伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

米国の一般的中流家庭に生まれる。小学5、6年生の時、探検家ヴァスコ・ダ・ガマの「伝記」を読み、学校演劇を企てる。ハリウッド流<映画術>にない映画づくりは、20代の時、脚本家志望の延長に、6年間続けることになった「産業映画」の監督経験からだった


ロバート・アルトマンが監督として製作に加わった『ジェームズ・ディーン物語ーThe James Dean Story』(1957 32歳の時)ー事故の再現シーンはアルトマン本人が運転している
ロバート・アルトマン—わが映画、わが人生


映画『M★A★S★ H』や『プレイヤー』『ショート・カッツ』(あの村上春樹氏訳のレイモンド・カーヴァー短編集が”一応の”下敷きのマルチプロット映画。最後のシーンは地震だった!)、『イメージ』『ナッシュビル』、TVの「コンバット」シリーズ(1960年代に日本でも放送。私事ながら私もかなり見ていた)などで知られる映画監督ロバート・アルトマンを取りあげてみます(R.アルトマン監督は心臓移植をしたことを告白、2006年に死去。1925年生まれ、享年81歳)
これまで「「伝記Station」内ーMind Tree)において、映画監督を何人もとりあげてきましたが、R.アルトマンもまた映画監督になる「夢」をみて、少年時代から懸命に努力を積み重ね、その階段を決して一段づつのぼっていったわけではない、ことがよくわかる事例といってもいいでしょう(実現された「夢」から経過を遡った時、すべての段階が「夢」に至るための努力でありプロセスととられがちになるが、現実は大いに異なる。「夢」とは、なにか遥か遠くに「点」のようなものがあって、必ずしもそこに向って一直線にすすんでいくようなものではないことがほとんどだ…ましてやこの時代。「夢」とは自分の内部に宿り、それがモデルとなる人物や状態に反映されるものなので、自分が内面的に成長し体験も積み変化していけば、それにともない「夢」も成長し、モデルとなる人物や状態も変わっていく。そして枝葉が伸び繁るように広がりがでて、いろんな色あいや形をとっていくことになる)
前置きはこれくらいにして、ではロバート・アルトマンの場合どうだったのか具体的にみてみましょう。まずは、自身の若き日ー少年時代ーを次の様に語っています。

「父は土地でミズーリ州カンザス・シティ生まれた人間で、カントリー・クラブでするゴルフとトランプのジン・ミラーが世界の全てといった人だった。取り立てて変わったことのない快適な中流家庭の環境だった。私の世界も狭かったよ。空軍に入るまでカンザス・シティの外に出たことがなかった。空軍に入って初めて故郷の町以外にも世界があると知ったんだ…。どの叔母もみな”もどき”の流派で芸術に親しんでたね。ひとりは絵を描き、ひとりはピアノ、ひとりは歌をやっていた。みんなアートをたしなんでいた。男たちは商売と酒盛りに勤しむといった類で、それがあの辺りの当時の文化でもあったんだろう。実際、特別なことは私の人生に何ひとつ起こらなかった。まっとうで安全な道ばかりを歩んできたわけではないとしてもね…」(『ロバート・アルトマンーわが映画。わが人生』キネマ旬報社

アルトマン少年が育った家庭環境は、農務省勤めの研究者だった父の下で育ったデイヴィッド・リンチのそれ(問題のない中流家庭の環境。転勤は多かったが)とそれほど遠いものではなかったようです。親族の多くがアートに親しんではいたものの各自それなりに楽しんでいたようで、米国でも日本でも中流家庭といわれてきた環境では比較的一般的といってもよいかとおもわれます(当時の第二次大戦期前とリーマン・ショック以降では無論状況は大きく異なるものの)。ちなみにアルトマン家の祖先はドイツ出身、曾祖父が19世紀半ばにアメリカに移民しています。その息子が宝石業界に入りカンザスに店を出し成功。アルトマン家は地元で不動産と建設業で知られた一家となっていきました。
さて一つのエピソードがあります。アルトマン少年が小学5、6年生の頃、インドに到着した最初の航海者にして探検家のヴァスコ・ダ・ガマのかなり分厚い『伝記本』を手に入れて読みふけり、その探検ぶりを「芝居」にして学校演劇として上演できないか提案したことです。探検家や冒険家は今日以上に当時の子供たちを虜にしたにちがいありませんが、その伝記本を読んで、それを学校演劇にかけてみたいと企てる小学5、6年生はそうはいないでしょう。またその企ては、後の映画監督を予感させます(アルトマンはフィンセント・ヴァン・ゴッホの伝記映画も製作している)
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また、かなり後まだ駆け出しの頃、ジェームズ・ディーンが亡くなった直後にJ.ディーンのドキュメンタリーの製作にかかわっています(『ジェームズ・ディーン物語』1957年制作。32歳の時。事故の再現シーンはアルトマン自身が運転。その生涯と人間像に触れ、J.ディーンに対する偏見が一気に吹き飛んでいったという。1982年にも『わが心のジミー・ディーン』を監督。ジェームズ・ディーンは、当時の米国で新しい若者像を切り開いたことから、西欧人として海路はじめてインドに達した探検家ヴァスコ・ダ・ガマと相通じるものがあるのではなかろうかー筆者)
アルトマン少年の目に、映画はどうみえていたかというと、本人いわく、当時の子供らとたいして変わらず、大好きだったとはいえ情熱を傾けて見ていたかといえばそれはなかったようです。「編集的」な仕事である映画監督が少年の「夢」にのぼってくるには小学生では早すぎるのです。その年齢では、脳の構造と知識、体験が「映画」をつくるという背景に、まだ準備されないのですゴジラの映画を見る場合のように視覚的、感情的には大興奮するが)。段階としては、後に様々なかたちで映画にかかわるようになる人は、絵画や演技、ファッション、映画俳優、あるいは物書きなどといった映画のなかの要素の一つに、若い頃にほとんどまちがいなくのめり込んでいきます。
アルトマン少年の場合は、絵に没頭していったデイヴィッド・リンチと違い物書きでした。もっともすぐに物書き(脚本書き)がはじまったわけでなく、まず10代の半ば過ぎに映画『逢びき』デヴィッド・リーン監督:脚本ノエル・カワード 1945年製作 カンヌ映画祭グランプリ)を観て映画の主人公の女性に恋をして何かが変わっていったと後にアルトマンは語っています。つまりアルトマン少年は、物語(脚本)的要素ではない部分、スクリーン上の女優、その「イメージ」に魅了されていたといえないでしょうか(魅了される要素が2つ以上の場合、1つの時よりも関心や好奇心が”発芽”する確率がものすごく高くなる。まさに映画に関係するようになる者の場合、最低でも2つの要素に、多いに魅惑されているはず)
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その後、アルトマン少年はイエズス派が運営するハイスクールを卒業後、17歳の時、ミズーリ州にある陸軍士官学校に進学、そして空軍に志願します(爆撃隊では副操縦士で一度墜落して生還している)。そして除隊後に、アルトマンは映画の世界へと一歩踏み出していきます。アルトマンはフェリーニベルイマンの作品に大きく影響を受けますが、それはまだ先のことフェリーニの『道』は1954年、『カリビアの夜』『甘い生活』は50年代後半。ベルイマンが監督のスタイルを確立したのは1950年の『夏の遊び』、52年の『不良少女モニカ』あたり)。アルトマンがとった行動とは滅多に書かない手紙を書いたことでした。その相手は父のまた従姉妹でした。彼女はデヴィッド・O・セルズニックの兄の秘書だったことを知り、映画の華やかな世界にコネをつけようと目論んだのでした。そして、手紙の書きっぷりに感じた彼女からの返事はひとこと「作家」になれば、だったようです。アルトマンはそのそそのかしを真に受け気持ちをチャージしシナリオを書きはじめたと語っています。その矢先、ある種のシンクロニシティーが起こります。父の仕事の関係で移り住んだ西海岸のマリブの地で、偶然アルトマン家の1階を借りることになった男とアルトマンはタッグを組むことになるのです。その男は、「ニューヨーカー」誌で名が馳せた漫画家ルーシー・ゴールドバーグの息子で、映画監督志望でした。アルトマンは「脚本書き」でした。
いっぱし気分でスタートしたものの、アルトマンはハリウッド映画界での居場所を見つけることができず、ニューヨークの演劇界に向おうとします。実際ニューヨークに向う途中、故郷のカンザス・シティに立ち寄ったアルトマン。その地で出会ったのが「産業映画」を製作していた会社カルヴィン社の者でした(その人物はニューヨーク・ブロードウェイで舞台監督をした経験もあり、彼の母が小学校時代アルトマン少年に美術を教えていた)。アルトマンは彼に「明日、見に来てごらん」と誘われ、そのままその会社に6年勤めあげることになります(ライターではなく監督として。自ら脚本を書き上げ、撮影、編集、スコアをすべてこなす監督として)。アルトマンはトラクターから交通安全の映画、バスケットボールに関する映像を撮りつづけ、その現場で映像技術と撮影方法の多くを身につけていきます。この20代の若い頃に、「産業映画」に長い間、身をおいていたことがアルトマンに、<ハリウッド流>映画術とは異なるものを獲得させたのです。アルトマンは次のように語っています。

「…(産業映画から)始めたことで、随分助けられたんじゃないかと思うね。映画界の連中とは異なる見地にたってあらゆることに取り組んだから。他の形で映画の仕事にあたったことがなく、他の監督のやり方を見たこともなかった、それが私をちょっとおかしな存在にしているのは確かだろう…」( 『ロバート・アルトマンーわが映画。わが人生』キネマ旬報社より)

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ジェームズ・ディーンの「Mind Tree」へ http://artbirdbook.com/Noindexold.html/MTplatform/Dean1.html

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