伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」inspiration


ちょっとゆえあってサリンジャーバイオグラフィーを確認していて、インスピレーションとはちょっと違うのだけれど、やはりこの本は奇妙なものを世界の若者たちに残していった。だいたいこの小説が発表されたのはビートの王様ジャック・ケラワックの「路上」よりも5年も早い1951年で、ビート・ジェネレーションもまだ存在しなかった時代、米国のゴールデン・フォフティーズの時代のはじまる頃なのだ。小説中にもでてくる「ライ麦畑」は、18世紀のスコットランドの詩人ロバート・バーンズの詩からきているが、それが明治時代の日本で小学校唱歌になり、戦後に伊藤武雄氏が「誰かが誰かと」という歌詞をつけ直し、さらにドリフターズも歌いはじめ誰でも知っているメロディーと歌詞になっていった。その歌詞は「誰かが誰かと麦畑、チュチュチュチュしているいいじゃないか。僕にはいい人ないけれど、いつかは誰かさんと麦畑〜」という歌詞だ。また東北弁でオヨネーズも歌っている。マジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマンがその日ベッドの上で読んでいたのがこの小説だったことは広く知られているが(2年前の保釈に対しオノ・ヨーコさんが反対し釈放が延長されたが今年に再び保釈されることになっている)、その12月8日は、日本軍の真珠湾アタックの日でもあった。そしてマーク・チャップマンはハワイ出身で、現大統領オバマ氏もハワイ出身(本当はケニア生まれのようだが)だ。そしてサリンジャーは、政治的活動をさらに活発化させようとしていたジョン・レノンとは真逆に(翌日、オノ・ヨーコさんとサンフランシスコで日系人の労働条件の抗議デモを日系の労働者たちと一緒にする予定だった)、表舞台から徹底的に姿を消し、完全なる隠遁生活にはいり、あえて発表することもなく書くことに専念していった。ケラワックが世に出ることですっかり精神的なダメージを受け酒浸りになっていったが懸命な選択だったにちがいない。そしてほんの時折しか姿を見せない村上春樹は村上版「ライ麦畑でつかまえて」を訳したのは何年も前になる。上の動画のガンズ&ローゼスの「The Catcher in the Rye」を見ながらそんなことをつらつらおもってしまった...