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あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

アーサー・C・クラーク(2):数件隣に住む家の家族から刺激を受けた「空想力」

 


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アーサー・C・クラーク(1)より:

第一次大戦中、母も「モールス信号」を解読する

「電信技手」だった


クラーク家では、父だけでなく、母もまた第一次大戦中は、電気通信の世界に通じていました。母は大戦中、高速で発せられるモールス信号を解読する「電信技手」(技師でなく、”技手”)だったのです。

晩年に亡くなるまで、その技術を忘れることはなかったので、クラーク少年は、母から「モールス信号」の技術や実利的な側面も知らず知らずのうちに体得していたことでしょう。

つまりは、後の衛星通信のアイデアマン「アーサー・C・クラーク」を誕生させたクラーク家の両親はともに、「電気通信の世界」に通じていた人物だったのです。


父か母の一方でも、家庭内においては、その幼少期に父や母の資質や能力、メンタリティにおいて、遺伝因子は別としても、おおいに影響を受けるものですが、父・母ともに同じ特殊世界に通じていたとなるとその影響は甚大なものがあるはずです。

後にアーサー・C・クラーク自身、「電気通信の世界は母の方からも影響があったとおもう」と語っていることからもあきらかです。

 


数件隣に住む家の家族から刺激を受けた「空想力」、あやしげな本を借りて帰った


しかしアーサー・C・クラークのもう一方のずば抜けた才能、「SF(サイエンス・フィクション)」を物語る「イマジネーション」源はどこからやってきたのでしょう。クラーク本人は、両親のどちらかがSFファンだったとか、密かに得体の知れない文章を書きあらわす隠れた趣味(作家スティーブン・キングの疾走した父のように)があったとかは語っていません。

またよくあるように叔父さんや伯母さん、あるいは親戚や従兄弟からの強い影響があったとも語っていません(様々な小さな影響は幼少期に触れた多くの人からあったようですが、そうした記憶はほとんど薄れていて、ある強烈な契機と影響だけが残ったとクラークは語っている)。


アーサー・C・クラーク」のずば抜けた想像する能力は、生得のものだったのでしょうか。彼は幼少期から<天才>だったのでしょうか。自由奔放な「想像力」はどこからやってきたのでしょうか。

 

いくら両親ともども電気通信の世界に通じた人物であったとしても、むしろそうであったならば長男(弟が2人、妹が1人いる)は、将来大人になったら電気通信の仕事か、それに類することを仕事にしようと薄ぼんやりとおもったりする可能性が高いからです。

ところがクラーク少年は、後に「地球はまだ幼年期」にあると大胆に想像してみるようになるのです。そして、まるで無線通信を夜空に向って放ち、「過去」や「未来」の人々と”交信”し、「現在」に生きる世界中の人々を熱狂させる物語を生み出していくのです。


じつはその無限の「空想力」の入口(”発射台”)もまた、生まれ故郷の小さな町マインヘッドにあったのです。それも数件隣の家に。

そこにはエンジニアタイプの両親とはまったくちがうタイプー脇に逸れたインテリタイプの一家が住んでいました。両親も顔見知りだった(だろう)キリーさんの家に、クラーク少年はちょくちょく遊びに行っていたのです。少年時代には、近所の家は、時にまるで別の”惑星”のように感じることもあったでしょう。

 

そして”周回軌道”のような小径を辿って遊びに行っていた時、その年1928年の11月に創刊されたばかりだった『アメージング・ストーリーズ』誌と”遭遇”したのです。ラリー・キリー氏は(当時30歳位で独身。なんの仕事に就いていたのか、就いていなかったのか、クラーク少年はそのSF雑誌の鮮明な印象しか覚えていないが、当時は年配の紳士という印象だったという)、クラーク少年がこの世で出会った”最初のSFファン”となったのです。


もし近所の一家が、変人とまでいかなくとも風変わりだからということで、子供に接触を禁じた時、あなたは、そして私たちは子供たちから”可能性”を奪うことになりかねません。子供たちはたんに最新テクノロジーが与える”情報”だけでなく、肌で接触し、身体ごとまるごと感得した”体験”を「心の樹」として内面化していくからです。

 

近隣のお兄さん、お姉さん、お婆さん、お爺さん、叔父さん、伯母さんたちは、子供たちにとって家庭内や学校だけでは成長がいびつになったり疎外される「心の樹」の思わぬ芽吹きを後押ししてくれたり契機となったりしてくれる可能性が大いにあるのです。

なぜなら学校では皆と同じ教科書を与えられ、その暗記力をテストするような方法は、可能性を摘み取ってしまいがちになることです。賢い子供たちのなかには、全課目のテストの点数にもはや重きを置かず、適当なラインで切り上げ、自分の興味の向くことに集中するようになりはじめているようです。


隣近所の人たちとの触れ合いがかつてのようでなくなった昨今、学校と塾だけに子供たちを放り込んでいる家庭は、後に子供たちから大きなしっぺ返しがくるはずです。なぜなら身体だけ大きくなっても、「心の樹」がまったく育っていないからです。


最初の「科学」への関心は、編物機械からやってきた


さて、クラーク少年が、SFファンのラリー・キリー氏以上に多大な影響を受けたのが、彼の”祖母(母ではない)でした。それは「科学」への興味でした。クラーク少年がいつも”オールド”・ミセス・キリーと呼んでいた祖母は、編物機械(ミシン)という1920年代初頭としては小さな家の中に置かれる最高レベルのハイテクマシンでした(日本ではトヨタ自動車の原点である豊田紡績が、自動織機の開発に懸命になったいたのも1920年代初頭でした)。

 

クラーク少年はその驚きの手動式の編物機械に魅せられ、セーターやストッキングを編み出す”オールド”・ミセス・キリーの横からしこしこ”動力”を供給していたといいます。クラーク少年は彼女にありったけの質問を投げかけました。歯車や針の音におどるようにクラーク少年の「科学」に対する好奇心が膨らんでいったのです。


その一方、SFファンの息子ラリーにも影響を与えたであろう”オールド”・ミセス・キリーだけあって、未知の世界、失われた世界のことに興味をもっていた女性でした。たとえばアトラティス大陸の存在などをずっと真じていたのも彼女の影響でした(『アトランティスー大洪水以前の世界』(1882 イグナチウス・ドネリー著)といった類の本をクラーク少年に貸し与えていた)。そしてちょうどこの頃(11歳頃)のことです。クラーク少年はあがったばかりのグラマースクールの地下の溜まり場で、未知なるもの、そして「未来」や「科学」への関心を、さらに決定的なものにするものを見つけるのです。それはクラーク少年の「マインド・ツリー(心の樹)」の”樹根”の芯につながり、さらに頑丈な芯を形成するものとなっていくものでした。

アーサー・C・クラーク(3)へ続く: