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あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

メッシ(2):重要だった祖母の存在

 


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両親の祖先はイタリア系です(スペイン系も一部あり)。もともとメッシ家はイタリア中部のマルケ州にあるアドリア海沿岸の町ポルト・レカナーティの出でした。

19世紀の終わりにアメリカ大陸へ大勢の者たちと一緒に3等線室に乗り込んでやってきたのです。母セリアの実家クッチッティーニ家もまたイタリア出で、アルゼンチンの広大なパンパの土地へ入植、首都ブエノスアイレスから300キロ程離れたサンタフェ州最大の都市ロサリオ(人口100万人)に居を定めていきます。

メッシが生まれた総合病院はイタリア系移民に対する医療を目的に開業された病院でした。


その両親と一族の一番の関心事は、サッカーでした。1978年、両親はその結婚式の翌日に駆けつけたのは、地元ロサリオで開催されていたワールドカップの「アルゼンチン対ブラジル戦」でした。

 

 

アルゼンチンはそのワールドカップで優勝、ワールドカップ初優勝を果たします(当時、アルゼンチンは、死者・行方不明者あわせて3万人をこえたといわれる軍事独裁政権下だった)。

さらにその4年後のワールドカップ・メキシコ大会(1982年)では、フォークランド紛争の相手国イングランドを、マラドーナのあの「神の手」ゴールと、伝説の「5人抜き」ゴールで準々決勝で撃破。

2度目のワールドカップ優勝。マラドーナが英雄となった1年後にリオネル・メッシ(愛称リオ;以降リオと表記する場合もあり)は三男として生まれます。


1歳の誕生日に、サッカーのユニフォームをサッカー好きの祖父からプレゼントされかかります。周りはそんなサッカー狂ばかりでしたが、意外にもメッシ3歳の頃夢中になった遊びは、人形遊びとビー玉遊びでした。サッカーボールを両親からプレゼントされたのは4歳の誕生日でした。4歳の時のことです。

 

 

まだ小さなメッシは家族の者たちを驚かせます。父と兄2人が近所の道上でサッカーをしていると、小さなリオが加わってきた。リオはボールの扱い方を知っていたようにボールを巧みに蹴りだしたというのです。

 

上の兄2人がともにバビーフットボール(アルゼンチンの子供に普及されておるミニサッカー。兄弟全員週2度通っていた)をやっていてしかも相当優秀なプレイをしていたことが小さなリオにどれほどの刺激を与えたことでしょう。一番上の兄ロドリーゴはスピードとパワーのあるセンターフォワード、次男マティーアスはディフェンダーでした。

そして子供たちをサッカーの練習に連れて行ってくれるのは祖母で、メッシが10歳の時に亡くなっていますが、メッシはこの祖母がすごく重要な存在だったようです。

 

後のインタビューでも、一番の「思い出」はお祖母ちゃんに初めてサッカーをしに連れて行ってもらったこと、また悲しかったことはお祖母ちゃんが亡くなった時、と語っています。両親にサッカーのスパイクを買ってあげるように説得したのが祖母だったのです。

 


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両親だけでなく、上の兄2人、そして祖父と祖母、メッシ少年は、こうしたサッカー好きの「家庭環境」のなかで育ったのでした。すでに5歳頃にはボール扱いが巧みで、すでにボールが足に吸い付くようにドリブルができたといいます。ボールを放さないようになっていました。

いつも家の玄関ドアにボールを蹴って当て近所からよく苦情がでていたといいます。ところがメッシ少年は、兄たちと違い、とても無口で内気な性格でした。いつも祖母の傍らに居る大人しい真面目な子だったといいます。


面白いことに、とくに団体スポーツのプレイヤーは、最近は外向的で陽気でリーダーシップがある気質と性格をもつ子が向いているように語られる傾向があるようですが、世界のスーパースター、メッシの例をみるまでもなく、子供の頃、無口で内気な性格であっても、そのスポーツをおこなうにあたってマイナスになるということなどないのです。

そんな内気な弱々しいメッシ少年でしたが、誰もが気づくことがあったといいます。それは「強い意志」をもった子だったということです。

 

 


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