伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

2011-01-01から1年間の記事一覧

15歳で日本に来て東京の軍需工場で働いていた父。父は「在日」集落共同体から一歩外へ出て廃品回収業を興す。文盲の母の祖国への強い思い。姜家族と同居していた在日一世の「おじさん」と日本の大学で法学を学び憲兵になった叔父との関係と影響。中学時代に突然、吃音にかかる

「子供の頃の思い出をたどるとき、単に懐かしいという以上にメランコリックになってしまう。それは、大人になってからもずっと引きずってきた。どうして、メランコリックになってしまうのか。その答えはやはり、分断に象徴される『在日』の境遇なしには考え…

桑田佳祐(1):「ロックの子」の記憶へ

最初の記憶は「誕生時の記憶」。父は茅ヶ崎駅前の映画館「大黒館」の支配人だったが、映画の斜陽化でバーを経営し実業家に。スウィング・ジャズとマンボと「歌謡曲」が大好きな父。桑田家は茅ヶ崎では最も早く洋楽LPをステレオで聴ける家。「歌でつながって…

「百�(ひゃっけん)」とは郷里・岡山を流れる川の名前。名作「冥途」や「花火」など何篇もの作品の冒頭はその土手からはじまる。婆やからいつもきかされた「因縁話」。生家は造り酒屋で、中学までは「若旦那」気取りだったが店は父の放蕩で潰れる

黒澤明監督の遺作ともなった映画『まあだだよ』(1993年公開)は、内田百けんがモデル。還暦を祝ったのにまだ死なないので大学の教え子たちが集まってくるのが「摩阿陀会(まあだかい)」だった。最後は、隠れんぼをしていた少年がふと夕焼けを見上げるシー…

宮藤官九郎(1):「空気を読む」少年だった

「空気を読む」少年だった宮藤官九。郎初恋の相手は同時に4人、チャートにしてひとり楽しむ。小学校6年、友達と「コント」をはじめる。契機は姉の聴いていた「スネークマンショウ」。「おれたちヒョウキン族」をかかさずチェック、「ビートたけしのオール…

内気で無口だった少年時代。小学校5年生の時に、日本へ「留学」を命じられる。留学時代は差別から逃れるように「映画館」へ。兄たちを真似、玩具を「分解」して「仕組み」をするのが習慣に。世界中の一流「カメラ」や「自動車」を分解して仕組みを知るのが趣味に。

サムスン経営を築いた男—李健〓(イゴンヒ)伝韓国のGDPのなんと20パーセント弱をも占めるサムスングループ(三星財閥)の一代前のリーダーで(2008年に辞任。特赦を受け2010年サムスン電子会長に復帰)、韓国の「ロックフェラー」とも呼称されることもありな…

電気への関心が刺激された「東京大正博覧会」。「モーター」と組み立て玩具「メカノ」に熱中。科学雑誌を定期購読。中学2年の時、「無線」に夢中になる。函館の市電や函館水電を興した伯父の存在。

*井深少年が小さな頃に夢中になった外国の組み立て玩具「メカノ」でつくられた最新の「メカノ」たち ▶どうして愛知県の祖父のもとにいた井深大少年が、東京・上野公園で催された「東京大正博覧会」を見ることができたのか。それにはちょっとした偶然が重な…

祖父はタクシー会社や複数の「映画館」所有する実業家だった。1929年の世界大恐慌で一文無しになり父はブルックリンの露店をはじめる。5歳にしてあらわれた憂鬱な気質。はてしなく口論のつづく家庭環境。映画『ラジオ・デイズ』に描かれた少年時代

ウディ・アレン バイオグラフィー ▶「アレンの憂鬱な気質は、早いうちから現れていた。5歳にしてすでに、漠然とながらも根本的な部分で、世を捨てたようなふさぎがちの性格になっていった『何かがうまくいかなくなってしまったの』と母親は語っている。アレ…

 父は古河鉱業の精銅技術者、最初期の水力発電の一つを開発した有能なエンジニア。会津松平藩の重臣だった祖父。白虎隊と井深家。井深家は下北半島へ流され北海道へ。井深大の最初の記憶の一つは祖父の家に「電気」が灯ったことだった

*Youtube映像は、Sonyの創業者の一人で営業担当だった盛田昭夫が中心のものです0歳からの母親作戦—子どもの心と能力は0歳で決まる (サンマーク文庫) ▶「能力は遺伝ではない。…人間の性格といったものが、いったいどう形成されるのか、私にとって一つの課題…

ル・コルビュジエ(2):最初の夢は「画家」だった

最初の夢は「画家」だった。なぜ画家だったのか? 建築家はあまり好きでなかった16歳のコルビュジエを「建築」に向わせた美術学校教師。祖父は理想主義を抱いた地元の革命家だった。遍歴時代がスタートした最初の旅は20歳の時www.youtube.comル・コルビュジ…

ル・コルビュジエ(1): 父も祖父も時計職人、跡継ぎを期待された

生地はジュラ山地にあるスイス時計産業の中心地ラ・ショー=ド=フォン。父も祖父も「時計の帝都」の時計職人。コルビュジエも父の跡継ぎを期待されていた。父は熱狂的な登山家でもあった。独立的で苦難に耐え進歩を信じたピアノ教師の母からの影響。 「……打ち…

叔父のドラッグストアでのアルバイトで学んだこと。高校時代に友人とはじめたミュージックストアでの失敗。「ペーパーカップ」の営業でトップセールスマンだった。マクドナルドの店を知ったのは独立して扱っていた「マルチミキサー」のセールスを通して。当初の狙いはマルチミキサーの販路拡大だった

*カリフォルニア・サンバーナーディノにあるマクドナルド1号店。現在はミュージアムに。レイ・クロックが初めてマクドナルド兄弟のつくりだす15セントのハンバーガーを見た店だった 成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝—世界一、億万長者を生んだ男 マ…

ハワード・シュルツ(2):スターバックスにある2つの「原点」

大学卒業後、目標がまったくみつからなかったハワード。スキーロッジで働く。ゼロックス社の営業マンになり飛び込み専門のワープロ販売の訓練を受ける。スウェーデンの家庭雑貨の子会社で有能な営業マンに。「成長する会社の発足に参加することはチャンスだ…

Starbucks Coffee にある2つの「原点」。第二の創業者ハワードはブルックリンの貧しい労働者階級に生まれた。12歳から新聞配達、軽食堂でアルバイト。母親から言われ続けた「目標」への挑戦。スポーツばかりに夢中になった少年・青年期。貧しさの自覚のとき

スターバックスコーヒー—豆と、人と、心と。 (THE BRANDING) 「スターバックス・ブランドの発展とともに、<サードプレイス>の概念はいっそう定着していった。店内に流れる音楽や座席、周囲のざわめきで、顧客は自分一人でいるときでさえ、社交の場所にいる…

 「ファストフード」のモデルをつくった創業者マクドナルド兄弟は巨大なチェーン展開をのぞんでいなかった。マルチミキサーを売る52歳の中年セールスマンが、チップもいらずスピーディーでシステマティック「マック」に出会い感激した理由。読書が嫌いで行動好きだった男は、幼少期から「家事」好き、清潔・整理整頓好きだった

成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝—世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS) 今回はハンバーガー・チェーンの「マクドナルド」に焦点をあててみますが、対象の人物は誰もが知っている創業者で店名・企業名になっているマクド…

 東京杉並生まれだが1歳から毎夏に北軽井沢で過ごす。深く記憶された自然体験。アリや蚊一匹殺さない子供。幼稚園の時に意識しはじめた「別の世界」の存在。眠る前に母や父が死なないように神さまに祈る習慣があった。哲学者の父の書斎と宮沢賢治からの影

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)「二十億光年の孤独」の処女詩集を1952年に刊行後、現代もなお詩作を発表し続けている詩人、谷川俊太郎。「二十億光年の孤独」では、ひとりの少年が広い宇宙と対峙しています。その孤独は絶望ではなく、さわやかで…

アナ・ウィンター:その複雑なメンタリティーな訳(2)

14、5歳からヴィダル・サスーンのショップに通いボブ・ヘアに、高級サロンに毎週通いだす。ツウィギーへの憧れとスタイリッシュへの完璧主義的こだわり。当時の先端の流行「ミニスカート」を制服で表現、退学へ。ファッションに疎かった母から愛情を注がれな…

陰に陽に大きな影響を与えた父は、単なる衣料品経営者などではなく、宇部市の繁華街の元締めにのしあがった人物。土建屋タイプの洋服屋だった父は実際に土建屋になっていく。内向的で大人しい性格だったが自分の意志ははっきりもっていた。父から「一番になれ!」と言われつづける

成功は一日で捨て去れ 2010年売上げ1兆円の目標は達成されることはありませんでしたが、今度は2020年に売上げ5兆円企業実現を再度ぶちあげたばかりの(2011年、9月15日付け)株式会社ファーストリテイリングー「ユニクロ」の最高経営責任者兼社長・柳井正…

アナ・ウィンター:超然とした少女だった訳(1)

アナ2歳の時、ウィンター家を襲った悲劇。一家は悲劇を境に崩壊しはじめた。地味な母は悲劇を境にソーシャルワーカーに。ロンドンの高級紙に勤務しだした父は家に立ち寄らなくなる。友達をつくらなかったアナ。「超然」とした態度は少女の頃からあった。14…

尾崎豊(2):9歳の時にあらわれていた奇妙な「悟り感」

9歳の時にあらわれていた奇妙な「悟り感」。両親の希望にそって「医師」か「弁護士」になると言って安心させる一方、「ギター」にのめり込んでいく。社交的な母は、家の中では驚くほどに「悲観的」な気持ちに苛まされる。母の「不安感」に父の「思索好き」…

尾崎豊(1):「音楽」にのめりこむ前に熱中していたこと

少年尾崎豊が「音楽」にのめりこむ前に熱中していたのは、父の趣味だった「短歌」と「尺八」「空手」。しかし父とは異なった「学び」の方法とは。アララギ派の”実相観入”の表現法が尾崎少年の「詩=言葉」を磨いていった。尾崎家は両親と子供たちが歌う「短…

アンドリュー・カーネギー(2):兎小屋から学んだはじめての「組織学」

「家庭を楽しい場所」にすることが、母の「家庭学」の第一歩だった。兎小屋から学んだはじめての「組織学」。叔父が教えたスコットランドの「歴史」と「詩・文学」。少年にとって「英雄」の存在とは。そして「朗吟」がカーネギー少年の「記憶力」を飛躍的に…

アンドリュー・カーネギー(1):全米に1689ヶ所もある「カーネギー図書館」とは

アメリカの新興成金や大富豪のなかで、なぜA.カーネギーは特別の存在として子供たちにも語り継がれるのか。全米に1689もある「カーネギー図書館」とは。スコットランドでの幼少期、織物産業に迫り来る「技術革新」を理解しなかった父(急激な没落へ)。祖父…

宇野亜喜良(2):妹がとっていた『それいゆ』が気になりだす

中学生の時、妹がとっていた『それいゆ』が気になりだすし宝塚や中原淳一を、つづいて父が隠しもっていた「春画」と竹久夢二を知る。木村荘八の挿絵に夢中に。すべて「挿絵」への関心だった。母の経営する喫茶店の壁を飾った絵が噂に 少女からの手紙作者:宇…

宇野亜喜良(1):絹織物に「絵」を描く父の姿

職業が判然としなかった父。絹織物に「絵」を描く父の傍らで無意識の内に絵を描く技術を習得していく。お医者さんごっこが好きな少年。学校で習う絵はつまらなく、講談社の「絵本」に夢中になって「模写」していた www.youtube.com*三次元にひろがった宇野…

10歳、学校に行かず山で遊んだり読書する。15歳で上京、「俳句」の投稿。社会主義への傾倒。父の死、家運が傾くなか遊里で放蕩。24歳、民謡詩集『枯草』自費出版。莫大な借金から禁治産者に。記者になり北海道を転々とする、石川啄木との出会い。故郷に戻り炭焼き小屋で暮らしつづける

*映像の途中、雨情の生家「観海亭」の2階、雨情の過ごした部屋が出てきます 野口雨情童謡の時代▶(1)からの続き:雨情7歳の時、磯原分校へ、8歳のとき磯原尋常小学校に入学します。当初は気が弱く、心細くて一人では学校に行けなかったほどでした。向…

東日本大震災で津波被害を受けた北茨城磯原の生家「観海亭」は、徳川水戸家と縁が深く、また後醍醐天皇を助けた楠正成の弟の子孫であったことから今日の南朝・天皇家とも縁があった。野口家と「吉田松陰」との縁。博学強記の伯父から文学的素養を得る

名作童謡 野口雨情100選 「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに こわれて消えた 風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ」 (シャボン玉 「金の船」大正11年 1922年発表) 「赤い靴 はい…

映画ファンだった母は3歳のレイを毎週一度、映画館に連れて行った。レイに最も影響を与えた10歳年上の叔母ネヴァ。叔母の蔵書『オズの魔法使い』に夢中に。祖父と妹の死。魔術師への熱中。大恐慌中、9歳から毎週兄に連れられ図書館に通い出す

「…24歳から36歳まで、まず1日として欠かさず、私は北イリノイにあった祖父母の家の芝生を思いだし、記憶の散策をしたのだった。爆竹の燃えさしでも落ちていないか。あるいは錆びたおもちゃ。小さいころの私が少し大きくなった私に宛てて、過去や、人生や、…

ブラッドベリの祖先メアリ・ブラッドベリは、「セイラムの魔女裁判」で魔女として告発されていた。思想統制を糾弾した『華氏451度』には魔女裁判が木霊している。ブラッドベリ作品の土壌は、シカゴの北方ミシガン湖に面した生地ウォーキガンの森と

ブラッドベリ年代記思想統制する未来社会でおこなわれた焚書を糾弾したデストピア小説『華氏451度 Fahrenheit 451 (1953) 』や、未来の火星植民を描き米国を風刺した名作『火星年代記 The Martian Chronicles (1950) 』、見世物小屋で働く男に彫られた刺青が…

田中一光(2):幼少期の松竹少女歌劇(OSK)体験

幼少期の松竹少女歌劇(OSK)体験が一光を「演劇」好きに。小学校高学年で「園芸」にはまる。京都での美術専門学校では図面を引く才能もなく芝居に熱中。鐘紡の意匠室をクビになり大阪産経新聞の事業部へ。「能」のポスター制作との出会い(1)からの続き:…

田中一光(1):奈良の生家の周りは、年季のはいった「看板」がずらり

田中一光自伝 われらデザインの時代今回は「昭和・日本」を代表するグラフィック・デザイナー田中一光の『自伝ーわれらデザインの時代』(白水社)をとりあげます。 田中一光は、1930年(昭和5年)生まれ、青年時代にはまだ「グラフィック・デザイン」のみ…