伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

レディー・ガガが、幼少期に大好きだったのは、「ダンス」と「裸」。高校は、NYの聖心女子学院。成績優秀で、バンド活動もやり、「演劇オタク」でもあった。

レディー・ガガ (MARBLE BOOKS Love Fashionista)


世界の音楽シーンを席巻しているレディー・ガガ(本名:ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ)は、どのように「レディー・ガガ」になったのか。『レディ・ガガLADY GAGA』(ブランドン・ハースト著 長澤あかね+中村有似訳 Marble Books)を参照しつつ、「マインド・ツリー(心の樹)」的にアプローチしてみると、きわめて興味深いことがわかります。ようするに噂のプロデューサーや影の仕掛人がバックについているのでもなんでもなく、基本的にすべて自身の”根っ子”から立ち上がっていった樹体と枝葉と果実で颯爽と勝負していることがわかってきます。曲は勿論のこと、初期の頃は衣装・舞台セットをデザインし演出もしています。現在はアンディ・ウォーホルの「ファクトリー」を参考にしたクリエイティブ・チームの「ハウス・オブ・ガガ」(全員26歳以下とのこと)が担っています。
ステファニー・ジャーマノッタはどんな少女だったのでしょう。高校時代には異様に変わった部分が目立たざるをえない次元にすすんでいました。音楽的感性が優れていた少女だっただけでなく、学校演劇も出ずっぱりで(自身、演劇オタクでもあったという)、バンド活動もやり、試験の後にはドラッグでラリったり悪さもしょっちゅうでありながら学校の成績もよく(いつも満点)、授業は退屈で仕方なく、その分、衣装に凝り衣装デザインをし舞台で演じたりしていたといいます。演じ手だけでなく自校のパフォーマンス・ステージを主催すらしています。ステファニーが通った高校は、ニューヨークにあるカトリック系の女子校の聖心女子学院(日本の聖心女子学院の姉妹校であるニューヨーク校。ヒルトン姉妹も在籍していた)でした。どうも全米トップのジュリアード音楽院に入学できなかったために(そうだろうと言われているようだが)、聖心女子学院に入学したようです。
聖心女子学院ではステファニー・ジャーマノッタの飛び抜けた個性は抑圧され、髪型や服装が皆と変わりすぎていてパーティの時以外は、まったく周りにはとけ込めなかったようです。メイクが大好きになっていて帰宅してすぐにメイクするとそのまま寝て朝をむかえる。ただ聖心女子学院の教育には、突っ走るばかりのステファニーにとってプラスの面もあって、たとえばステージやショーをつくる際に、さまざまな構成要素から何をどうイメージをふくらませてつくりだしていくかといった(たとえば赤という色でもどんな素材による赤なのか、何を意味する赤なのかなど)ことを教えられたと語っています。
高校時代から一気に遡ってみましょう。幼稚園児のステファニーは音楽だけでなく、「演技」も大好きだったようです。音楽はブルース・スプリングスティーン気取りでバンド活動にもいそしんでいた父の影響をたっぷりと受けてマイケル・ジャクソンシンディー・ローパーらのサウンドに合わせて歌い踊り、4歳の時にピアノも聴き覚えて弾けるようになっていたほどでした。気質は母譲りのようで、ステファニー本人も母はこの世に他にいないくらいに強い女性だと語っています。その強い母が学校では変人扱いされた娘をずっと応援しつづけたことが、「レディー・ガガ」誕生(母はステファニーを生んで、「レディー・ガガ」も生んだ。つまり二重に生んだのだ)の大きな要因にもなっているようです。10代の頃、クラブで歌う時、最初の頃いつもついていきステージを観賞するのが常でしたし、両親はこの娘は他の子とちがうと早くから感じ取っていて対処してきたようです。
ところが10代後半になって、さしものそんな娘思いの両親も目を点にする様な衣装デザインとパフォーマンスを繰りひろげる様になっていきます。衣装デザインは奇抜を超え、ほとんど「裸」でした。が、「裸」もまたステファニー・ジャーマノッタが幼少の頃から大好きで、子供の頃に大好きだったものは「ダンス」と「裸」だったのです。両親をうろたえさせることになった18歳からはじめたストリップクラブでの仕事(家を出て自活するために働く必要に迫られたものではあったが、自身のセクシャリティに強い意識をもち自身が溢れていた身体を解放する仕事だった)も、”生まれたままの姿”で仕事ができたからでもあったようです。その延長線上に、まさしく”生まれたままの姿”でやれる職業としての「娼婦」に関心を持ち、アムステルダムに実際の「娼婦」にインタビューをしにいったほどでした。そしてそれがまた自身のステージへと活かされていくのです。
こうしたリサーチは、以前からステファニーの得意とするところでした。自分のヴィジョンにとって必要だとおもえば、まず相手に敬意を払って会い話したり、「参考」にさせてもらい、それを自分のヴィジョンに組み込んでいくのです。その結果、一度も組み合わされた(編集された)ことのないかたち、誰も予想したことのないイメージやデザインへと<まとめ>あげていくのです(セクシーでグラマラスなイメージへ)。幼少期、少女期の「心の樹」の勢いそのままに、こうした意識的に冒険的にして知的な方法とスタイルへと高いレベルへギアシフトすることができたのは、聖心女子学院卒業後、全米屈指の芸術学部があるニューヨーク大学へ入学してからのことでした。ステファニー、17歳の時のことでした。▶(2)へつづく-未
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