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あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

立花隆(2):読書好きになった環境


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立花隆(1)の続き:
立花隆は自身の若い頃からの放浪癖は、伯父(4人兄弟だった父の一番上の兄)の血筋を引いたのではないかと語っていますが、その伯父は最後には東京・三谷に辿りつき居着いています(隆志少年は”三谷のおじさん”と呼んでいた)。

その後、父は全国出版協会の事務局に入り、機関紙「全国出版新聞」の編集長になっています(後の「読書タイムズ」になっても編集長続ける)。その後「読書新聞」と合併し「週間読書人」になった際に父は営業畑の専務へ。その一方、父は女学校の教師をしていた時分からずっと小説を書いていたといいます。小説家志望でした(隆志も大学時代、小説家にならんと志していた)。

 

母は、羽仁もと子(日本人初の女性ジャーナリストで、東京・目白にある自由学園フランク・ロイド・ライト設計、「婦人之友」誌を創刊。また教会に属さない無教会のクリスチャンでもあった)の信奉者、クリスチャンでした(父も活水学園の教師になるため信仰をもつ必要からクリスチャンに)。橘家にとっては良妻賢母の鑑であり、水戸の女性たちの間では、「友之会」のボス的存在でもあったといいます。

 

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「まず僕が読書を好きになったのは、環境の影響が大きいと思う。僕の父も母も文科系の人で文学を好んでいるし、それに加えて父の仕事が出版関係なので、自然に僕も本に多く接するようになった。

また良く家で父母が文学の話をすることがあるが、僕には良く解らない事が多く、何かとり残されたような気がしてつまらない。

そこで僕も本を読んでそれに関する知識を得ようという気が起こって来た。というようなことが、僕が読書をするようになった最大の理由と思われる」(『ぼくはこんな本を読んできた』文春文庫.p171)

 

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隆志少年が意識的に「読書」をしはじめたのは小学校3年の時のことだったといいますが、小学校入学前には「童話」に夢中になっています。


グリム童話アンデルセンイソップ物語アラビアンナイト小川未明坪田譲治で、小学校入学して以降は、『トム・ソーヤの冒険』や『ロビンソンクルーソー』『アンクルトムの小屋』『宝島』『ピノキオ』など童話から読み物へすでに移っていました。

 

手にとった本はすべて家にあったものでした。小学校3年の時にあった変化は、家の内外にその要因がありました。まず家の内では、全集に手をつけだしています。『山本有三全集』でした(『志賀直哉全集』も読んだが面白くなかったという)。

家の外とは、近所の人に江戸川乱歩の探偵小説を見せてもらったことで、それ以来、探偵小説から冒険小説、推理小説怪奇小説、捕物帳などに病み付きになっていったのです。

ただその類のものは家になく貸本屋や友だちから借りたり、本屋で「立ち読み」するのが常でした。貸本屋では吉川英治の全集『太閤記』と『三国志』も借りて読んでいます(『三国志』のスケールの大きさに魅了される)。

 

驚くのは本屋での「立ち読み」で、日曜日には午前中から水戸の川又書店に入り浸り、1、2冊読んだり、夕方までねばれば4、5冊読むこともあったといいます。
『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫)を見れば、『西遊記』から『フランダースの犬』『不思議の国のアリス』にシェイクスピア全集など次々に手をだしていっています。難しい箇所はそのままにしてとにかく最後まで読んでいったといいます(シェイクスピア全集などはとくに悲劇的結末に衝撃を受けたという)。夏目漱石の『坊ちゃん』や『我が輩は猫である』は親戚の家で読んだという。

そしてその1年後の小学4年になり隆志少年の「読書空間」は一気に拡大するのです。それは「図書館」を知ったからでした。この「図書館」で隆志少年は初めて理系の本と出会います。大作の『キュリー夫人伝』でした(娘のエーヴ・キュリー著)。

 

この1冊こそ隆志少年が将来にわたって「科学」に興味をもたせた確かな嚆矢の一つでした。それがきっかけとなり大人向けの『現代科学物語』(2巻本:竹内均著)を読み出し、小学生時代の読書体験の中でもっとも強烈な印象を受けた本になるのでした。物質を細分していくと原子になる、そのことを知った隆志少年は仰天したといいます。

 

この『現代科学物語』と同様、『ぼくはこんな本を読んできた』には出て来ない話ですが、『キュリー夫人伝』や『現代科学物語』に関心を持つ最初のきっかけはどうも小学校低学年の時に読んだ『エジソン伝』だったようです。『立花隆のすべて』に、立ち読みばかりしていた自分がどうしても買って欲しいとねだった本だったという話がでてくるからです。


『ぼくはこんな本を読んできた』だけを参照すると、上述の様にヴォリュームも内容も濃い『キュリー夫人伝』がきっかけで理系の世界の扉が初めて開かれた様に描かれていますが、やはり小学生が突如、理科系の大作や大人向け科学読本に手をのばすことはなかったわけです。

しかも『子供の科学』誌を定期購読していて当時の定番ではあるものの「鉱石ラジオ」や「手製の望遠鏡」づくりにも熱中していたようです。

 

そうした知的好奇心に、大部の『キュリー夫人伝』や大人向けの『現代科学物語』が接続されていったとみるのがふつうでしょう。この理科系への関心は、家庭環境に理科系への関心を伸ばす要因はほとんどなかったことから、積み重ねられた「読書」体験こそが、その土壌となったようです。高校一年までは理科系へ行くつもりでいたというのも、その読書体験の強烈さゆえでした。しかしこの後に、隆志少年に思わぬことが起こるのです。