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あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

 父は古河鉱業の精銅技術者、最初期の水力発電の一つを開発した有能なエンジニア。会津松平藩の重臣だった祖父。白虎隊と井深家。井深家は下北半島へ流され北海道へ。井深大の最初の記憶の一つは祖父の家に「電気」が灯ったことだった


Youtube映像は、Sonyの創業者の一人で営業担当だった盛田昭夫が中心のものです

0歳からの母親作戦—子どもの心と能力は0歳で決まる (サンマーク文庫)
0歳からの母親作戦—子どもの心と能力は0歳で決まる (サンマーク文庫)

▶「能力は遺伝ではない。…人間の性格といったものが、いったいどう形成されるのか、私にとって一つの課題であった。世間では、よく生まれつき、ないし遺伝が大きくモノをいうとみているが、果たしてどれだけ決定的な要因なのか。私なりにあれこれ勉強してきた。一般的にいわれているように、遺伝子によって人の性格や能力が決まるものではない。遺伝というものをほとんど無視してもいいと思う、というのは遺伝子は127種類もあるので、その組み合わせとなると、ほぼ無限に近い組み合わせがあるわけで、父親ないし母親に似る確率はきわめて小さい。…
 世の中には、天才と呼ばれる人がいないわけではない。しかし…どれだけ努力するかといった要素が加わらないと、天才的な力は発動しない。それよりも、環境によって大きく影響を受ける。大きくなってからのさまざまな環境によって左右されるばかりか。さらにもっとつき詰めていけば、すでに妊娠したその日から始まっているのである」(『井深大ー企業家の思想』鹿嶋海馬著 三一書房 p110-111)


◉最も晩年の1990年には「幼児開発協会でいろいろやってみた結果、知的教育は言葉が分かるようになってから、ゆっくりでよい、という結論になった」と井深自身語っています。決して0歳児や3歳の頃までに、子供の能力が決定してしまうことはないと井深大は結論づけています。あしからず。

井深大—企業家の思想 (三一「知と発見」シリーズ)
井深大—企業家の思想 (三一「知と発見」シリーズ)

独自技術によるテープレコーダーやトランジスタラジオの開発で知られるソニーの創業経営者・井深大は、その一方で幼児教育、とりわけ「0歳児からの教育」を重要視していました。超能力や「気」の研究をおこなっていたあのエスパー研究所(1991〜井深逝去の翌98年閉鎖)は、幼児教育の研究もおこなっていたのです。「能力は遺伝ではない。遺伝子によって人の性格や能力が決まるものではない」と、冒頭の一文のように井深大が語っていたことが実際に研究もされていたのです。
井深大は「努力」という重要な要素以上に、「環境」をこそ重要視していたことが冒頭の一文からもうかがいしれます。努力は「研究」できませんが、「環境」については研究できるはずです。それが幼児教育や「0歳児からの教育」となっていきます。
では井深大自身の場合はどうだったのでしょう。「能力は遺伝ではない」ということなのでしょうか。そのあたりから天才的なエンジニアといわれた井深大に迫ってみましょう。
井深大が生まれたのは、日光・中禅寺湖に向ういろは坂日光東照宮のちょうど間にある日光市清滝という風向明媚な山里です。日露戦争が終わった3年後のことでした(1908年ー明治41年4月11日)。なぜこの地だったのか。それはこの地に古河鉱業日光電気製鋼所が創設され、父・井深甫(たすく)が勤務していたためで、大はそこの社宅で生まれています。北海道生まれの父の甫は典型的なエンジニア。東京に出てからは、一級の技術者を養成する目的で創建された蔵前工業(現・東京工業大学の電気化学科で学んでいます。実際、井深甫は日本でもかなり最初期の水力発電の一つを洋書だけをたよりにつくっています(富士山麓静岡県御殿場小山にあった富士紡績の工場用に。日本最古の水力発電明治21年につくられた仙台市にあった宮城紡績の水力発電所で、じつは水力発電は最初期には紡績工場用につくられていた)
人間 井深大 (講談社文庫)

東京高等工業を卒業した井深甫は、国内の銅の産出額でトップの古河鉱業に就職しています。中禅寺湖の南方わずか10キロ余のところに足尾銅山があり、古河鉱業は精銅技術で日本の最先端にいたのです。井深甫は精銅に関わる電気技師となったのでした(直列分銅という精銅法の設計開発とその電気関連一般を任された)。井深甫はその現場で珍しいキリスト教信者として知られていたといいます。北海道・札幌の中学時代に新渡戸稲造から薫陶を受けていたのです。大の母となる古田さわとはその北海道時代に出会っていますが、さわ自身は創立まもない日本女子大学家政学部に入学するために上京していました平塚らいてうの女性解放運動に共鳴し女性の家事労働の合理化を主張していた鎌倉女学校ー現・鎌倉女学院ーの三角錫子に上京をすすめられている)

しばし知られていることですが、井深家から明治維新時の会津若松戦争で白虎隊に属する藩士がいます。それは祖父の弟で若くして戦死しています。会津藩の藩校日新館の英才だった祖父・井深基は、火砲の製作をし黒船襲来時には江戸湾で警備にもあたった時期もありました。後に白虎隊の年長組・朱雀隊に所属、負け戦さとなり下北半島に流された藩主松平容保に随伴しています(そして北海道開拓使函館支庁の巡査となり後に公務員に)。江戸初期に遡れば、井深家は会津松平藩の重臣にして名門の家柄で、この井深家の分家が井深大の先祖となり、井深大はその十代目とされます。長野の松本市にある井深城址信濃の国筑摩郡岡田村井深の地)室町時代に遡る井深家のルーツだとされます。
大が生まれて1年余の頃、井深一家3人は愛知県西加茂郡挙母(現・豊田市に移住。身体を壊した父の療養のためでした。祖父井深基が北海道から愛知県に移り、西加茂郡の郡長になったいたのです。しかし療養のかいもなく、父・甫は29歳にして結核性のカリエスから亡くなっています(大2歳)。どうも父の病名はあまりはっきりしていないようです足尾銅山鉱毒が考えられるという。足尾銅山は日本の公害の原点となった場所。この時期、鉱毒被害者は千人単位にのぼり、甫が就職したまさにその年に社会活動家・田中正造天皇鉱毒被害を直訴している)

幼少期の井深大に深く強く刻印された「記憶」が二つあります。一つは家中が大騒ぎになった日のこと(乃木将軍の自刃の時だった)。もう一つの記憶が「電気」にまつわることだったのです! 3歳9カ月の時のことでした。井深大は次のように回顧しています。

ソニーを創った男 井深大

「…電気のついた日は、私と母は父を亡くし、愛知県の郡長であった祖父の官舎ができるまで大きな米屋の座敷を借りていたところであった。高い天井から下がるほのかなランプの明かり、石油のちょと鼻をつく、しかしなんともいえない魅力ある匂い、若い女性のお手伝いさんが一心にランプのほやを磨いているーこのようないつもの見馴れた光景が、その日を境に消え失せた。…今晩から電気がくる、電灯が点る、そう思っただけで夜になるのが待ち遠しかった。…当時、電気などというものは郡長さんの家とそのほか数軒だけについたもので、私には誇らしくも、うれしくもあった。電気が引けた後、私は毎晩のように祖父母や母が雑談する居間に行っては、下から煌々と光り輝く電球を見上げ、<なんと明るいんだろう。どうやって電気はできるのだろうか…>と、思いにふけったものだ」(『ソニーを創った男・井深大』小林峻一著 WAC p.29)

電気がきたのは、「電気が引けた後、私は毎晩のように祖父母や母が雑談する居間に行っては、下から煌々と光り輝く電球を見上げ」とあるので、井深一家が間借りしていた祖父の官舎だったことがわかります(祖父の井深基は当時、愛知県の郡長)。この強烈な記憶と「電気」への関心は、その少し前に逝去した「電気技師」だった父と祖父母の間でもおおいに話題になっていたにちがいありません(ちなみに父・井深甫はつねに何事かを考えている面持ちで、でなければ静かに本を読んでいる様なひとだった。体があまり丈夫でなく大人しく真面目な人柄だったという)
また、母はなにかにつけて大に対し、父が優れた能力をもった「技術者」だったことをことあるごとに繰り返し語っていたといいます。父亡き後、幼少の大の「心の樹」は、母を介して「技術者」という父の存在を絶えず感受してきたといえます。そしてこの「電気」への関心は、3年後に決定的なものになっていきます(大6歳)。それは東京・上野公園全域で催された国をあげての一大イベント「東京大正博覧会」でした(大正3年ー1914年開催。入場者総数745万人)
▶(2)に続く
参照書籍:『ソニー創業者・井深大の人生を開く生き方』上之郷利昭著 三笠書房/『ソニーを創った男・井深大』小林峻一著 WAC/『井深大ー企業家の思想』鹿嶋海馬著 三一書房/『世界のソニーを創った井深大 発想の原点』輪辻潔・森野リンゴ 共編著 三心堂出版社/『私の履歴書』No.18 日本経済新聞社

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