伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

ニーチェが「ツァラトウストラ」のインスピレーションを得た:シルス・マリアの地


このシルス・マリアという風光明媚な土地(スイス東南部のイタリア国境近く)は、ニーチェバーゼル大学の古典文献学の教授を辞めてから、8年にわたって涼しい夏の間だけ滞在しています。このシルス・マリアは、あの「ツァラトウストラ」の<永劫回帰>のインスピレーションを得た場所ともいわれています。1881年のことでした。動画を見るように本当に素晴らしい場所です。湖と森と峻険な岩山のコントラストが見事で、すいこまれそうです。また動画には中程に、ニーチェ・ハウスがでてきます。現在はニーチェ資料館になっています。最後の映像は親交のあった英国人医師オスカー・レヴィ氏からの書籍類が映されますが、ユダヤ人のレヴィ氏との親交でもわかるように、ニーチェユダヤ人の知人・友人も何人もいて親交を結んでいます。一時、ニーチェは反ユダヤ・親ナチだと噂されたのは、妹のエレザベトの策略で(彼女は同じく反ユダヤ主義者の夫とともに南米ウルグアイに「新ゲルマニア」という入植地を建設しています。失敗に終わっていますが、後に敗戦後ナチの幹部が追跡を逃れ潜伏した場所の一つといわれています)。ヒットラーは、晩年エリザベトの家を訪問し、エリザベトも歓待しています。またニーチェはそもそも一度もドイツ人であったことはなく、生まれた時はプロシア時代に生まれ、プロシア国籍で、スイスのバーゼル大学に24歳の時、助教授となって以降は(一時的に戦争時にプロシア国籍になる)、ずっとスイス国籍をもったスイス人でありました。
最後の夏、青年期の友人で、インド哲学の研究者パウル・ドイセンがシルス・マリアまで尋ねてきています。ニーチェは整理整頓はできる性格でしたが、ドイセンが見たのは部屋が乱雑に散らかっていた光景で、長年のつきあいからニーチェのなかで何かが崩壊しているのを気づいたといいます。