伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

尾崎豊(1):「音楽」にのめりこむ前に熱中していたこと

少年尾崎豊が「音楽」にのめりこむ前に熱中していたのは、父の趣味だった「短歌」と「尺八」「空手」。しかし父とは異なった「学び」の方法とは。アララギ派の”実相観入”の表現法が尾崎少年の「詩=言葉」を磨いていった。尾崎家は両親と子供たちが歌う「短歌」の家でもあった


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伝記本の面白さ興味深さは、偉人たちや成功者の功績そのものを知ることになく、「人間」とはどのように「成長」するものなのか。
「才能」とはどこからやって来て、どのように生み出されるものなのか。家族や環境との因果関係は。あるいは自分では「体験」しえない他人の人生を「追体験」する醍醐味や、翻って自身の人生の不思議な「鏡」ともなる……。

それが「尾崎豊」となれば、あまりにも自分とかけはなれていないか。確かにそうなのです。
が、それはアルバム『十七歳の地図』『回帰線』で、大人社会への「理由なき反抗」を歌い上げ、「10代の教祖」となって以降の「カリスマ尾崎豊」しかイメージしえないからでもあります。大人社会への「理由なき反抗」—とくれば、自身にもそれなりに思い当たるところはあるのではないでしょうか。その辺りを一つの共通点にして読んでいただければとおもうのです。

では伝記にあたってみましょうということになっても、じつは尾崎豊には、ジミ・ヘンドリックスブライアン・ジョーンズのように綿密に取材され纏められた伝記本はありません。
その代わりに、父・尾崎健一氏の手になる幾冊もの著作『尾崎豊「誕生」ー思い出の幼少年時代』(リム出版新社)や『尾崎豊 少年時代』(角川文庫他)、『尾崎豊 もう一度 きみに出会う旅』宙出版、『尾崎豊 目覚めゆく魂ー母と子の物語』(春秋社)、それに尾崎豊の実の兄尾崎康著の『弟 尾崎豊の愛と死と』講談社、さらには尾崎豊のデビュー時からのCBSソニーのプロデューサー須藤晃著『尾崎豊 覚え書き』小学館文庫)尾崎豊の中学時代の日記も収録された『尾崎豊 永遠の愛と孤独』(Gakken)などがあります(このブログはそれらを参照書籍としています。またこれら以外にもおさえておきたい書籍はありまた機会をみつけてあたってみようとおもいます)

そして忘れてはならないのは『再会 尾崎豊ー封印を解かれた10万字』ロッキング・オン 1984〜90年までの尾崎豊へのインタビューが纏められている。必読)です。つけ加えれば尾崎豊自身の日記や自伝的要素も強い小説(主人公はつねに尾崎豊を映しだしている)もある意味よき資料となるかもしれません。とりわけ父親の亡き息子に対する記録と回想(とくに幼少期)、それに兄の著書(父の我田引水気味のある述懐を客観的にみている。
とくに豊と母との関係がよく分かる)
は、「伝記ステーション」的にはすぐれて有益で、息子・尾崎豊の成長の跡やエピソード・経験が綴られていて興味がつきません。それでは「尾崎豊への旅」をはじめましょう。

誕生

誕生

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まず父尾崎健一氏の著作を読んで、はじめて知りえること(驚かされること)があります。少年尾崎豊が、(兄が少しかじって放っておいた)ギターを手に「歌」に夢中になる前、熱心に取り組んでいたもののことです。

それは「短歌」と「尺八」、そして「躰道(たいどう;空手の一種)」だったということです。

そしてこの3つへの関心が、ロックアーチスト「尾崎豊」の”芯”、重要な”根”となっていた、そう考えることができるのです(少年時代に「短歌」と「尺八」「空手」をやっていれば誰もが尾崎豊となりうるかといえば、それはなりえません。
時代や生育環境、気質や心根、両親や兄弟との関係などあらゆることが微妙に、しかし深く影響を与えるわけですから)


「短歌」と「尺八」「空手」とは、昭和40年生まれの尾崎豊といえど、あまりにおじさんくさくないか。まさにそうなのです。この3つものへの関心は、じつは父・尾崎健一氏自身の趣味であり生き甲斐だったのです防衛庁事務官だった尾崎健一氏の略歴には、歌詩『表現』準同人、都山流尺八師範、躰道五段教師資格所持とが、につねに記載されている)
父の趣味が子供たちに影響することは多々あるわけですが、尾崎豊にとってある重要な「学び」の流儀(スタイル)をつかみとることからも決して過小することはできません。それは「ギター」や「ピアノ」「作詞」「作曲」「発声」といった後のミュージシャン「尾崎豊」をも貫く”共通項”なのです。
父は「ギター」に熱をあげだした息子・豊に声を掛けた時に返ってきた反応にすでに父とは異なる資質とでもいうべきを感じ取っています。

「そんなにギターが好きなら、本格的にやったほうがいいじゃないかと話したことがあるんです。つまり、独学、我流でこのままずっとやっていくんじゃなくて、教室というか先生にきちんとついて習ったほうがいいんじゃないか、と。ところが、豊は、『いや、そうじゃないんだ』と断るわけです。基礎をきちんと習いながら巧くなるんじゃなくて、最初にまず音楽の本質をつかんじゃう……いちいち基礎から人に習うのがまだるっこしい。早く表現をしたい。どんどん弾いていきたい…」(『尾崎豊 少年時代』尾崎健一著 角川文庫 p.131)

尾崎豊—少年時代
尾崎豊—少年時代

この本質を、がばっと掴んで、あとは我流で独学でつきすすんでいく姿勢は、遅かれ早かれ学校の授業(の方法)と衝突せざるをえない運命にあります。青山学院高等部に合格しすぐ教師への反発がはじまり(初登校はパンチパーマにかかとのつぶれたエナメル靴。すぐに母親が学校に呼び出されている)、授業中突然立ち上がって「先生はどういうポリシーでこの授業をやっているんですか。どういうメッセージを伝えたいんですか」とくってかかったといいます。
「短歌」と尾崎豊尾崎豊の歌は、つねに”叫び”なのではなかったか。確かに”魂の叫び”でもあったでしょう。次のインタビュー記事はなかなか興味深いものがあります。

「最近でも、関係者の人とかに聞くと、サウンドから入ってゆく人が多いみたいだから、音楽って、もしかしたらそういうものかもしれないけど、僕の場合は、言葉を歌ったのが音楽になっていた、みたいな感じだったんで」。(雑誌『GB』でのインタビュー。19歳の時)

尾崎豊にとって、まずはじめに「言葉」ありき。「言葉」を歌ったのが結果、音楽になっていったのであって、決してサウンドベースではなかったということなのです。ちなみに少年時代(小学5年の時)、奥多摩へのハイキングの折り、父・健一氏に刺激されながら(時に添削されながら)つくった短歌を一つあげてみます。

「父のあと追いつつ下る山道に 木の葉洩る陽のかすかにさせり」尾崎豊

尾崎豊の愛読書の1冊だった『共同幻想論』の著者・吉本隆明は、尾崎豊の歌詞には、五七五七七、五七七などの短歌や詩の影響がある、と語っています(『尾崎豊 永遠の愛と孤独』Gakken p.68。最も最初のラッパーじゃないの、という人もいます。その真は皆さん各自に詩にあたっていただくのがよいでしょう)。さしあたり尾崎豊の音楽と歌詞(言葉)とは切り離すことができないことは誰もが共通に感じることだとおもいます。また前掲の豊少年の短歌は奥多摩の山から下る様子を歌ったものですが、この写実主義的な短歌は、「実相に観入して写生をおこなう(=実相観入)アララギ派の歌風で、まさに父は「写実的で生活密着的」な歌風をこよなく愛していました(父・尾崎健一は、アララギ派の頂点正岡子規門下の齋藤茂吉の高弟の直弟子であり、結社「表現」の主宰者・蟻幾造に付いて、15、6歳の頃より熱心に短歌を習っていた。当初は石川啄木調の短歌をつくっていた父の兄の影響からだったという)。 
尾崎豊—もう一度、きみに出会う旅 (オオゾラブックス)
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「写実的で生活密着的」な歌風、そしてアララギ的「実相観入」は、まさに尾崎豊・曲「15の夜」の表現そのものといってもいいかもしれません。

「落書きの教科書と 外ばかり見てる俺 
 超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
 やり場のない気持ちの扉破りたい
 校舎の裏 煙草をふかして 見つかれば逃げ場もない
 しゃがんでかたまり背を向けながら 
 心のひとつも解りあえない 大人達をにらむ
 そして仲間達は今夜 家出の計画をたてる
 とにかくもう学校や家には 帰りたくない
 自分の存在がなんなのかさえ 解らず震えている 15の夜 ……」
             尾崎豊・曲「15の夜」より)

 
こと「表現」においては興味深いものがあります。「短歌」の世界に入り込み、その創作に慣れるということは、<自分の瞳と心>に映り込んだものまさに歌いあげること、それこそが肝要になるため、少年期の「短歌」の継続的創作は創る者の心に強く作用しつづけるということです。尾崎豊のすべての歌詞が、自分の眼と心に映じたものでしかありえなかったことと、おそらくは繋がっていきます。さらにいえば尾崎豊が描いた小説(『誰かのクラクション』『普通の愛』『LOVE WAY』など)の主人公のすべてが尾崎自身を投影した存在であったこととも無関係ではないでしょう(ある意味、その視点の移動の不可能さが、精神のバランスを失った時に、それがすべて歌に反映されざるをえず、「壊れた扉」を通って脱出することができなくなったとも考えられる)

「若者は拳ふりあげ共に歌うロックコンサート我もその一人」
「じんじんとドラムの音は身に響く絶叫の如し吾子の歌声」

ロックコンサートの光景を歌ったこの「短歌」の歌い手は誰か。歌われているのは尾崎豊です。ということは歌の主は無論尾崎豊ではありません。父でもありません。なんと尾崎豊の母・尾崎絹枝の歌なのです(『尾崎豊 目覚めゆく魂ー母と子の物語』春秋社)。尾崎家は想像以上に「短歌」の「家」だったのです。母絹枝は、若い頃は実家のある飛騨高山で素人演劇グループ(地方予選を勝ち抜いて東京まで遠征したという)に参加する一方、俳句の会にも所属し賞をとるほどだったといいます(俳号は絹女。後に名古屋川柳会にも入会)。「短歌」や民謡(いろんな大会に出場)をはじめたのは埼玉に来てからのようですが、かなりの数の作品をのこしているといいます。また仲間うちでは母はエンターテイナーだったといわれ、つねにステージは母にとってもワクワクする場所だったようです。確かに「短歌」を歌う家庭は、今日よりは多かったことは確かで、必ずしも尾崎家特有というわけではありませんが、少なくとも少年尾崎の言葉への感性を研ぎすませたことはまちないないでしょう(ちなみに尾崎家では父も母も豊自身も「日記」を付けている。両親が短歌を歌い、日記を付け、またその子も同じようにする。そんな家庭は今どのくらいあるのでしょうか。観念的、思索的だった父との語らいにくわえ、そうした環境は、少年尾崎の「言葉」への感性をいやがおうにも研ぎすまさざおえなかった、といえるかもしれません)
▶(2)に続く
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