伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

長編小説のほとんどは自伝的小説。51歳の時に出版した処女長編『ポスト・オフィス』は15年間に及ぶ郵便局勤めを描いたもの。少年時代はまさに「くそったれ!」の連続。13歳の時、超悪性のデキモノが上半身と顔中にできてしまい寝室に閉じこもる


ブコウスキー伝—飲んで書いて愛して
ブコウスキー伝—飲んで書いて愛して

▶小説『町でいちばんの美女』『くそったれ! 少年時代』『プルプ』『ありきたりの狂気の物語』『ポスト・オフィス』『パンク、ハリウッドを行く』……。人生半ばをとうに過ぎてからダーティー・リアリズムのスター作家となったチャールズ・ブコウスキー。処女長編小説『ポスト・オフィス』が世に出たのは1971年、ブコウスキー51歳の時でした。ブコウスキーとほぼ同世代のケルアック(2歳年下)やA.ギンズバーグ(6歳年下)、W.バロウズ(6歳年上)らビート作家たちが時代を席巻していた時期、ブコウスキーは何をしていたのか。その人生の裏通り、光の届かない暗闇の時期が、ブコウスキーを類い稀なる作家、詩人にしたてあげたといっても過言でありません。とりわけ知られているのは、1950年代から1970年まで延べ15年もの間、ロサンジェルスの郵便局で働いていたことですが、その時期のことは『ポスト・オフィス』に描き込まれました。この処女長編は、まさに「自伝的物語」でした(分身、ヘンリー・チナスキーが登場。1952年から最初の3年は配達員。再就職した1958年からは午後6時30分より夜中の2時半までの夜勤。手足が凝る苦しい仕事を長年続けざるをえなかったブコウスキーにとって、輝かしいビート作家達は別世界の存在で嫌悪していた。ニール・キャサディだけは別だった)
第2作目の『勝手に生きろ!』から『くそったれ!少年時代』『パンク、ハリウッドへ行く』、そして映画『バーフライ』(1987年公開:ミッキー・ロークフェイ・ダナウェイ主演)の脚本など、無類の作家として世界的に脚光を浴びていきます。1994年の死の直前白血病だった)に仕上げた遺作『パルプ』を含め『ポスト・オフィス』以降23年間に出版した長編小説は6冊だけでしたが、世間を酔わすには長編はそれで充分。ブコウスキーの本領は中編小説であり、創作の”核”、”樹芯”といえるものは「詩」だったのです。実際『町でいちばんの美女』や『ありきたりの狂気の物語』など著名なタイトルは中編物語でした。そして最初の郵便局時代に吐血し大量の輸血を受け一命をとりとめた後、35歳の時に書き出し以降ずっと書き散らしてきたのが「詩」だったのです。小説が刊行されるようになって以降も詩集は発表されつづけ、死後に編纂されたものを含め40冊近くが刊行されています。「タイム」誌(1986年)は、ブコウスキーを「米国低所得者桂冠詩人"laureate of American lowlife"」と呼んでいるほどです(日本では『モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え』 (1972年)や『ブコウスキー詩集』 (1979年)など3冊程しか詩集は翻訳刊行されていないので詩人としてのブコウスキーの知名は低いままと言わざるをえない)。
ポスト・オフィス (幻冬舎アウトロー文庫)

1970年代以降、日本でもブコウスキー作品が相次いで翻訳され、ブコウスキーの世界が片隅から徐々に知られるようになっていきます。『町でいちばんの美女』(カバー写真:藤原新也/推薦文:北野武でぐんと露出が高まり、パブリック・イメージの向こう側、その酔いどれ人生の実際と深部に光があてられたのは、1994年に73歳で亡くなって以降のことでした。『ブコウスキー伝:飲んで書いて愛して/原題ーCharles Bukowski : Locked in the Arms of a Crazy Life 1998』(ハワード・スーンズ著 河出書房新社が出版されたのが死後4年後、つづいて『しゃぶりつくせ!ブコウスキー・ブック』(ジム・クリスティ著 メディア・ファクトリー 1999刊)が刊行されます。それまで日本では、詩人でリトル・マガジンの共同制作者としての親交があったニーリ・チェルコフスキー(『ブコウスキー:オールド・パンク』に登場)の回想録ともいうべき書物『ブコウスキー:酔いどれ伝説』があっただけで、当てのならない回想、無類の女好きで酔いどれの破天荒さだけがブコウスキー伝になっていたようです。
2002年にはドキュメンタリー映画ブコウスキー:オールド・パンク』(監督ジョン・ダラガン)が公開。ポエトリー・リーディングをするブコウスキーの映像や本人へのインタビュートム・ウェイツ、ボノ、出版人ジョン・マーティン等、関係者へのインタビューなども)、勤めていた郵便局、取り巻いた女性たちや妻、詩や小説が生まれた土壌のロサンジェルスのざらついた生活空間が映し出されました。この唯一無二の異端詩人・作家ブコウスキーという人間そのものへの関心の高まりが生み出したドキュメンタリーでした。が、ブコウスキーの心の裡に少しでも入り込み、内側から感じ取るにはやはり作品にあたるしかかりません。

ブコウスキー・ファンはとっくに知ってのことですが、処女長編『ポスト・オフィス』だけでなく長編小説はすべて(遺作の『パルプ』以外)「自伝的物語」で、主人公ヘンリー・チナスキーは自身の分身です。4作目の『くそったれ! 少年時代』に、少年ブコウスキーの赤裸々で、剥き出しの成長譚が物語られています。こんな感じです。

「中学校時代はあっという間に過ぎた。九年生になる直前の八年生の時に、わたしに痤瘡(アクネ)ができ始めた。多くの男子にもできていたが、わたしとは違っていた。わたしのは本当にひどかった。町中で最悪の症例だった。顔中、背中、首のいたるところに、それに胸にもいくつか、にきびやおできができている。でき始めた時期はわたしがみんなから手ごわいやつだと思われ、リーダー扱いされだした頃と一致していた。わたしがタフなことに変わりはなかったふぁ、もはや以前と同じようにはいられなかった。引き下がるしかなかった。遠くから離れてみんなを見守るだけで、まるで芝居の舞台を見ているようだった…」(『くそったれ! 少年時代』p.156)

くそったれ!少年時代 (河出文庫)

そのデキモノは悪性のもので頭や顔(口の中にも)や上半身のいたるところから噴出してきたといいます。突然降って湧いた悪夢。13歳の時のことでした。LAカウンティ総合病院で腫れ物に電気針が射し込まれ膿や血が抜き取られる日々(その格闘と病院通い、一時休学は、同小説や『ブコウスキー伝:飲んで書いて愛して』に詳しく描かれている)。このタチの悪い病は少年ブコウスキーの人格形成に打ち消す事のできない影響を深く及ぼします。あまりの症状に両親は恥ずかしく思い息子を嫌悪すらします。そんなブコウスキーが唯一安らぎをおぼえたのは、自分の寝室に閉じこもることだけでした(その頃までに作文の創作は上手くなっていて、クラスでは皆の前で朗読されるようになっていた。フーヴァー大統領がロサンジェルスを訪れた際、見てもいないその様子をでっちあげた作文だった。この時、物書きになることを初めて意識したといいます。部屋に籠って文章を書くようになる)
ブコウスキーは体の表面に飛び出してきたその毒素の原因を、家庭内のある出来事、父のとんでもない仕打ちにあると考えたのでした。

「毒された命がわたしの体内で爆発し、表に飛び出してきたんだ。我慢して抑え込んでいた悲鳴が、かたちを変えて一斉に吹き出してきたってわけだよ」(『ブコウスキー伝:飲んで書いて愛して』ハワード・スーンズ著)

「くそったれ!」としかいいようがない少年時代はつづきます。▶(2)に続く
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町でいちばんの美女 (新潮文庫)
町でいちばんの美女 (新潮文庫)
勝手に生きろ! (河出文庫)
勝手に生きろ! (河出文庫)
パンク、ハリウッドを行く
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ありきたりの狂気の物語 (新潮文庫)
ありきたりの狂気の物語 (新潮文庫)
ブコウスキーの酔いどれ紀行
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