伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

宮藤官九郎(2):家族は全員「ベタ」嫌い

宮藤家は全員「ベタ」嫌いだった。高校時代、母は「演劇」少女で「コント」好き。「たけし軍団」に憧れていたため男女共学校でなくあえて「男子校」へ。高2の時、「エレキギター」に開眼するがFコードで挫折。運動はダメ、勉強は人並み、オレには「笑い」しかない!


TMC

▶(1)からの続き;

「僕は勉強が嫌いだった。頭は決して悪くない。それは自分でもわかっている。悪いわけがない。母も言う。『しゅん坊は宮藤家で頭がいちばん良いんだよ』
 姉は二人とも大卒。長女に至っては大学院まで進んだ。父は教師。実家は文房具店。ノートもシャーペンも蛍光ペンも売るほどある。なのに勉強が嫌いだ。どうしようもなく嫌いだ。小五の頃、勉強の出来る女子に恋をした。バカだと思われたくないので少し頑張った。少し成績が上がった代償に、ストレス性十二指腸潰瘍という、子供らしからぬ病気を患った」(『きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)』太田出版 p.174)

中学時代、宮藤少年はなんと生徒会長をしていたときがありました。副会長が一番仲の良い友達だったので、文化祭の時2人で「コント」をやってみるもののまったくウケず撃沈。この頃には、離れにあった母たちが日本舞踊の稽古をする部屋は、宮藤少年専用の部屋と化し、友達のたまり場に。テレビ三昧に煙草、酒、麻雀にエロビデオと何でもあり。しかも友達が文房具を盗んだことを知っても、宮藤の親は変わっていて、文房具の盗みや煙草・酒に関して「そんなベタなことを言いたくない」という親だったのです(ただ父が帰宅すると皆を帰らせた)。とにかく宮藤家は全員が「ベタが嫌い」な家族でした。家族のメンバーで一人でも「ベタ」な者がいれば、おそらく宮藤少年は「宮藤官九郎」になっていなかったにちがいありません。

なぜ皆が「ベタ嫌い」だったのか。それは宮藤家に満ちていた”笑い”の土壌ゆえだったのです。宮藤少年は「スネークマンショウ」で「笑い」に目覚めたと語っていますが、突如目覚めたのではなく、笑いの”芽”が長い間かけ人知れず育ち、もはや目覚めの時を迎えるまでになっていたようなのです。たとえば母は日舞を教えていましたが(一般的にその様に紹介される)、私生活的には「コント」好きなひとでした。さかのぼる高校時代には「演劇」をやっていたことがあり、その「感性」はみずみずしく日常的にもつねに発散されていたのです。しかもこんな様に。

「息子の部屋に女の子が初めて遊びに来たので、ソワソワしながら紅茶とケーキをふるまう母親」。これは宮藤少年が演じたものでなく、母自らこのシーンを設定し、「息子」「女の子」「母」と「一人三役」で息子の前で熱演する母親だったのです。いくら高校演劇を若い頃にしていたとしてもこんな母親は滅多にいないのではないでしょうか。

最もこの演技は、高校1年になっても相変わらずザリガニやクワガタを追いかけていた息子を心配するあまりの、母親の想いが「テーマ」になっていたのです(母なりの「空気を読め」式演技)。この母にして、この息子あり(後に母は、「大人計画」のホームページにある「宮藤官九郎の小部屋」に、「母の小部屋」が特別に設けられる。相談を寄せられたメールにクドカンと母の独特の回答とやりとりは評判になり単行本化された)


さて宮藤少年は、入学する高校を自身の「センス」で選択します。「木更津キャッツアイ」や「GO」など宮藤初期作品の多くは、基本的に女子が登場しませんが、それはこのことと深く関係します。ふつうに進学すれば実家からそれほど遠くもない2校ある男女共学校(友達も通うのだが)に通うはずでした。ところが宮藤少年は家から12キロも離れた(自転車通学)「男子校」をあえて選択するのです。なぜか。ホモセクシャルに目覚めたのか。じつは中学時代に涵養された<男子だけの研ぎすまされた関係>への強い思いからだったというのです。

睦まじい男子だけの関係(女子会に対する「男子会」)にひとりの女の子が入ることで空気がガラッと変わることへの嫌悪感が根底にあったのです。女の子の前でカッコつけ掌を返したように女の子に気を使いだす男子の浅ましさ、友達に彼女ができれば一緒に遊ばなくなることへの嫌悪(女性に罪はないが、「女は邪魔くせえ」の感覚の起こり)。「モテたい」と思うことすら「不純」だと思っていたほどでした(そのため女の子への接し方が3年か4年遅れてしまい、結果、普通に喋ることもできない時期が長くつづく)

宮藤少年の「男子会」へのモチベーションは、「たけし軍団」の存在にあったのです。じつは中学卒業後に一番入りたかったのは高校ではなく、「たけし軍団」だったのです(全国から東京有楽町のニッポン放送前に駆けつけ弟子入りを直訴するような勇気も行動力もなかった宮藤少年は結局男子高校へ)宮藤官九郎はなんと「チャラ男」とは真逆(?)に位置する存在だったのです。『河原官九郎ー宮藤官九郎河原雅彦演劇ぶっく社)掲載の一文は、「宮藤官九郎 男子道一直線」と題されていることを思い出します。


高校1年の時、一度女の子からモーションをかけられ、好きではない女の子とちょっと付き合っていますが、2人でいる時も「たけしのオールナイト・ニッポン」や「オレたちひょうきん族」のことを言っても、どうせ女の子にはわかんない世界だろうなと先読みしてしまい、女の子との接し方もわからずつまんない奴のままで終わったといいます(もっとも自分好みの女の子への想いは人一倍、高校時代を童貞で通したからこその負のエネルギーが逆流し一気に東京へ向わせた。高校3年の時、予備校の夏期講習を受けに仙台へ。


高3時、年下の女の子からモーションかけられて付き合っている。基本的に女の子まかせの付き合いだったが、じょじょに喋れるようになる)。そんな高校1年の時に、ある重要な出来事がありました。地元仙台のローカル番組で『高田文夫の金曜ガハハ倶楽部』が始まっただけでなく、素人さん募集を知ったのでした。宮藤少年は仲間4人(他の3人には無断で出場登録)と出場登録し、実際出場します。コントは不発でした。この時の失敗など『きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)』で読んでみるとほんと面白いです。


エレキギター」に開眼したのは高2の時。修学旅行中に東京駅で脱走し新宿ロフトでバイトしながら仲間をつのって「バンド」を組む、という計画をたてていました。が、それも淡い夢に。『きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか』には、そんな宮藤少年の夢(地方男子共通の夢物語も)の泡沫で満ちています。同時に、夢の泡沫が粘菌のように集まって、奇妙なネバりけのある地下茎が太くなっていく様も感じとれるのです。夢の泡沫があらかた飛び去り、手許足元を見た時に宮藤少年はつぶやきます。

「…帰り道、僕は考えた。勉強も人並み、運動はまったくダメ、エレキはFで挫折、しかも歯並びは鍾乳洞。今の僕には、この生物のテスト用紙の裏に書いた短いコントしかない……いつしか僕は小走りになっていた。そうだ。やろう。僕には笑いしか武器はない」(『きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)』(太田出版 p.77)



めざすは受験科目は英語と国語しかない大学。見事、日本大学芸術学部に入学、放送学科へ。ところがアメリカのキャンパスにいるようなノリが軽い生徒ばかり(宮藤はそれを忌み嫌った)。折しもバンドブームの到来。軽音楽部に入部します。遅刻すると正座でライブ後には日本酒の一升瓶がまわってくる体育会系軽音楽部にイヤ気。オリジナル曲をやろうと1年で辞め、学校以外の人たちとバンドを組みだすのです。

では、「大人計画」とはどのように出会ったのか。それは役者くずれの放送作家と呼ばれる平成モンド兄弟の村松利史劇団東京ヴォードヴィルショー在籍後に久本雅美柴田理恵らとWAHAHA本舗を旗揚げ。平成モンド兄弟はWAHAHA本舗在籍時に同劇団の佐藤正宏と結成)の裏方の手伝いとして入ったのが契機でした(手伝ったのが大人計画の芝居「神のようにだまして」だった)。そして夏休みに田舎に帰る代わりに裏方側の手伝いを続けるうちに、松尾スズキの脚本の面白さの虜に。劇団「大人計画」の大道具のバイトを半年つづけた頃、何か書いてみよう、ならば芝居の台本をと思い立つのです(大道具の先輩が酔っぱらって「偉そうなこと言ってるけど、どうせ田舎に帰って文房具屋を継ぐんだよ」の一言への反発心があった)


書き上げた本を松尾スズキに見てもらおうと連絡すると、新人公演の稽古場で書記のようなことをやらされ、松尾スズキ流の「まあそんな感じで」松尾スズキは稽古場でかっちりつくり切っていかないタイプ)という部分を宮藤はギャグやコントで埋めていったのです。次いで「悪人会議」に駆り出され演出助手に。奇しくも「大人計画」が勢いづいている頃。何も響かなかった大学に行く時間もとれず、3年末には休学へ。1年は芝居をやってみるべか。それ以降は皆さんご承知の様に大車輪の活躍です。小学校の先生にしてダンス好き、校長まで上りつめていた父は、「大人計画」の舞台『生きているし死んでいるし』でお尻丸出しで警官を演じた息子の姿を見て、腹の底から笑った半年後に他界しています。

『きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)』。こんなに面白い自叙伝はまずないでしょう。とくに10代半ばから、20代前半の方は必読。30代、40代の方にもぜひ。

▶Art Bird Books : Websiteへ「伝記station」 http://artbirdbook.com


▶「人はどのように成長するのかーMind Treeブログ」へ
     http://d.hatena.ne.jp/syncrokun2/