伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

「何の恨みもないベトコンと、俺が闘う理由はない!」と言い放ち、ボクサーライセンスを剥奪されたモハメド・アリという男の生涯

モハメド・アリ—その生と時代 (上) (岩波現代文庫—社会)モハメド・アリ—その生と時代〈下〉 (岩波現代文庫)



モハメド・アリMuhammad Ali)は、格闘技のようなヘヴィー級のパワーボクシングに、”タイミング”と”スピード”と”的確さ”をミキシングし、「革命的変化」をもたらした人物としてでなく(その世界においてトップレベルの能力を発揮しながら、そのフィールドに「革命的変化」をもたらしたという意味で、ポップ・ミュージック界のビートルズ、サッカー界のヨハン・クライフ、小説界のジェイムス・ジョイスの存在に例えられるという)、ボクシングの枠を超えたシンボル的存在でありつづけました。
世界ヘヴィー級チャンピオンのソニー・リストンを倒し王者でありつづけた約3年後、ベトナム戦争に対し<良心的徴兵拒否>をし、もっとも油が乗り切っていた20代後半の3年7カ月の間、世界ヘヴィー級王座のみならずボクサーライセンスを剥奪されています。集まったジャーナリストたちに「何の恨みもないベトコンと、俺が闘う理由はない!」と語り、反戦・平和を訴える一部の学生たち以外、メディアからも多くの国民からもずっと非国民として遇されつづけたアリ。クリント・イーストウッドの映画『グラン・トリノ』で描かれた世界につながる心を、アリは体験的にもっていたのです。
アリが非国民のレッテルを貼られたもう一つの理由が、ヘヴィー級世界チャンピオンになる前に反体制的組織、マルコムX率いるブラック・モスレムへの加入でした。しかし、アリの徹底したその姿勢の背景にあるのは、祖父・父、家族、そして少年期の自分が体験してきた過酷な黒人差別でした。モハメド・アリの本名カシアス・クレイは、白人に与えられた奴隷時代の名前で、マルコムXに心酔し一時「カシアスX」と名乗った時もありました。
アリの白人嫌いは「祖父譲り」だといわれていますが、その祖父は痰壷掃除人として働き(後に氷と薪売り)、生涯白人から受けた仕打ちを忘れることはありませんでした。また俊敏な運動神経もこの祖父から受け継いだものだといいます。祖父はもし時代がもう少しずれていたならば、大リーガーとして名野球選手になっていただろうというほどのスポーツマンでした。アリの父はどうだったかといば、祖父とはまるで異なり、町の看板絵描きでした(母は白人の家でメイドとして働き家計を助けていた)。居酒屋の壁画に映画館の広告、クリーング屋の文字看板まで、何でも描いたといいます。アリの祖母は、父をニューヨークかボストンに行かせて絵を本格的に勉強させてやりたかったようですが、経済的な余裕はまったくなくあきらめるしかなかったようです。アリのボクシング一筋の姿勢は、フィールドがちがっても父の絵に対する一心さに通じるものがあるようです。
アリ少年はいつ「ボクシング」に出会ったのか。小学校へ通うバスに乗るお金もなくずっと走って通うのが当たり前の毎日だったアリは、12歳のある日、故郷ケンタッキー州ルイヴィルで、年に一度、黒人たちのバザーに出掛けた時に、クリスマスプレゼントに父にねだって買ってもらった自転車が盗まれてしまったことに端をはっします(自転車が盗まれてなかったらボクシングと出会ってなかったかもしれません。世界チャンピオンになってからも自転車に乗るのがアリの楽しみでありつづけました)。半泣きで自転車を探すものの見つからずポリスマンを訊ねると、その人物はバザーが催されていた建物の中にあったボクシングジムのトレーナーを兼ねていたのでした(彼がアリの最初のトレーナーになることに)。アリはボクシングの練習風景を無我夢中になってみつめていたといいます。その様子をみたポリスマンは、自転車の盗難届の用紙にくわえてボクシングジムへの加入申込書をさしだしました。父は最初、危険なスポーツに反対していましたが、悪い仲間と遊び回るよりはいいだろうと許し、アリは町のワルガキとも遊びながらも、一日も休まずジムに通いつづけます。「ボクシング・チャンピオン」、それがアリ少年の心の裡で、焦点を結んでいったのです。ボクシングのみならず、サッカー、バスケ、ベースボールなどなど、どのスポーツであっても身体能力だけでなく、環境と意識、希望・夢、情熱が幾重にも織りなされて、はじめてひとは心身もろとも入りこんでいきます。強靭なパンチもキックも決して肉体的なものから繰り出されるものではない、それがモハメド・アリの生涯からよく伝わってきます。もっと突っ込んでモハメド・アリを知りたい方は、ぜひ本書などを読んでみてください。(ちなみに今回は、『モハメド・アリーリングを降りた黒い戦士/Muhammad AliーLife Story』Media Factory Inc.1992』を参照しています)

モハメド・アリ—リングを降りた黒い戦士 (The LIFE STORY)
モハメド・アリ—リングを降りた黒い戦士 (The LIFE STORY)
モハメド・アリとその時代—グローバル・ヒーローの肖像
モハメド・アリ—合衆国と闘った輝ける魂
モハメド・アリ—その闘いのすべて