伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

映画ファンだった母は3歳のレイを毎週一度、映画館に連れて行った。レイに最も影響を与えた10歳年上の叔母ネヴァ。叔母の蔵書『オズの魔法使い』に夢中に。祖父と妹の死。魔術師への熱中。大恐慌中、9歳から毎週兄に連れられ図書館に通い出す

「…24歳から36歳まで、まず1日として欠かさず、私は北イリノイにあった祖父母の家の芝生を思いだし、記憶の散策をしたのだった。爆竹の燃えさしでも落ちていないか。あるいは錆びたおもちゃ。小さいころの私が少し大きくなった私に宛てて、過去や、人生や、…

ブラッドベリの祖先メアリ・ブラッドベリは、「セイラムの魔女裁判」で魔女として告発されていた。思想統制を糾弾した『華氏451度』には魔女裁判が木霊している。ブラッドベリ作品の土壌は、シカゴの北方ミシガン湖に面した生地ウォーキガンの森と

ブラッドベリ年代記思想統制する未来社会でおこなわれた焚書を糾弾したデストピア小説『華氏451度 Fahrenheit 451 (1953) 』や、未来の火星植民を描き米国を風刺した名作『火星年代記 The Martian Chronicles (1950) 』、見世物小屋で働く男に彫られた刺青が…

田中一光(2):幼少期の松竹少女歌劇(OSK)体験

幼少期の松竹少女歌劇(OSK)体験が一光を「演劇」好きに。小学校高学年で「園芸」にはまる。京都での美術専門学校では図面を引く才能もなく芝居に熱中。鐘紡の意匠室をクビになり大阪産経新聞の事業部へ。「能」のポスター制作との出会い(1)からの続き:…

田中一光(1):奈良の生家の周りは、年季のはいった「看板」がずらり

田中一光自伝 われらデザインの時代今回は「昭和・日本」を代表するグラフィック・デザイナー田中一光の『自伝ーわれらデザインの時代』(白水社)をとりあげます。 田中一光は、1930年(昭和5年)生まれ、青年時代にはまだ「グラフィック・デザイン」のみ…

セザンヌ:「近代絵画の父」の源流へ(2)

感受性が強く、臆病ではにかみや、性格が弱かったが、時にわけもなく怒り出す、烈しい気質を秘めた少年だった。得意だった絵は学校では評価されず。エミール・ゾラらと「三人組」と呼ばれ、詩を読みながらプロヴァンスを散策する日々。パリでは落選 ▶(1)…

 セザンヌ:「近代絵画の父」の源流へ(1)

セザンヌはなぜ「近代絵画の父」と呼ばれるようになったのか? セザンヌがぶちあたった困難とは。「模写」から個人の「感覚」へのジャンプ。一般的な解説がセザンヌの生涯をまるで面白みのないものに。セザンヌ少年を生んだプロヴァンスの色彩と光、そしてサ…

小学校時代からはじまった父の折檻。ブコウスキー一族に流れていたアルコールの血。高校生になると酒場へ潜りこむ。高校卒業時に読んだ「自伝的小説」を書くジョン・ファンテが神様に。放浪の旅の間中、肉体労働をしながら短篇を書き出版社に送りだす

▶(1)からの続き:ブコウスキーは自伝的作品『くそったれ! 少年時代』の中やインタビューで、自身の子供時代をふりかえり、「喜びとは無縁で怯(おび)えてばかりだった」と語っています。何に対して怯えていたかといえば、父と母の無関心でした。おそら…

長編小説のほとんどは自伝的小説。51歳の時に出版した処女長編『ポスト・オフィス』は15年間に及ぶ郵便局勤めを描いたもの。少年時代はまさに「くそったれ!」の連続。13歳の時、超悪性のデキモノが上半身と顔中にできてしまい寝室に閉じこもる

ブコウスキー伝—飲んで書いて愛して▶小説『町でいちばんの美女』『くそったれ! 少年時代』『プルプ』『ありきたりの狂気の物語』『ポスト・オフィス』『パンク、ハリウッドを行く』……。人生半ばをとうに過ぎてからダーティー・リアリズムのスター作家となっ…

中学3年で強烈な初恋。ワル仲間から離れる。図書館で「ラジオ技術」の本を借り「アンプ」部品を買い自前で組み立てる。数学や技術に強かった少年矢沢。高校1年の時、キャバレーの社長から手渡されたD.カーネギーの『人を動かす』を10回以上繰り返し読み、ついでケネディの伝記本を読んでいた。

人を動かす 新装版 ▶(1)からの続き:少年矢沢が繰り返し10回以上も読んだ本、それがデール・カーネギーの『人を動かす』だった。本当か?(よく読めば実際にそう書いてある)。実際、矢沢永吉はファンだけでなく、スタッフやグループ・ミュージシャン等、…

極度なおばあちゃん子だった訳。貧乏長屋のみじめな空気。屈辱に満ちた少年時代。小学6年から新聞配達とアルバイト人生。中2で出会ったエレキサウンド。ところが高校1年の時の将来の「夢」は板金屋だった。なぜ板金屋だったのか。

「音楽に出会って、スーパースターになると決めてからは、苦労が苦労じゃなくなった。土方やっても、フィルム運びやっても、つらくない。『そうだ。こういうふうに苦しいんだよな、最初のうちは。こういうことがあって、いろいろやって、最後にスーパースタ…

イサム・ノグチ(2):母レオニーは当時の「ニュー・ウーマン」

当時の「ニュー・ウーマン」だった母レオニー。茅ヶ崎に建てた小さな家の設計と「庭づくり」を少年イサムに任せる。指物師に弟子入りし大工道具を学ぶ。札幌モレエ沼公園の中核「遊び山」とは何だったのか www.youtube.comイサム・ノグチ(1)より: 27歳の…

イサム・ノグチ(1):自分は母の<想像力>の落とし子?

「自分は、母の<想像力>の落とし子なのかもしれない。米国人の母レオニーから与えられた日本伝統文化という”ミルク”。最後の大仕事、札幌モレエ沼公園に結実するまで半世紀にわたって「遊園地」を理想の国として構想しつづけた理由とは。世界に誇れる公園…