伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

ディズニーランド 55 × ゴジラ松井 55 × 写真


今年からゴジラ松井選手がヤンキーズからアナハイム・エンジェルスに移籍したわけですが、「55」にまつわる偶然があります。上の動画は、ディズニーランドがオープした1955年の時の記録です(YouTube上には別のロングバージョンものもアップされています)。1955年、一つ目の「55」。2つ目の55は、もちろん松井選手の背番号の「55」! 3つ目は、2010年の今年が、ディズニーランドがオープしてから「55年目」なのです。偶然といえば偶然で「55」ばかりが並びました。西海岸で比較的行きやすいところですので私もできうれば行ってみたいものです。
ミズーリ州ウォルト・ディズニー(1901年生まれ)の家の近くにサンタ・フェ・パシフィック鉄道が走っていて、ウォルトは列車が走る音が大好きだったようで少年時代、鉄道構内でポップコーンや新聞を売っていたそうです。絵を描く事、写真も大好きだったようで、ディズニーランドのオープから4年後の1959年に、イーストマン・コダック社のカメラが大々的にディズニーランド内で紹介され、パーク内ではあちこちで写真が撮れるようになっていきます。東京ディズニーランドでもそれは同じで、スプラッシュ・マウンテンなど、気づけがあちこちに、お客さんが最も楽しんでいる笑顔を撮る仕掛けになっています。ここに今日のインスピレーションがあります! お客さんが最も喜んでいる時に「写真」を撮ってそれを記念にする、という発想です。「写真」じゃなくてもいいかもしれません。楽しいときに、さらに楽しくさせてみる。人間の感情に自然に発生するものをまずは大切にしたいものです。
同時にダイアン・アーバスがかつて撮影したディズニーランドの写真のように、楽しさを最大限に引きのばした魔法の国がゆえに、魔法がかかっていないランド内は、真逆に空虚が漂います。幼い頃から、そして大人になっても「不思議の国のアリス』を愛読してきたダイアン・アーバスの写真は、人気のまったくないディズニーランドでした。「不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロル(ドジソン教授)もまた写真好きだったことは有名な話です。そしてルイス・キャロルが幼い頃、ウォルト・ディズニーとまったく同じように、自宅の庭でかなり大きな電車をつくって走らせていたのはまた別の偶然なのでしょう...