伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

中学3年で強烈な初恋。ワル仲間から離れる。図書館で「ラジオ技術」の本を借り「アンプ」部品を買い自前で組み立てる。数学や技術に強かった少年矢沢。高校1年の時、キャバレーの社長から手渡されたD.カーネギーの『人を動かす』を10回以上繰り返し読み、ついでケネディの伝記本を読んでいた。


人を動かす 新装版
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▶(1)からの続き:少年矢沢が繰り返し10回以上も読んだ本、それがデール・カーネギーの『人を動かす』だった。本当か?(よく読めば実際にそう書いてある)。実際、矢沢永吉はファンだけでなく、スタッフやグループ・ミュージシャン等、大勢のひとたちを動かしてきた。しかしその自己啓発書の元祖と言われているD.カーネギーの『人を動かす』に少年矢沢はどのように出会ったか。それは高校1年生の時のこと。友達の姉が岡山でキャバレー勤めしていた。で、友達と一緒に岡山まで遊びに。2人はキャバレーを経営している社長の家に行く(友達の姉は2号さんになっていたようだ)。社長は3軒のキャバレーを経営していたことを知った矢沢は目を輝かせながら社長に質問をくりだした。社長は少年矢沢の喋り方や姿勢に高校生にない輝きをみてとった。以下、その時のやりとり。

「そうですかあ、すごいなあ。裸一貫でここまで。尊敬しちゃうなあ。ぼく、勉強になりました。ぼくも将来、板金屋なんかやりたいと思ってまして」まだ高校1年だから、音楽やろうと思ってない。社長が、えらい気に入ってね「君は好青年だ」とか「見込みがある目をしている」とか……それで、これをやるからと渡されたのが『人を動かす』って本。デール・カーネギーの。「いやあ、ぼく頑張りますよ。ほんとに夢がいっぱいで。どこまでやれるかやりだいです」 オレ、16歳で、ガキだし、半分以上本気で感心してたわけよ。その社長の話。本と一緒に「メシでも」って、1万円くれた」(『成りあがり』p.64)

キャバレーの社長が「君に合ってるから」と手渡した『人を動かす』の著者デール・カーネギーとはどんな人物だったのか、ちょっと確認しておきます。

デール・カーネギーは、1888年米国生まれ、作家で実業家、ビジネスセミナーの講師、セールスマンシップと自己啓発書の著者知られる。人間関係の秘密を解き明かした「人間関係の先駆者」と言われる。世界的にベストセラーとなった『人を動かす』の原題は、「How to win Friends and Influence People」(1936 日本語版は翌年の1937年。全世界で1500万部を超える大ベストセラー本となったが日本でも430万部が売れたという。4分の1程が日本語版だったことを考えれば、キャバレーのオーナーが手にしていたという背景も見えてくる。本書は、[人を動かす三原則]からはじまる。それは1.批判も非難もしない。苦情もいわない 2.率直で、誠実な評価を与える 3.強い欲求を起こさせる だった。


次作の姉妹書『道は開ける - How to Stop Worring and Start Living』は、ストレスや悩みへの対処(マネジメント)本。両著は「自己啓発書」の元祖として知られる。ちなみにロシアの元大統領ミハイル・ゴルバチョフは、時の米国大統領ロナルド・レーガンから薦められて読んだとされ、質問から話をふくらませる方法を学んだとも。興味深いことにカーネギーは同書を著す前にリンカーンの伝記『Lincoln the Unkown』(1932)を著しているだけでなく、『人を動かす』を出版した後『道は開ける』を刊行する2年前に出版したのは『Five Minutes Biographies』という50人程の著名人の生涯を各々5分で読める題した伝記本だった。セオドア・ルーズベルトからジャック・ロンドンランドルフ・ハーストからキュリー夫人ヘレン・ケラーアンドリュー・カーネギーらがピックアップされた。


デール・カーネギー自身はミズーリ州の農家生まれ。食品のセールスマンをした後、自身の夢だった教育と娯楽を兼ねた夏期大学ー文化講演会の講師となるが、ニューヨークで俳優になろうと決意。しかし思う様な結果はです職もなく無一文でYMCAに転がり込んだことから人生が一転していった。鉄鋼王の実業家アドリュー・カーネギーとは別人。


道は開ける 新装版

矢沢永吉のD.カーネギーの『人を動かす』について語っているところがあるので、以下に紹介しておきましょう。

「…10回ぐらい、リフレインで読んだよ、えらい気に入ってね、キザに友だちの誕生日に贈ったりしたよ。無意識のうちに、ためになってるみたい。本を読んで、それを必ず実行するんじゃ、ロボットみたいだけど、『ああなるほど。なるほど。一理あるな、一理いえるな』と感じたわね。たなに女房に花買って帰るというのも、影響かもしれないね、多少。でも、とにかく10回以上も読んだものな」(『成りあがり』p.65)

自著伝『成りあがり』にはサブタイトルがあった。「How to be BIG」。これがサブタイトル。「どのようにビッグになるか」。D.カーネギー『人を動かす』の原題は、「How to win…」。似てる、というより同じスタイル。つまり自著伝『成りあがり』は、自伝的書物であると同時に、自己啓発=self-development, self-enlightmentや、自助=self-helpの「ハウツー本」でもあった。これは重要なポイント。なぜなら高校1年の少年矢沢が欲していたのが、いかにして惨めな状態から脱することができるのかだった。その方法が「出世」。将来の夢がなぜ「板金屋」だったのかというのもこれで合点がいく。そう、「出世」しなくては現状のままだと、高1の少年矢沢は考えた。親戚の家に住まわされていたが、そこからも「家出」もした。親戚の家にやっかいになっている状態は精神的に辛く耐えられなかったのだ。そんな時に元祖自己啓発書の『人を動かす』に遭遇したのだ。まさに水を吸い取るスポンジと化した少年矢沢。気づけば数年前まで手がつけられないワルだった少年が、友達の誕生日に『人を動かす』を贈るようになっていた。
目が疲れるから読書は嫌いだったという少年矢沢は、続いて伝記本に手をのばしている。ジョン・F・ケネディの伝記本『ケネディ』だった。アメリカ大統領といえばアメリカいちの「BIG」。「出世」の頂点。それだけでなくケネディは「人を動かす」「感動を与える」コツを知っていた。

少年矢沢はその後一時期、小説に凝りだした(文庫本だけ)。電車の中で文庫本を読むのがカッコよく映り、ナオン(女)にモテルるんじゃないかと。これも中1の頃のワルの頃からは想像もつかないこと。少年矢沢も色気づいていた。じつは少年矢沢が改心するあるきっかけがあった。それは中3の時の強烈な初恋。同じクラスの女の子。話しかけると”言語障害”になって話しかけられない。「矢沢君、まじめになって」の手紙(その後初恋の彼女とは横浜に出て以降も文通続く。彼女に彼氏ができ終結。少年矢沢はワル仲間とつるまなくなり勉強に励みだす。数学が好きで技術系の試験が得意だった(車のエンジンやら構造に詳しくなっていた)
初恋をしだした中3の頃、ワル仲間と離れた少年矢沢は「図書館」に通いだしていた。何の本を借りたのか。「ラジオ技術」の本だった。そこに載っていたのはエレキギターのアンプの図面。「図面」を見ているだけで心躍ったが、少年矢沢は部品を買ってきては自分でアンプを組み立ててしまった(板金屋が夢だったのもダテではない)。そのアンプを1万2000円位で購入したダイヤトーンのエレキにつなげたら、もうブッとぶしかなかった。しかし、「スーパースター矢沢永吉」は稀代のスーパーシンガー。スーパーギタリストではなかった。その謎が高校時代一番後ろの席に陣取った少年矢沢が夢中になっていたものにあった。▶(3)に続く-未

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成りあがり—矢沢永吉激論集 (1978年)
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