伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

ジョンとヨーコが初めて出会った1966年 indica gallery inspiration!


なんと1966年11月9日のロンドンのインディカ・ギャラリーで、ジョン・レノンオノ・ヨーコが初めて出会った時の映像のようです! ギャラリーのオーナーがジョンと知古で、ニューヨークでやっている東洋から来た女性アーティストの展覧会があるから、と招待したら本当に来た。そして有名な話ですが一応少しだけ書いておくと、三脚にのぼって拡大鏡を手に、天井のキャンバスに小さく書いてあるものを読む、というアート作品に、ジョンが魅了されてしまったのでした。そこには「yes」と書いてあったのです。2000年に刊行された作品集『Yes Yoko Ono』(Abrams/Japan Society)にもその作品が大きく紹介されてます。1968年の世界的なレボルーションが巻き起こった年(5月)出した名曲「レヴォルーション」は、別ヴァージョンの「レヴォルーション9」と、歌の内容が少し違っていて、左翼的レヴォルーション派からは、ジョンは革命にじつは乗り気でないんだと言われれば、右派からはジョンは若者を煽動している、と言われる。名曲「レヴォルーション」には、ビートルズの中でもっとも政治的に敏感だったジョン(自分を置いて出て行って他の男と一緒になったジョンの母ジュリアは、今で言う「酒酔い運転」の警察官にバス停でひき殺されてます。そして釈放されてます)でありましたが、ラディカルに「ノー」と言い放って突っ込んでいくセオリーには心理的にすでに距離を置いていたともいわれています。その理由の一つが、オノ・ヨーコのアート作品にであったことであり、しかも「yes」です。”目に見えないもの”に対して意識が澄まされてないと、なかなか言えない言葉です。
オノ・ヨーコについては、今度「マインド・ツリー」で、少し突っ込んでみますが、母方のご家族が本当にびっくりするような家族・家系で(あの安田善三郎、銀行界のドンです/むろん父も今の東京三菱UFJ銀行のサンフランシスコ支店長だったことは有名な話)、第二次大戦中にベトナムハノイの支局長として戦時体制下の戦費調達銀行に勤めていて、その後に東京大空襲で焼け野原になっている東京を見て、その後疎開しています(その少し前は鎌倉の別荘にいましたが)。そうした経緯と、家族との仲違いをへての、「yes」ですから。そしてこの「yes」を通じて2人はお互い結婚していながら、すすむべき道を歩みはじめました。そしてジョンの「yes」をめぐる感性は、当時のセレブ界への「No」でもあって、セレブでは初めてのハウス・ハズバンドになってゆきます。それまでには複雑な事情ももちろんありますが。そのジョンの「yes」に対して、「No」と言って拳銃をぶっぱなしたのがマーク・チャップマンでした。
CIAの陰謀だとかの物語(イギリスのジャーナリストが書いた本)は、あれは完全にアヤシい内容で、またそれを真に受けた芝居を私も以前、ニューヨークのOFF OFF ブロードウェイで観て、なるほどそうか、とおもったものですが、デッちあげの内容でした。真実は、「yes」に対してジョンが感じたおもいの向こう側にあります。ある程度の詳細は、来月「マインド・ツリー」で書こうとおもってます。