陰に陽に大きな影響を与えた父は、単なる衣料品経営者などではなく、宇部市の繁華街の元締めにのしあがった人物。土建屋タイプの洋服屋だった父は実際に土建屋になっていく。内向的で大人しい性格だったが自分の意志ははっきりもっていた。父から「一番になれ!」と言われつづける
2010年売上げ1兆円の目標は達成されることはありませんでしたが、今度は2020年に売上げ5兆円企業実現を再度ぶちあげたばかりの(2011年、9月15日付け)株式会社ファーストリテイリングー「ユニクロ」の最高経営責任者兼社長・柳井正を取りあげます(ちなみに「ファーストリテイリング」の「ファースト」は、英文では「First」ではなく「Fast Fashion」の「Fast」なのでカタカナ表記では本来なら「ファストリテイリング(素早い小売業の意味)」なのだが「ファーストリテイリング」という表記になっている。略称は「ファストリ」だが)。
柳井正に関するディープな伝記・自伝本はありませんが(柳井正氏の気質からしてつねにイノベーションし続け第一の目標を達成するまでは、公式的なその類の書籍は恐らくつくられないでしょう)、フリースが爆発的ヒットとなり「ユニクロ」の名が名実ともに全国区になって以降に出版された、ファーストリテイリングー「ユニクロ」と柳井正に関する書籍やインタビューもの、さらに柳井正自身の著作をもとに柳井正の人物像やキャラクター、生い立ちや幼少期の環境についてある程度まであきらかにされています。「超合理主義」とか「傲慢」という揶揄ばかりにつきあうと、”人間・柳井正”を見失うことになりかねません。また「ユニクロ型デフレ」という捉え方にだけはまり込んでいる人も、一度、柳井正という人間にむかってみるのもよいとおもいます。
柳井正は2代目経営者であることは、2009年がファーストリテイリング創業60周年だったことからもうかがえます(1949年の創業時、柳井正は0歳児だ)。誰が1代目かといえば、それは柳井正の父・柳井等であることはユニクロ事情に少し詳しい方にはよく知られていますが、実際に小郡商事に洋服部門を設けたのは叔父で、さらに小郡商事そのものを興したのは叔父の兄だったことはこれまで知られていませんでした(小郡とは現・山口市の一部に位置する旧地名。厳密には小郡商事は宇部発祥にあらず。詳細は『ユニクロ帝国の光と陰』にあたって下さい)。最も創業60周年、柳井正も60歳。会社と柳井正の成長は軌を一にしていることは確かです。メンズショップ小郡商事が産声をあげなければ、今日のファーストリテイリングー「ユニクロ」も間違いなく存在していないでしょう。
ほぼ日ブックス#001 個人的なユニクロ主義 (ほぼ日ブックス)
そして父・柳井等氏は一人息子の正に、陰に陽に大きな影響を与えていく存在でした。父・柳井等氏は宇部の繁華街「銀天街」の”顔役”であり”元締め”のような存在にのしあがっていった人物だったようです。小郡商事が店を構えたのは繁華街の中心地で、父は喫茶店経営や「映画館」(店舗兼実家の隣に設けた)、さらにはショッピングモールもやりだしています。
このエネルギッシュな父・柳井等は、柳井正が中学時代に土建業をはじめています(地元のゴルフの打ちっぱなし練習場も造る。宇部興産の下請けなどをやっていたが同社の社長との強い結びつきから宇部興産の裏の重役とすら言われることも)。柳井正によれば、父は性格的には土建屋で、土建屋が洋服屋をやっていたようなものだったといいます。「土建屋タイプの洋服屋が、次第に土建屋にシフトしていって土建屋になってしまった」と『個人的なユニクロ主義』(糸井重里によるインタビュー本ーほぼ日ブックス)の中で語っています。しかも単なる土建屋ではなく、町のボス的な存在で国会議員の後援会の会長をやったり、市長や市議会議員、県議会議員に至るまで誰を選ぶか相談したり仕切ったりしはじめたといいますからただ者ではありません。
息子・正は、義理や人情にあつく親分肌で社交的な性格の父とは気質的にも性格的にもまるで真逆、幼少時からおとなしい子で、皆が騒いでもほとんど騒がないタイプだったといいます。姉と2人の妹の間の一人息子でおおよそ大事に育てられ、やわな性格の男の子に育ってしまったといいます。柳井正は自分ほど実業家や経営者に向いていない性格の者はいないんじゃないかと語っていますが、格闘家であろうとプロサッカー選手であろうと、一流になる者の性格はあまりもともとあまり関係ありません。それはドラッカーの言っていることでもあります。(ただ気質的には関心を抱いたものにはとことん執着するとか、負けず嫌いであるとかは重要な要素である。そして「マインド・ツリー(心の樹)」の方法からも、実業家や経営者に向いている、向いていないといった性格などないことがわかります)。プロ野球選手でも性格的にはリーダー格でなくとも一流プレイヤーになっている者も大勢います。むしろ柳井正の自己分析は、幼少時から青年にいたるまでの生育環境がいかに重要なのかを逆に告げているといえます。父が「教師」でもあり、「反面教師」でもあったとは柳井正の言です。と同時に、清濁あわせ呑まなければ世を渡っていけない現実、商売の厳しさというものを肌で感じ取ったとも語っています。
”根っからの経営者”とも言われる柳井正のその”根っ子”は、完全に生地の宇部と職場が1階だった生家の環境、それに親分気質で気性が激しい(しばしば息子正を殴ることもあった)父との影響関係のなかにあったといっても過言ではありません。地元から出て「ユニクロ」を経営するようになって松下幸之助や本田宗一郎、ピーター・ドラッカーの著作にのめり込んでも、やはり自身の”根からくる性分”があらわれでるのは柳井正でなくともやむおえないものがあるのです。それが柳井正の”根力”であり、たゆまぬ”根ばり=粘り”の源泉なのです。
ここで幼少期の柳井正についてもう少し詳らかにしておきましょう。おとなしい子だった正少年でしたが、あだ名は「山川」。「山」といえば「山」でなく、天の邪鬼のようにあえて「川」という、つまり自分の意見ははっきりもっていた少年だったといいます。小さい頃は、勉強は基本的に嫌いで、楽しいのは勉強以外の時間。それは勉強ができても家にお金がなくて上の学校に行けなかった過去をもつ父が、一人息子をよい大学に行かせようとスパルタ的に接していたことの反映でもあったようです。ただそのお陰なのか成績は中の上くらい(中学ではトップクラスだった時期もあったようだ。成績が下がると父は激怒した。学校の三者面談に来るのは母でなく必ず父だった)。学校では「おとなしく目立たない子」だったとはいえ、その”根っ子”は他の少年たちとは随分異なる”土壌”に張りめぐりだしていたことは間違いないようです。よって「フリーターから日本一の金持ちになった」という「表現」(『一流たちの修業時代』光文社新書。大学卒業後の柳井正青年の就職したくなかったという気持から職に就かなかった時期を今でいうフリーターとみた)はかなりひとをくったものといえます。
学校ではおよそ誰からみても目立たない内向的な子が、家に帰れば父からよく「一番になれ!」と言われつづける状態は少年にどんな影響を及ぼすのでしょう。目立ちたがりで外向的な子供よりも、少なくとも内面的葛藤は大きくなるはずです。しかし、おとなしく真面目で、それでいて白黒ハッキリさせる性格に加え、分析的で客観的に物事をとらえ、父のような「一本気」さが、本人も家族も誰もが予想しえなかった「超合理主義」で「傲慢」とも受けとられる一匹狼的な「商売人」を生み出すことになるのです。
▶(2)に続く-未
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