伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

目黒太鼓橋の椎の樹と歴史資料館

syncrokun2009-09-25

昨日、江戸時代、安藤広重が江戸名所百景に描いた「目黒太鼓橋」脇に描かれている椎(シイ)の古木(今もまだ当時のその樹はそこにたってます。長老の樹です。右の写真はその椎の木)の帰りに気になった「目黒歴史資料館」に少しばかりよってみました。たしか廃校・統合になった目黒第二中学校の跡地をそのまま利用していて、利用者もまばらなようでしたが、展示はなかなかに充実しており興味ある方はぜひ足をのばされるといいとおもいます。15年程前に発掘されたばかりの中目黒の富士信仰の拠点(恵比寿方面に上っていく時に通る槍ガ崎交差点の南方にあるこんもりした丘)の麓から横に寝かされた大日如来のレプリカやその洞窟の様子を実際に再現していたり、江戸時代以前の関東武士の目黒一族のこと、徳川幕府天領だった目黒(当時は荏原)が増上寺の寺領になり、後に祐天寺領(アートバードのあった場所は地主は祐天寺でした)となった経緯、中目黒に隣接している三田(JRの三田駅からは随分はなれてますが)はかつては御田で、あったこと、2万5000年前にすでにこの地域に人が存在していたこと、その存在の証の石器類など、池尻大橋の氷川神社の麓までかつては入り江になっていたことなどなど、すっかりアースダイバーになってしまいます。とにかくどの場所に住んでいても、たいがい興味つきないものが、じつはあちこちにあることは、意識や興味が向くかどうかのことで、店の立退きの如く、あったものが、無くなるってことは、2万5000年の間にそれこそ何千回も繰り返してきたことで、その前はじゃあ、どうだったのか、なぜそうなったのか、と入りこんでいけば、歴史の地層につながっていき、イマジネーションはウェブ状に走りだします。