飢えた孤独感」の根元には、(母が3カ月間入院し)1歳4カ月の時に信州高山の祖父母の家に預けられたことと、なついた頃には婆ちゃんとの急な別れとなったことが無意識の裡の心の深い傷になっていたのではと語ります。

 

実際、尾崎豊自身も遠いその時の記憶によく思いを馳せていたほどでした(祖母が亡くなった時に、実家の寝室で祖母の霊を感じとっている)。

次回は、尾崎豊が4歳の時、毎日のように父や母のところに持っていって読んで欲しいとねだったある「絵本」について紹介しようとおもいます。その絵本は豊少年の柔らかな感性に刺激を与えたようなのです。
&#9654;(3)に続く-未