伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

東日本大震災で津波被害を受けた北茨城磯原の生家「観海亭」は、徳川水戸家と縁が深く、また後醍醐天皇を助けた楠正成の弟の子孫であったことから今日の南朝・天皇家とも縁があった。野口家と「吉田松陰」との縁。博学強記の伯父から文学的素養を得る


名作童謡 野口雨情100選
名作童謡 野口雨情100選

「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで こわれて消えた
 シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
 産まれてすぐに こわれて消えた
 風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ」  
        (シャボン玉 「金の船」大正11年 1922年発表)

「赤い靴 はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった
 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった……」
         (赤い靴 大正11年 1922年発表)

         
「シャボン玉」に「赤い靴」「証城寺の狸囃子」、さらには「十五夜お月さん」「青い眼の人形」「こがね虫」……。ほとんどの日本人が幼少期に聴き覚え、歌った唄。これらを作詞したのが、童謡と民謡の作詞家で、詩人の野口雨情です。北原白秋西條八十とともに「童謡界の三大詩人」とされています。名前は耳にしたころがある方もいれば、ほとんど記憶にない方、まったく”耳覚え”のない方もいらっしゃるかもしれません。日本の童謡に関心をもたれてきた方は、いつぞや何処かで野口雨情の人となりやその半生にふれられたことがある方も多くいらっしゃることとおもいます。
この「伝記ステーション」では、伝記・自伝を通して、その人物の”根底”にあるもの、そしてその”人物をそうならしめていく”動因や契機を、とくに幼少期の生育環境にたどり、少年時代〜青年期にいたる成長と困難の様相に着目していますが、今回とりあげる野口雨情の場合、その生家が水戸や北茨城の深い歴史の”樹海”にあり、その生家の歴史と重さは太宰治の生家「斜陽館」どころではないことに、のっけから驚かれることになります。そして明治も暮れる明治42年まれの太宰よりも37年早い明治初期の9年に生まれた雨情は、「小説」というかたちではなく、「詩」「民謡」「俚謡ーりよう(田舎びた民間で歌われている歌)」、そして「童話」にと自身の思いを託し表現していくことになるのです。
資料として用いたのは、主に『創作民謡・童謡詩人 野口雨情の生涯』長久保片雲著 暁印書館 昭和55年刊)と『野口雨情ー近代作家研究叢書58』平輪光三日本図書センター 1987年刊)です。地元では広く知られている事柄でも、全国的になるとその事実も破片のように散らかり、全体の像が霧の向こうに隠れてしまうケースがよくあります。野口雨情のケースもその一つとおもわれます。
人間の記録 172
野口雨情は(本名、野口英吉)、明治5年5月29日、茨城県茨木市磯原日立市より30キロ程北方の福島県より)に生まれています。生家は地元の里人が磯原御殿と呼ぶ「観海亭」でした(幕末には勤王の志士・野口正安、藤田東湖の「弘道館記」、徳川光圀の書など多くの古文書が残される屋敷だった)。この観海亭は水戸藩初代の徳川頼房から与えられ、その名称は水戸黄門として有名になる水戸家2代目・徳川光圀から贈られたものでした。徳川・水戸家とのつながりだけでなく天皇家とまでも縁に結ばれていたのです。野口家の家紋は「菊水」で、天皇家のシンボル「十六菊」の菊があしらわれた家紋でした(小学校で級友たちから「罰が当たる」と言われた。江戸時代には徳川家の葵紋と比べ、菊紋は役者や町家の商標に乱用されるほど権威は失墜していたが、明治以降に天皇の権威が絶対化してくると菊紋も絶大な権威を有するようになる)。いったいどのように野口家は水戸・徳川家だけでなく、天皇家とまでも深い縁を結ぶことになったのか。それは鎌倉時代末の野口家の遠い祖先にかかわることでした。
野口家の祖は、楠七郎橘正孝二世の孫子だったとされます。楠七郎橘正孝の名をみると、「楠」と「橘(たちばな)」とあり、「楠」は吉野に逃れた後醍醐天皇を助けた楠正成(まさしげ)の弟・楠正光(まさみつ)の子孫であることをつげ、「橘」とは後醍醐天皇が京都で建武の新政をはじめた時、楠正成が「橘」の姓を賜わりその姓を頂いたものでした。「橘」から「野口」になったのは、追われる南朝に見方したことから、足助重範の末裔を頼り現在の名古屋あたりに隠棲、当時のその地名「野口村」をもって氏としたのでした。後に(少年時の家康が人質にさしだされていた)駿州今川家に仕え、今川氏が常陸多賀郡に下り土着した時の与力の一人になり、水戸藩の祖・徳川頼房に召され水戸藩郷士となり、水戸家との縁を深くします。野口家の家業は、江戸送りの物産の認可をしていた廻船問屋でした水戸藩薪炭奉行も勤めていた。父・量平は村長も勤めていたが、雨情が東京に出ている頃に家運は大きく傾き、田畑山林は借金の抵当に)

東日本大震災後1カ月後、野口雨情の孫で、野口記念館代表の野口不二子氏が語る大震災による野口記念館の被害状況。記念館の1.5メートルまで津波に飲み込まれたという

野口家の驚きはこれだけにとまりません。じつは野口家が長州藩の「吉田松陰」や「桜田門外の変」と深いかかわりがあったといわれています。「吉田松陰」は誰でも知る幕末の志士ですが、「西丸松陰」の名が広く知られることはありません。「西丸松陰」とは、野口家から西丸家へ養子にはいった人物(通称は帯刀。松蔭とは松を愛する意の「号」。西丸松陰は野口雨情の祖父北川勝章の実弟。磯原の野口家の二男として生まれ水戸の進歩的志士となった傑物。水戸藩郷士の西丸家へ養子にでる。西丸家は源氏の流れをくむ常陸太田城を拠点にしていた佐竹氏の城主で茨城県北の名家)。じつは吉田松陰の名「松蔭」は、野口家から出た8歳年上の「西丸松陰」にあやかって、吉田寅次郎改め「吉田松陰」と名乗ったとされるのです吉田松陰がいつから自身をそう名乗ったのか、その理由や背景はこれほどの重要人物なのにもかからわず数多の吉田松陰伝に記されていない。まったく不思議なことである。海原徹著『吉田松陰』—ミネルヴァ日本評伝選—に東北遊歴後、脱藩の罪で生家で謹慎中から使い出したとあり、時期的にも西丸松陰に会った後ということになる。しかしほぼすべての吉田松陰の伝記本で、野口家から出た「西丸松陰」に触れられていない。まったく奇妙なことである)吉田松陰は自分の目で「日本」の現状を知ろうと関東から中越、そして東北をまわる旅の途中、野口家に一泊しているので、吉田松陰伝からのもう少し踏み込んだ記述があってもよさそうですが、水戸の会沢正志斎をはじめ東北遊歴であまりに多くの人物と出会い語らっているためなのか北茨城でのことは、ほとんどが「磯原で1泊」とあるのみです(西丸松陰と11歳年下の長州藩桂小五郎も盟約の仲だったといい、その間を往復する定使の役を果たしたのが後の伊藤博文伊藤俊輔だったという。詳細は『創作民謡・童謡詩人 野口雨情の生涯』にあたって下さい)
こうしたことはいっけん野口雨情の童話や詩とは無関係のように感じますが、「ほんとうの日本国民をつくりまするには、どうしても日本国民の魂、日本の国の土の匂ひに立脚した郷土童謡の力によらねばなりません」と語っていた野口雨情の思いの丈を知れば、より深くより強く野口雨情の感性と魂をはぐくんだ郷土へと踏み込んでみておくことは雨情理解への一助になるはずです。そして雨情の日本への思いの丈は、吉田松陰の日本に対する思いとも、どこかで通じているように感じないではおられません。
もともと野口家は「学問の家」ともいえるほどで、多くの文人たちがお客として出入りしていたといいます。そのうちでも雨情に最も文学的影響を与え、素質を磨かせた人物が伯父・野口勝一でした(号は北巌。北巌塾を開設し子弟の教育に専心。家督は弟の雨情の父・量平に譲る。徳川慶喜将軍の使命を帯びて活動し刺殺されている。この野口勝一の父は、博学強記、書と詩画をよくし武道も好んだ)。雨情は小学校にあがる前の6歳の時、大人たちの集まりの席で、突然、即興歌のようなものをうたいだし大人たちを驚かせたほどだったといいます。
▶(2)に続く
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