伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

「モッタイナイ」という言葉を世界に広げたケニア出身のワンガリ・マータイ女史は、なぜ「ノーベル平和賞」を獲得したのか。1977年から30年以上にわたって取り組んでいた草の根的「グリーンベルト運動」。文字がなく「口承文化」しかなかったキクユ族と「イチジクの木」のこと


UNBOWEDへこたれない ~ワンガリ・マータイ自伝

ワンガリ・マータイ(1940年〜2011年)は、日本では「モッタイナイ」という言葉を、国連の「女性の地位委員会」の講演で連呼し、「モッタイナイーMOTTAINAI」という言葉とその心を世界に広めたアフリカの伝道師として知られています。もっともワンガリ・マータイは、京都議定書関連のイベントに招待された折りに、「モッタイナイーMOTTAINAI」という言葉を知り、その意味するところに感銘を受け知る1年前の2004年にノーベル平和賞を受賞している世界的な人物でした。
マータイ女史は「モッタイナイーMOTTAINAI」精神を世界に広めた人物ではありますが、なぜ彼女がノーベル平和賞を受賞したのかを知ることは、大きな曲がり角に突入しているこの時代に大いに意義と価値があるとおもわれます。ケニアの地から、そしてアフリカから地球を”看護”する現代のマザー・テレサの様な存在なのです。それは彼女がなぜノーベル平和賞を受賞したのかその理由にあらわれています。マータイ女史のノーベル平和賞を受賞は、「環境分野」を通じた世界初のノーベル平和賞でした。「環境」と「平和」が切り離せないものであること、「環境」への疑問を深めていけば、必ずそこに政治や政策、人種、部族の問題にぶつかり、ひいてはその土地や地域の「平和」が希求されるのです。マータイ女史は30年以上にわたりその困難と壁の突破に生涯をかけてきたといっても過言ではありません。
その「環境分野」とは何だったのか。ケニア人「一人一本」の木(1500万本)を植え、アフリカに3000万本の樹木を植える「グリーンベルト運動」がそれでした。マータイ女史はこの運動を1977年から取り組んでいたのです。今日でこそ、様々なレベルで植樹は盛んですが、日本がまだ昭和の時代、バブル時代になるはるか以前から草の根による「グリーンベルト運動」を提唱し、実現に向けて困難に立ち向かっていたことになります。

ワンガリ・マータイさんとケニアの木々
ワンガリ・マータイさんとケニアの木々

「……この草の根運動の仲間と私は、木を植えることによって、理念を植えた。そしてその理念は、木と同じように育った。グリーンベルト運動は、教育と水へのアクセス、公正さを与えることによって、人々ーその多くが貧しい女性たちであるーを力づけて行動を促し、人々と家族の生活を直接向上させるのだ。
 私たちは30年におよぶ経験によって、「木を植える」という小さな行動が、やがて大きな変化をもたらすことを知った。そしてそれは、環境や優れた統治、平和という文化に対する敬意にもつながっている。このような変化が起きるのはケニアやアフリカだけではない。アフリカが直面する困難、とくに環境悪化は、全世界に共通する問題である。……」(『へこたれないーUNBOWED:ワンガリ・マータイ自伝』小池百合子小学館 2007年刊 巻末の「green belt movement international」を紹介する頁より)

「木を植える」運動を起こすようになったマータイ女史がどんな家族と環境(土壌)に生まれ育ったのか、『へこたれない:ワンガリ・マータイ自伝』を参照しつつみてみましょう。ワンガリ・マータイは、聖なる山ケニア山が眺望できる南西50キロ程にある州都ニエリ(首都ナイロビの北方約100キロ)近くの小さな村イヒデに生まれています。両親はケニアにある42の部族の一つで最大の部族キクユ族(現在人口の約22%。バラク・オバマ米大統領は13%と3番目に多いルオ族につながっている)で、家は土壁でつくられた小さな自作農家でした。6人兄弟姉妹の3番目で、初めての女の子。キクユ族では長女は「ふたり目のお母さん」のような役割を果たすといわれ、ワンガリも母といつも一緒にいて、いつも母のすることを真似ていたといいます(母はワンガリの人生において心の拠り所となる)。読み書きを教わったことは一度もなかった母は、穏やかで優しくも逞しく、強い義務感と責任感をもった働き者でした。ワンガリは母が叱る姿を一度も見たことがないと語っています。ワンガリという名前は、勤勉で几帳面な性格だった父方の祖母の名前から付けられたものでした。キクユ族の子供の名付け方は、「自分は名前をもらった親戚の生まれ変わり」と感じるようにできているといわれ、ワンガリ自身も、癖や話し方、歩き方、ものの整理の仕方まで祖母にそっくりだといわれてきたといいます。キクユ族が抱く「命は永遠に続いている」という感覚はそうしたところからもきているといいます。

ケニアの女の物語
ケニアの女の物語
他の部族と同様、キクユ族には文字がなく、文化はずっと「口承」で受け継がれてきていました。「口承文化」のうち、もっとも重要なことは何世代にもわたって語り継がれてきた「物語」(神話の様に複雑だった)で、一日の畑仕事が終え夕飯ができるまでの間に、子供たちは年配の女性たちの話しに耳を傾けるのでした。
ワンガリ・マータイが、樹木を植える「グリーンベルト運動」と心根深くでつながっているものは、家の周囲に当時は無数にあった巨大な野生のイチジクの木(直径20メートルほどにもなる)の存在といってもいいでしょう。イチジクは「神様の木」といわれ、キクユ族はイチジクの木に畏敬の念をつねにもっていました。マータイの家近くのイチジクの木から200メートルほどの所に小川の源泉が涌き出していて、子供たちはその水をいつもそのまま飲むことができたのです。またその小川に沿ってバナナやサトウキビ、クズウコンが植えられ食べ物も供給してくれたのです。

マータイ女史は後にイチジクの根系と地下水の帯水層との間につながりがあることを知ったという。イチジクの根は地中深く突き進み、岩をも突き抜け、地下水面に達することができ、一方地面の凹地で、水を湧き出させることができるため、イチジクの木がある周囲には、自然とせせらぎが生まれことが多いといわれている。さらには地中深く根をはることができるらめ周囲の土壌をしっかり固めることもできる。イチジクの木はマータイが幼少期の時には、さまざまに恵みをもたらしてくれる木だったのです。(『へこたれないーUNBOWED:ワンガリ・マータイ自伝』)


▶(2)に続く-未

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