伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

:「もののけ姫」に登場するたたらの村出身で、水木しげると同じ土壌に生まれ育った


ゲゲゲの女房


漫画家・水木しげるが、まったく売れない貸本漫画家時代(紙芝居作家も貸本漫画もテレビの登場で斜陽化)がつづいていた40歳の時に実家からの矢の様な催促で見合いさせらたのが、後に「ゲゲゲの女房」と呼ばれるようになった武良(むら)布枝でした。武良とは水木しげるの本姓ですが、この布枝夫人がともに赤貧時代を歩み(あまりの生活に当初は騙されたとおもったという)水木しげるのよき理解者となり支えたことで、水木漫画や妖怪研究者としての夫が、より深く広くパワーアップされたことは、NHKのTVドラマ「ゲゲゲの女房」や原作からもつとに知られることになりました。
私はTVドラマ「ゲゲゲの女房」は途中からとびとびにしか見れなかったのですが、原作の『ゲゲゲの女房—人生は…終わりよければ、すべてよし!』実業之日本社 2007年刊)を読むと、見合いから結婚までわずか5日間だったこと、また戦場で左腕を無くしながら自身の生き様を貫く夫・水木しげると連れ添った様子、極貧の生活や理不尽なこともすべてを受け入れ古い日本女性の生き方をとおすだけだった、と語っています。布枝夫人が「鏡」の様になって水木しげるの生活や習慣、物の考えが映し出され、楽しく読める本に仕上がっています。
たとえば食費も底をつき腐ったバナナの話。水木しげるによればラバウルでの体験をふまえた上でのことなので、腐ったではなく、腐る寸前の匂いたつようなバナナは本当はうまいんだ、とさとされ一緒に食べ空腹を何度もしのいだことなど。2人はまるで「二人三脚」(2人で3本の足の妖怪。氏が片腕を失っていたので二人三腕だったように)の妖怪になって不思議な団結力で食うや食わずの赤貧時代をしのいでいきます。
じつは布枝夫人にそんな役回りができたのも一つには、生まれが夫と同県の島根県水木しげるの故郷・境港にも近い大塚近くの山間地にある布部の宇波だった)で、なんとその地は宮崎駿監督の「もののけ姫」に登場するたたらの村のモデルになった場所が故郷だったのです。母方の祖母も「のんのんばあ」のように昔話しが大得意なひとで、布枝夫人も小さな頃に村の言い伝えをよく聴いていたこと、路傍のあちこちに置かれた自然石や地元の精霊流し、村人総出で盆踊りを通して目に見えない存在を身近に感じ取って育ったとのことです。最初は魂消ていたものの妖怪が闊歩する「水木漫画」を理解し陰から支えることができたのも土壌を同じくして育ってきたからだったとおもわれます。
また本書には水木しげるの母のことが少し描かれていて、水木しげるの著書ではどういうわけか「のんのんばあ」の影に隠れてしまっていますが、じつは強烈な個性の持ち主で、また知的な感性をもった人物なのです。息子が片腕を無くした太平洋戦争時でも、当時、地元で皆集まって練習したバケツリレーにも「負け戦とわかっているのに、そんなもん、やってもムダ」といって頑として参加せず、玄関先には何をいわれようと国旗を掲げず、子供は生めよ増やせよの時代でなくこれからは少数精鋭なんだと語り、10人前後生む時代に3人だけと決めバースコントロールをしていたのですアメリカの女性運動家サンガー女史の書物から学んでいた)。沖縄のシーサーに何かひらめくと勝手に物語を考えだし、水木に提案し鬼太郎の物語のなかに登場させるよう迫ったりもしたというほどの烈女だったこともあかしています。
水木しげるの「心の樹」は、父や母、「のんのんばあ」に地元の人々や風土、土壌を同じくして育った夫人、そうした環境や土壌、水源に深く根をはって成長していったかが本書を通じてさらによくみえてきます。私事ですが今年もまた、調布にある水木ロード、そして深大寺そばを食べ泉質が素晴らしい深大寺温泉に浸かろうかとおもいます。古木が生い茂る深大寺の深い水脈が、水木しげるをこの地に呼んだにちがいありません。
お父ちゃんと私―父・水木しげるとのゲゲゲな日常