伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

(1):子供時代に焦点を合わせないとカポーティの人生のパズルはまったく組み合わない。両親の関係は破綻し4歳でアラバマ州の親類に預けられる


子供時代への懸け橋—トルーマン・カポーティのアメリカ南部時代

19歳の時の処女作『ミリアム』(1943年)オー・ヘンリー賞を受賞して以降、アンファン・テリブル(恐るべき子供)としてその名を轟かしはじめたトルーマン・カポーティオードリー・ヘップバーン主演で映画化した『ティファニーで朝食を』、『遠い声・遠い部屋』で天才作家と呼ばれ、写真家リチャード・アヴェドンと写真集史に名を残す写真集『オブザベーション(観察)』をつくり、ペルソナを被り(道化となり)、セレブの仲間入りをはたし話題をふりまきゴシップ欄の常連だったカポーティが意欲的に取り組むことになったのが、自身で「ノンフィクション・ノベル」と名づけた『冷血』(1966年)でした。『冷血ーIn Cold Blood』の執筆アプローチと手法はニュージャーナリズムと呼称され、日本では連続殺人鬼を描いた『復讐するは我にあり』の著者で、永山則夫宮崎勤オウム真理教などのルポルタージュで知られる佐木隆三氏らの仕事に継がれていくことになります。
「ノンフィクション・ノベル」という新ジャンルを切り開き、さらなるセンセーショナルを巻き起こしトルーマン・カポーティでしたが、それを最後に思う様に小説が書けなくなります1984年に心臓発作で亡くなっているのでなんと18年近くの間。ただウォーホルとStudio54でパーティ三昧したり、A.ウォーホルの『Interview』誌に起稿し、それを基に後に『Music for Cameleons』(1980)に纏めたりしている)。遺作となった『叶えられた祈り』も未完で、死後2年だって刊行されたものです。結局『冷血』執筆後、ジェットセット族になってセレブ生活に浸るものの奇行が多くなりアルコールと薬物中毒に陥っていくのです。

『子供時代への懸け橋ートルーマン・カポーティアメリカ南部時代』英宝社の著者アンリ・M・モウツが、偶然にカポーティが少年時代を過ごしたアラバマ州モンローヴィルに引っ越してきたのは1961年のことでした。その年はカポーティの『冷血』のリサーチに同行した幼馴染みのネル・ハーパー・リーの『アラバマ物語(1960年。この中にはモンローヴィルの土地や人々、そして隣家で幼友達のトルーマン少年も別名で描かれている)がピュリッツァ賞受賞し大ベストセラーになり、カポーティとネル・ハーパー・リーの故郷のモンローヴィルもその話題で沸騰していた年でした。近所にはカポーティが4歳から過ごした家屋もあり、その隣家はネル・ハーパー・リーの家でした。著者アンリ・モウツは、カポーティの従弟ジェニングズと偶然知り合い、それまで知っていたカポーティの世界が、そしておそらく多くの人が感じとっていたカポーティという人間のイメージは、書籍のカバージャケットのそれでしかなかったことに気づいていきます。
モンローヴィルで8年間過ごすうちに著者アンリ・モウツは、トルーマン・カポーティという人物、そしてカポーティ作品を深く理解するためには、カポーティの人生を方向づける重要な発育期の子供時代(本名は、トルーマン・ストレックファス・パーソンズ1924年生まれ)に焦点を合わせる必要があるとに気づきます。そしてカポーティ自身が、「子供時代」のことを次のように語っていたことを著者アンリ・モウツは知ります。

「過去のある時代や、ある知恵を驚嘆の念で眺めることは至難の業です。それが最も理想的な形でなされるのは、子供時代です。子供時代以降であっても、もし運がよければ、人は子供時代への懸け橋を見つけ、それを渡ることができるのです」トルーマン・カポーティ


カポーティ自身の「子供時代」は、”愛の懸け橋”を一方的に取り外されてしまい、ほおり出されています。母リリー・メイ・パーソンズは、4歳になった息子を、ルイジアナカポーティルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ)から自身の故郷アラバマ州モンローヴィル(当時人口7500人)に連れてきて年長の親戚に預け、自身は仕事を探しに行くと数ヶ月後にニューヨークに旅だってしまったのです。リリー・メイの結婚生活は破綻していてもはや自分に愛と注目が注がれなくなったと知るや、赤ん坊をどう扱ったらよいか見当がつかなくなり、ベビーベッドに寝かせては友人とショッピングに繰り出したりと赤ん坊はいつもほったらかしだったといいます。育て方もまるで無知で、泣きやまなければクローゼットに閉じ込めて外出したそうです。愛が消え、短気で気性が激しいリリー・メイにとって子供は邪魔者となっていたのです。
母リリー・メイの実家フォーク家の家系は、南北戦争で亡くなったり不治の病と生活の厳しさからアルコールか麻薬中毒に陥る男たちが多くいたといいます。リリー・メイの両親も相次いで病気で亡くなり14歳の時から親戚で婦人帽の店を開いていたジェニーの家に預けられ、同じうようにそのリリー・メイの息子トルーマンもその家にまた預けられることになります(母方には戦争や病死から「孤児」になる子供が多くいた)。リリー・メイの夫で、トルーマン・カポーティの父となる人物は、アラバマの「貴族生まれの弁護士」と偽る山師でした。実際にはニューオーリンンズとセントルイス間の汽船会社に勤務していたためほとんど帰宅せず2人の関係はこじれていきます。

アラバマ州モンローヴィルで、4歳のカポーティはどんな子供に育っていったのでしょう。
「物書きの知り合いなどはいなかったし、実際、読書をするような人は身近にはほとんどいなかった…」とカポーティは過去を振り返っているものの、カポーティ少年は小学校に入学する前にすでに文字を読むことができました。なぜなのか。それはカポーティ少年が大好きだった乳母役のスック(預けられたジェニーの一番上の姉。公共の場所に出ることを酷く恐れる性格だげジプシーの野営地にはずかずか入っていき看病したりする。『草の竪琴』内に彼女のことは描かれる)と母方の親戚で小学校の教師だったキャリーから文字の手ほどきを受けていたのです。▶(2)へ

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トルーマン・カポーティ〈上〉 (新潮文庫)
トルーマン・カポーティ〈下〉 (新潮文庫)
草の竪琴 (新潮文庫)