伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

アインシュタイン(1)一人遊びする時のねばり強さ

5、6歳になっても「言葉」をちゃんと離せなかったアインシュタイン。「言葉」を話せるようになった「時」のことを覚えていた少年。「暗記」ものの勉強が苦手だったが、一人遊びする時のねばり強さは凄かったという。父がもってきた「羅針盤ーコンパス」に抱いた「驚き」にはじまる。


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「…彼の家は平凡な中流ユダヤ家庭であった。1879ドイツのウルムに生まれるが、父はミュンヘンの電機事業の経営者、母は音楽をよくし、長男のアルバートや長女のマヤの教育には熱心であった。叔父が数学好きで、アインシュタインが子供のころユークリッド幾何学の本を与えたりしている。大学は名門校スイスのチューリッヒ工科大学だが、一度、受験に失敗している。優秀な青年の一人にすぎなかったのである。


 …学生時代の成績は、ずばぬけて優秀というほどではなかった。指導教官の覚えも決してよくはなかった。…数学のミンコフスキー教授も彼をよくは覚えていない。…要するに、あまり目立たない学生で、当時の大学的規範の周縁にいたのである。卒業後は物理学を専攻した友人たちはみな助手に採用されたのだが、アインシュタインにはその口もなかった。そこで家庭教師や中学校の非常勤の先生をしたりしていたが、友人のグロスマンの父の紹介でスイスのベルンの特許局に1902年に入ることができた。やっと定職につけたのである。以降7年間、ここに勤めながら数々の革命的な論文を発表する」(『アインシュタインは、なぜアインシュタインになったのか』(金子務著 平凡社 1990刊 p.11~12)

20世紀最も著名な物理学者で、「天才」の代名詞でありつづけたアルベルト・アインシュタイン。多くのひとは小学生時代に、「天才アインシュタイン」の子供用の伝記を、「野口英世」や「キュリー夫人」「ヘレン・ケラー」のそれと同じく、読んだ記憶があるでしょう。

同時に、ほとんどの人は中学生以降、いくつになっても「アインシュタイン」に対する感覚や理解は、それ以上になっていないのではないでしょうか。漫画に描かれる特異な風貌をした科学者のキャラクターとしてのアインシュタイン像として(大きな鼻とぼざぼさ髪のいでたちのお茶の水博士など)。それとも原子爆弾の開発につながる研究をしてしまった現代物理学の父として。
少年アインシュタインがどのように「世紀の天才アインシュタイン」になったのか、じつはわたしたちはほとんど知らないといってもいいかもしれません。

アインシュタインは自身が「世紀の天才」と呼ばれていることに対して、「私は天才ではない。ただ、ほかの人より一つの事と長く付き合ってきただけだ」とアインシュタインは応えています。長く付き合うことになった最初の契機については覚えておられる方もいるかもしれませんが、なぜ「長く付き合えた」のかはまた別の問題といえます。


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「本やノートに書いてあることを、どうして覚えておかなくてはならないのか」と言い放ったのもアインシュタインでした(「相対性理論」や「光量子仮説」など、つねに「光」について思考しつづけていたアインシュタインでしたが、光速度の数値、299.792.458m/secondー毎秒約30万キロメートル、については覚えていなかったといわれる。

新聞社のインタビュアーにきって返した言葉だった)。インターネット時代が到来する半世紀以上も前の言葉ですが、それにはアインシュタインならではの「思考方法」(思考の癖)が深く根ざしていました。どちらの言葉にしろ、「世紀の天才アインシュタイン」と成った”根源”が、「少年時代」にあったことを告げてくれます。

まずは、「本やノートに書いてあることを……」と言い放ったアインシュタインから入っていってみましょう。私も含め皆さんの多くも「記憶」や「暗記」は苦手の人は多いのではないでしょうか。じつは”天才”アインシュタインが最も苦手だったのが、「単語」や「文章」などを”機械的”に覚える、頭に詰め込むことでした。そのためとくに「ラテン語」や「ギリシア語」「歴史」といった教科が苦手でした(小学校時代からギムナジウム時代にわたって。「歴史」は克服していく)
ギムナジウム時代にギリシア語の先生に、「君は一生まともな仕事はできないだろう」と言われているほどです(その先生にはさらに「態度が悪く、愛国心に欠けている生徒はミュンヘンを出て行った方がいい」とも言われている。『天才!? 科学者シリーズ アインシュタイン』より)


じつは少年アインシュタインはそもそも「言葉」の言語能力が、かなりの程度低かったといわれています。アインシュタインの数ある伝記で、幼少期に取りあげられる筆頭のエピソードは、つねに生後話せるようになるのが遅かったと記されていることを皆さんも朧に覚えてられるかもしれません。

アルバートは、いつも一人で遊ぶ、内気な子供でした。しゃべるのも苦手で、ちゃんと話せるようになったのは、5歳になってからでした」(『10分で読める伝記:小学5年生』Gakken 2011刊;監修=関西大学初等部・中高等部 学校図書館教育主任 塩谷京子)、「少し発達が遅れているのではないかと心配されていたんだ。

4歳になってもおしゃべりができないし、9歳になっても、適切な言葉を使って文章をつくることができなかったからね」(『天才!? 科学者シリーズ アインシュタイン』(イタリア・アンデルセン賞受賞者ルカ・ノヴェッリ著 岩崎書店 2009年)、あるいは「この子は、5歳になるのに、口のきき方が変だわ。そういえばしゃべり始めたのも、他の子より遅かったかな。…6歳になって、小学校に入ったアルベルトですが、言葉がなめらかにしゃべれないためか、友だちもあまりできません。学校はアルベルトにとってはつらい場所でした」(『講談社学習コミック アトムポケット人物館 アインシュタイン 2002年)といった様に。実際アインシュタインの両親もこのことで医者に相談しているほどです。


アインシュタイン:その生涯と宇宙』ランダムハウス・ジャパン 2011年。著者ウォルター・アイザックソンは、アップル・コンピュータの設立者の一人、スティーブン・ジョブズの世界的ベストセラーの伝記本『スティーブン・ジョブズ: The Exclusive Biography』-講談社 2011年-の著者でもある)は、アインシュタイン少年の奇妙な癖について次の様に描いています。

「両親は心配して医者に相談した。…家族からは『発達遅れのよう』に扱われることとなったある奇妙な癖が現れた。なにかを言おうとすると必ず、まず自分でその言葉を囁いてから人に聞こえるような声で繰り返しそっと話すのだった。…そのような言語障害があったので、兄が言葉を身に付けられないのではないかと、周りの人たちはとても心配した。
 生涯、中程度の反響言語症状があり、特に人を笑わせるような言葉のときには、その言葉を独りこ言のように、2、3回、機械的に繰り返す癖があった」。(『アインシュタイン:その生涯と宇宙』p.26〜27)

アインシュタイン その生涯と宇宙 上

ところがさすがはアインシュタインなのでしょう。なんと「自分がどうやって言葉を話せるようになったのかを覚えている」というのです。

「幼いアルベルトが言葉を話しはじめるまでにたいへん時間がかかったことは一般に認められている。アインシュタインは晩年にこのことを回想し、助手のひとりに語った。それによれば二歳か三歳のときに、センテンスをまるまる話そうという野心をいだき、声を出さずに練習し、きちんと言えるようになったという自身がつくと声に出して言ったというのだ。

言葉を話すことを自分がどうやって覚えたかを思い出せるおとなは少ないにちがいない。だがアインシュタインは、おとなになり、ニュートン以来最高の天才科学者と認められるまでに、思考プロセスが普通の人とどう違うのかを何度もたずねられ、自分の思考プロセスがどう発達したのかについてたっぷり考えていた」(『アインシュタインー時間と空間の新しい扉へ』ジェレミーバーンスタイン著 大月書店 2007年刊 p.17)


本当にそうなのか怪しむ人は、一つ前の引用文のなかにある一文に注目してみてください。次の文です。「『発達遅れのよう』に扱われることとなったある奇妙な癖が現れた。なにかを言おうとすると必ず、まず自分でその言葉を囁いてから人に聞こえるような声で繰り返しそっと話すのだった」。まさにこの行為こそ、幼いアインシュタインが、言葉を話すことをどうやって覚えたかそのプロセスだったのです。

こうした「発語」の遅れや言語に対する「不安」だけでなく、少年アインシュタインは他にも周りの他の子供たちと異なっていることがありました。それはアインシュタイン少年(4歳の時)の「兵隊」に対する「恐怖感」です。


他の子供たちは町中を行進する兵隊を、興奮と憧れの目で見ていたのですが、アインシュタイン少年だけは怖くて泣きだしてしまったというものです。
「全員がロボットのような同じ動き」とか「みんな同じ服を着て、機械みたいに動く」からだったともいわれています。アインシュタイン少年が日本の小学校にいたら、朝礼や一斉のラジオ体操にかなり困惑したかもしれません(「回れ右!」「休め!」などは軍隊訓練からきていますから)


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さて、そんなアインシュタイン少年は何をして遊んでいたのか。叔父さんからもらった蒸気機関車の玩具で遊ぶ以外、トランプを粘り強く立てて高い建物になるよう組み上げたり、「積み木セット」の玩具でいろんな形のものを組み立ててひとり執拗に遊んでいたといいます。後に妹のマリア(通称マヤ)アインシュタインは、ひとり遊びをする時の「執拗さと粘り強さは兄の個性の一部」だったと語っています。
癇癪を起こしものを投げつける癖があったアインシュタインが病気で寝ていた時のことです。父が持ってきた「羅針盤;コンパス、方位磁石」が、どこに向けても針が震えながらつねに一定の向きに定まる。このことが少年アインシュタインを驚嘆させたのでした。4、5歳の時のことでした。

「私は今でも思い出すことができる、あるいは少なくとも自分ではそう信じているのだが、その時の経験は、『物事の背後には深く隠された何かが存在しなければならない』という、強く、かつ長く残る感銘を私に与えてくれた」(『アインシュタイン:その生涯と宇宙』p.32〜33)

この時に感じた「驚き」が、その経験が、アインシュタイン少年に深い<持続的な印象>を与えたのでした。『自伝ノート』アインシュタイン著 東京図書 1978刊)では、「驚き」の効用、大切さを次の様に語っています。

「この『驚き』というのはある経験がわれわれの内面にすでにしっかりと固定されている概念の世界と矛盾ときに起こるように思われる。このような矛盾がはっきり強烈に経験されたときはいつでも、それはわれわれの思考の世界に決定的な方法で反応をおよぼす。この思考世界の展開はある意味では、”驚き”からのつづけさまの飛翔である」(『自伝ノート』(アインシュタイン著 東京図書 p.8)

アインシュタイン(2)へ続く:
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アインシュタイン—相対性理論を生みだした天才科学者 学習漫画 世界の伝記
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アインシュタインが考えたこと (岩波ジュニア新書)
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