伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

ぬり絵を1枚ちゃんと仕上げるとハーシーのチョコレートを与えた母


さて、「Mind Tree Box/マインド・ツリーの箱 -伝記・自伝からみえる風景」の最初はアンディ・ウォーホル。ウォーホルの書籍は、これまでに間違いなく百冊以上は売っているのに、1950年にニューヨークのストリートを横切ろうとしている、まだ無名時代に撮られたウォーホルのスナップショット以前のウォーホルはどんな少年だったのか、伝記・自伝に幾らか描かれていて、またそれをかなり前に目を通したことがあったはずなのに、体が弱く母親っ子だったこと以外ほとんど忘れてしまっていました。忘れてしまったというのは正確でなく、「意識」の矛先(意識づけ)を向けたことがなかったから記憶に残らないのは当然なのでしょう。
で、3月の東日本地震で平積になって崩れ落ちた本がシャッフルされ、たまたま目に付く位置にきた2冊のウォーホル本にさらっと目を通してみました。するとどうでしょう、ほんの数頁拾い読みしただけでも「アンディ・ウォーホル」の”根っ子”が、確実に幼少期にあることが(無論すべてのわけがないが)目から鱗が落ちるようにみえてきたのです。
ぼくの哲学
アンディ・ウォーホル : ぼくの哲学-The Philosophy of Andy Warhol』(新潮社)には次の記述があります。炭鉱夫の父が出張でいつも家にいなかった時、「母はチェコ訛りが強かったけれども一生懸命ディック・トレイシーみたいな本を読んでくれて、ひと言もわからなくても読み終わったら『おかあちゃん、ありがとう』と言った。母はぼくがぬり絵を1枚ちゃんと仕上げるとハーシーのチョコレートをくれた」と(p36)。アンディがぬり絵を上手に仕上げるとハーシーのチョコレートをくれたので、アンディはいつも絵を欲しがるようになった。それに応えて母は近所の安物の雑貨店で売っていた「漫画」をまた買い与えたというのです。そしてアンディは漫画を上手く切り抜いて遊ぶようになって、近所の子供の似顔絵を描くようになり、小学校の女の先生からはアンディは一人で勉強するのが上手だと言われてもいます。
8歳から10歳の間には、舞踏病の発作が起こるようになり神経衰弱に陥り、ベッドの上でチャーリー・マッカーシー人形や紙の着せ替え人形で遊んでいます(『ウォーホルの青春』歌田明宏著)。人形はおそらく姉のものだったのもあったにちがいありませんが、イラストレーターとしてスタートを切ろうとした時、『グラマー』誌の編集部に行き、女性や女性ものの靴を描いてみるように注文を出された際、なんなく上手く描けてしまい気に入られることになる源流は、間違いなく幼少期にあるのがわかります。そのため母親が故郷ピッツバーグからアンディが仕事をはじめたニューヨークにでてきて一緒に住み(どこかうとましくおもいながらも)、母に描く靴を履いてもらったり、後に「アンディ・ウォーホル」と母がサインし、自らわたしが「アンディ・ウォーホル」なのよ、と言い出したのも、不思議な母子関係(父の姿がみえない)にその根がある、といえるのです。茂木健一郎氏もどこかで子供の成長にとって両親の影響は2割くらいなものと語っていましたが(あるゆる要因を勘定に入れればそうとも言えるでしょうが。また父親の空白は、その空白がゆえに別の意味で大きな意味をもつ)、「家庭環境」は子供の<心根>の重要な土壌になるだけに、ウォーホルにとってはもっと大きな割合を占めることになったにちがいありません。
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