2011-01-01から1年間の記事一覧
「子供の頃の思い出をたどるとき、単に懐かしいという以上にメランコリックになってしまう。それは、大人になってからもずっと引きずってきた。どうして、メランコリックになってしまうのか。その答えはやはり、分断に象徴される『在日』の境遇なしには考え…
最初の記憶は「誕生時の記憶」。父は茅ヶ崎駅前の映画館「大黒館」の支配人だったが、映画の斜陽化でバーを経営し実業家に。スウィング・ジャズとマンボと「歌謡曲」が大好きな父。桑田家は茅ヶ崎では最も早く洋楽LPをステレオで聴ける家。「歌でつながって…
黒澤明監督の遺作ともなった映画『まあだだよ』(1993年公開)は、内田百けんがモデル。還暦を祝ったのにまだ死なないので大学の教え子たちが集まってくるのが「摩阿陀会(まあだかい)」だった。最後は、隠れんぼをしていた少年がふと夕焼けを見上げるシー…
「空気を読む」少年だった宮藤官九。郎初恋の相手は同時に4人、チャートにしてひとり楽しむ。小学校6年、友達と「コント」をはじめる。契機は姉の聴いていた「スネークマンショウ」。「おれたちヒョウキン族」をかかさずチェック、「ビートたけしのオール…
サムスン経営を築いた男—李健〓(イゴンヒ)伝韓国のGDPのなんと20パーセント弱をも占めるサムスングループ(三星財閥)の一代前のリーダーで(2008年に辞任。特赦を受け2010年サムスン電子会長に復帰)、韓国の「ロックフェラー」とも呼称されることもありな…
*井深少年が小さな頃に夢中になった外国の組み立て玩具「メカノ」でつくられた最新の「メカノ」たち ▶どうして愛知県の祖父のもとにいた井深大少年が、東京・上野公園で催された「東京大正博覧会」を見ることができたのか。それにはちょっとした偶然が重な…
ウディ・アレン バイオグラフィー ▶「アレンの憂鬱な気質は、早いうちから現れていた。5歳にしてすでに、漠然とながらも根本的な部分で、世を捨てたようなふさぎがちの性格になっていった『何かがうまくいかなくなってしまったの』と母親は語っている。アレ…
*Youtube映像は、Sonyの創業者の一人で営業担当だった盛田昭夫が中心のものです0歳からの母親作戦—子どもの心と能力は0歳で決まる (サンマーク文庫) ▶「能力は遺伝ではない。…人間の性格といったものが、いったいどう形成されるのか、私にとって一つの課題…
最初の夢は「画家」だった。なぜ画家だったのか? 建築家はあまり好きでなかった16歳のコルビュジエを「建築」に向わせた美術学校教師。祖父は理想主義を抱いた地元の革命家だった。遍歴時代がスタートした最初の旅は20歳の時www.youtube.comル・コルビュジ…
生地はジュラ山地にあるスイス時計産業の中心地ラ・ショー=ド=フォン。父も祖父も「時計の帝都」の時計職人。コルビュジエも父の跡継ぎを期待されていた。父は熱狂的な登山家でもあった。独立的で苦難に耐え進歩を信じたピアノ教師の母からの影響。 「……打ち…
*カリフォルニア・サンバーナーディノにあるマクドナルド1号店。現在はミュージアムに。レイ・クロックが初めてマクドナルド兄弟のつくりだす15セントのハンバーガーを見た店だった 成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝—世界一、億万長者を生んだ男 マ…
大学卒業後、目標がまったくみつからなかったハワード。スキーロッジで働く。ゼロックス社の営業マンになり飛び込み専門のワープロ販売の訓練を受ける。スウェーデンの家庭雑貨の子会社で有能な営業マンに。「成長する会社の発足に参加することはチャンスだ…
スターバックスコーヒー—豆と、人と、心と。 (THE BRANDING) 「スターバックス・ブランドの発展とともに、<サードプレイス>の概念はいっそう定着していった。店内に流れる音楽や座席、周囲のざわめきで、顧客は自分一人でいるときでさえ、社交の場所にいる…
成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝—世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS) 今回はハンバーガー・チェーンの「マクドナルド」に焦点をあててみますが、対象の人物は誰もが知っている創業者で店名・企業名になっているマクド…
二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)「二十億光年の孤独」の処女詩集を1952年に刊行後、現代もなお詩作を発表し続けている詩人、谷川俊太郎。「二十億光年の孤独」では、ひとりの少年が広い宇宙と対峙しています。その孤独は絶望ではなく、さわやかで…
14、5歳からヴィダル・サスーンのショップに通いボブ・ヘアに、高級サロンに毎週通いだす。ツウィギーへの憧れとスタイリッシュへの完璧主義的こだわり。当時の先端の流行「ミニスカート」を制服で表現、退学へ。ファッションに疎かった母から愛情を注がれな…
成功は一日で捨て去れ 2010年売上げ1兆円の目標は達成されることはありませんでしたが、今度は2020年に売上げ5兆円企業実現を再度ぶちあげたばかりの(2011年、9月15日付け)株式会社ファーストリテイリングー「ユニクロ」の最高経営責任者兼社長・柳井正…
アナ2歳の時、ウィンター家を襲った悲劇。一家は悲劇を境に崩壊しはじめた。地味な母は悲劇を境にソーシャルワーカーに。ロンドンの高級紙に勤務しだした父は家に立ち寄らなくなる。友達をつくらなかったアナ。「超然」とした態度は少女の頃からあった。14…
9歳の時にあらわれていた奇妙な「悟り感」。両親の希望にそって「医師」か「弁護士」になると言って安心させる一方、「ギター」にのめり込んでいく。社交的な母は、家の中では驚くほどに「悲観的」な気持ちに苛まされる。母の「不安感」に父の「思索好き」…
少年尾崎豊が「音楽」にのめりこむ前に熱中していたのは、父の趣味だった「短歌」と「尺八」「空手」。しかし父とは異なった「学び」の方法とは。アララギ派の”実相観入”の表現法が尾崎少年の「詩=言葉」を磨いていった。尾崎家は両親と子供たちが歌う「短…
「家庭を楽しい場所」にすることが、母の「家庭学」の第一歩だった。兎小屋から学んだはじめての「組織学」。叔父が教えたスコットランドの「歴史」と「詩・文学」。少年にとって「英雄」の存在とは。そして「朗吟」がカーネギー少年の「記憶力」を飛躍的に…
アメリカの新興成金や大富豪のなかで、なぜA.カーネギーは特別の存在として子供たちにも語り継がれるのか。全米に1689もある「カーネギー図書館」とは。スコットランドでの幼少期、織物産業に迫り来る「技術革新」を理解しなかった父(急激な没落へ)。祖父…
中学生の時、妹がとっていた『それいゆ』が気になりだすし宝塚や中原淳一を、つづいて父が隠しもっていた「春画」と竹久夢二を知る。木村荘八の挿絵に夢中に。すべて「挿絵」への関心だった。母の経営する喫茶店の壁を飾った絵が噂に 少女からの手紙作者:宇…
職業が判然としなかった父。絹織物に「絵」を描く父の傍らで無意識の内に絵を描く技術を習得していく。お医者さんごっこが好きな少年。学校で習う絵はつまらなく、講談社の「絵本」に夢中になって「模写」していた www.youtube.com*三次元にひろがった宇野…
*映像の途中、雨情の生家「観海亭」の2階、雨情の過ごした部屋が出てきます 野口雨情童謡の時代▶(1)からの続き:雨情7歳の時、磯原分校へ、8歳のとき磯原尋常小学校に入学します。当初は気が弱く、心細くて一人では学校に行けなかったほどでした。向…
名作童謡 野口雨情100選 「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに こわれて消えた 風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ」 (シャボン玉 「金の船」大正11年 1922年発表) 「赤い靴 はい…
「…24歳から36歳まで、まず1日として欠かさず、私は北イリノイにあった祖父母の家の芝生を思いだし、記憶の散策をしたのだった。爆竹の燃えさしでも落ちていないか。あるいは錆びたおもちゃ。小さいころの私が少し大きくなった私に宛てて、過去や、人生や、…
ブラッドベリ年代記思想統制する未来社会でおこなわれた焚書を糾弾したデストピア小説『華氏451度 Fahrenheit 451 (1953) 』や、未来の火星植民を描き米国を風刺した名作『火星年代記 The Martian Chronicles (1950) 』、見世物小屋で働く男に彫られた刺青が…
幼少期の松竹少女歌劇(OSK)体験が一光を「演劇」好きに。小学校高学年で「園芸」にはまる。京都での美術専門学校では図面を引く才能もなく芝居に熱中。鐘紡の意匠室をクビになり大阪産経新聞の事業部へ。「能」のポスター制作との出会い(1)からの続き:…
田中一光自伝 われらデザインの時代今回は「昭和・日本」を代表するグラフィック・デザイナー田中一光の『自伝ーわれらデザインの時代』(白水社)をとりあげます。 田中一光は、1930年(昭和5年)生まれ、青年時代にはまだ「グラフィック・デザイン」のみ…