伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

天才数学者ジョン・ナッシュが少年時代、「数学」に覚醒したのは「伝記」本だった(その2)

このコーナーは天才数学者ジョン・ナッシュの前回(その1)のつづきになります。興味をもたれた方(その1)も併せてお読み下さい。
▶さてナッシュは子供の頃から数学の天才だったかというと決してそうではなかったようです。ところが、小学校4年生の時の「算数Bマイナス」にみられる少年ナッシュの”性根”、気質には、その低成績の背景には(教師はあえて気づこうともしなかった)、後の数学的天才の萌芽がみられたといいます。それは何だったのでしょう。じつは教師(=学校)の教え方にはない<自分流>のやり方で算数の問題を解いていてたのでした。つまりナッシュは、人と違うやり方を希みだしていたのです。なんでも<自分流>にしようとする性格は、教師にはウケが悪く、通知表には”成績不良児”という記されることもあっただけでなく、授業はぼんやりやり過ごすこともよくあったといいます。両親にとっては、ジョンが友達もつくらず、子供らしい興味をもたないことがじょじょに心配の種になっていきました。
さて12歳の時に仕立てた「実験室」でジョンが何をしていたかというと、どこの町のどこの小学校や中学校にもいる科学少年の様にラジオを分解したり、電気器具を持ち込んでいじったり、化学の実験をしたりしていました。電線をつないだ磁石を持って、電圧をどのくらいまで我慢できるか試したり、古代インディアンの秘術を試そうと毒性のある蔦(つた)の葉に挑んだこともあったようです。静電気のことにも滅法詳しく大人たちを驚かせたようで、まずは「試す」ことで<自分流>のやり方を見つけ出していく姿勢は(まさに後の数学の難問においても同様)、この頃に別のかたちで準備されていたようです。
ナッシュは何を見たか -純粋数学とゲーム理論

ナッシュ少年が電気・科学の世界が好きになったのは、電気技術者(電力会社勤務!)だった父から受け継いだことは間違いありません(父は抽象的な数学には精通していなかった)。まだ母は文学好きでした。ジョン・ナッシュが数学に目覚めるきっかけになったのは、自室を「実験室」に仕立ててこもりはじめた翌年か翌々年の13歳か14歳の時に、ある決定的な本を読んだからだったと自身が述べています。その本とは、『数学をつくった人々ーMen on Mathmatics』(E.T.ベル著)で、なんとそれは数学そのものが載っている教本などではなく、「伝記的エッセー」だったのです。どうやら当時、その本はその種のものとしてはベストセラーになった本で、ナッシュ少年は数学がいかに「象徴」と「謎」に満ちた世界であることを識り圧倒されたのでした。
カリフォルニア工科大学の教授だった著者は、その著書のなかで、数学の公理や数式などではなく、歴史に名を残す偉大な数学者がたどった「成長」と「運命」(みな勢力的で無謀だった)を描いていました。ナッシュ少年はとくにフランスの偉大な数学者フェルマーについての伝記的エッセーに電気が走るほどしびれ、それは<エピファニー(啓示)>となってナッシュ少年の「マインド・ツリー(心の樹)」に作用したといいます。そこには自室の「実験室」で電気で実験していた時の様に、「スリル」すらあったのでした。ナッシュ少年は数論へとのめり込んでいきますが、高校卒業時点では、数学者になどなれないとおもっていたといい、父を継いで電気技師になろうと考えていたといいます。
数学的天才・ジョン・ナッシュの例でも、「伝記」がいかに大きな契機になったか、ジャストミートで「心の樹」に作用すれば、どんなことが生じるかみてとれるとおもいます。
素数に憑かれた人たち ~リーマン予想への挑戦~