マイケル・ジャクソン(2):母と曾祖父の美声を受け継ぐ
きつく低賃金の仕事をしていた父は、「音楽」;ショービジネスに乗り出した
弟たちとバンド「ザ・ファルコンズ」を結成。家での練習を見ていた子供たちジョーが北部のイースト・シカゴにまで来たのは、仕事ではなく父サミュエルの女癖のせいでした。長男ジョーだけを連れてオークランドに移り住んでいたサミュエルは、3度目の結婚をし、厄介者になったのを感じたジョーはイースト・シカゴに移り暮らしていた母と弟妹たちの許へひとり向ったのでした(その時期、母の実家がイースト・シカゴにあった)。
そしてハイスクール2年の時、学校を中退、ゴールデン・グローブスのボクサーになったのです。高校を中退してボクサーになったということは、自身の内から湧き上がるエネルギーの放出と現状を打破していこうとする強い意志のあらわれです。
製鉄場で埋没していたジョーが、好きだった「音楽」に乗り出そうとした企ても、ボクサーになった時のように、潜行する”何か”への訴えの答えでした。
60年代に入ると製鉄の町は衰退しはじめています。ジョーは何度も首切り(レイオフ)にあい、溶接工の仕事に就いたり、ジャガイモの収穫の仕事をしたり、再び製鉄の仕事をみつけたりしていたといいます。ジャガイモの収穫の仕事をしていた時は、家族の食卓はいつもジャガイモ料理ばかりになったといいます。
そんな苦難に甘んじていた元ボクサーのジョーが、「音楽」という別のリングに上がろうとしたのです。かつてリングの上でスポットライトを浴びたように、新たなリングの「ステージ」でスポットライトを浴びたかったのです。
ジョーは弟ルーサーを呼び込み、リズム&ブルースのバンド「ザ・ファルコンズ」を結成しました。地元やシカゴのクラブやバーやカレッジでも演奏したため、「ザ・ファルコンズ」はジャクソン一家にも僅かながら臨時収入になりました。
リハーサルがジャクソン家のリビングでおこなわれたので、年長の兄弟ジャッキー、ティト、ジャーメインは夢中になって父たちの演奏に見入っていたといいます(とくにティトは学校でサックスを習っていて音楽的感性も高く、後に父ジョーは音楽的才能を継ぐ者としてティトに目をかけていた。またマイケルは年齢的に「ザ・ファルコンズ」のことは覚えていない)。
が、「ザ・ファルコンズ」は、ショービジネスの世界でジョーが目論んだようにはうまくいかず、結局、解散してしまいます。ジョーはギターをベッドルームの押し入れに隠すように押し込み、以降子供たちの前でギターを演奏しようとはしませんでした。
子供たちにギターに指一本触れさせることなく、また子供たちも父を怖れ、ギターに触れようとはしませんでした。ある日、ジャッキーとティト、ジャーメインが母がキッチン仕事をしている間に、こっそりとギターを取り出し、ラジオのボリュームを上げてギターの音がわからないように演奏しだしたのです。
その頃、マイケルも母に喋らないことを条件に彼等の演奏を見ることを許されます。が、母は気づいてしまいます。最初は怒った母でしたが、治安の良くない戸外でワルな少年たちに誘い込まれるより、子供たちが仲良く部屋で過ごす方がよいだろうと判断し、ジョーに内緒にするからギターを大切に扱うようにはからってくれたのです(自伝『ムーンウォーク』より)。
この辺りの事情は、父ジョーが子供たちが同年代の子たちと家の外で会ったり、遊んだりするのを絶対許してもらえなかった、同世代の子たちと一緒に遊べたのは学校だけだったと語るジャッキー(上から2番目)の言葉を載せている『マイケル・ジャクソンの真実』とは少し異なっています。
しかし同著には、鉄鋼の町ゲーリーが衰退しだし、治安がさらに悪化し物騒になり、ストリートにはワルな連中が増え、ジョーもキャサリンも子供たちがいつ何時巻き込まれないかいつも心配していたという記述もあるので、親の心配性と子供たちの外で遊びたいという気持ちが裏腹だったことがわかります。
どうやら子供たちを戸外になるべく出させないようにしていたのは、『聖書』の教条的な文句や厳しい躾から同世代の子供たちと接触させたくなかったため、というのではないようです(まま伝記にはこうした記述があるが、実際にワルな連中に感染させたくなかった思いと、ジョーが父から受け継いだ子供たちに対する気質的な厳格さが相乗して結果そうなったようです)。
母キャサリンはジョーが仕事中に、こっそりそのギターを取り出し、リビングルームに子供たちを集め、喜ぶ子供たちのために弾き、一緒に歌いだしたのです。リズム&ブルースではなく、キャサリンが好きなカントリー&ウェスタンの曲でした。もともとジャクソン家には「音楽」がいつも満ち溢れていたので、子供たちは大喜びでした。
マイケルの声は、母、そして母方の曾祖父の美声を継いだものだった
ギターなど「楽器」を弾けたように、父ジョーだけでなく母もまた大の音楽好きで、ギター以上にクラリネットやピアノを巧みに弾きました。しかもジョーよりもうんと前にバンドに属していたのです。
キャサリンは姉妹で教会のジュニア・バンド、さらには高校のオーケストラに所属し、聖歌隊のメンバーでした。「音楽」とのつながりは、おそらく父ジョーよりも長く、しかもキャサリンの家系数世代にわたっていたのです。マイケルは後に語っています。「自分の声は、母から受け継いでいる」と。そして自身も美声をもっていた母もまた思っていました。「やはり血なんだ」と。
それは以前に、曾祖父ブラウン・スクリュースが素晴らしい「美声」の持ち主だったことを聞いた時もまた感じたことだったのです。曾祖父ブラウンの声は、他の誰よりも朗々と響き、教会の建物を通り抜け、教会のある渓谷中に木霊(こだま)したといいます。
曾祖父ブラウンは、南部アラバマ州の綿花の小作農でした(姓のスクリュースは、奴隷として仕えていたスクリュース家の名をつけたもの)。ブラウンは毎週日曜日にラッセル郡の教会に集い、賛美歌を歌っていたのです。
その美声は一帯に知れ渡っていたそうです。祖父もまた綿花の小作農として働き、キャサリンの父となるプリンス・スクリュース(マイケスの母方の祖父)もまた綿花の小作農でしたが、セミノウル鉄道でも働くようになっていました。3世代にわたってずっとアラバマ州に暮らしていました。
1930年にキャサリンが誕生します。が、生後18カ月の時、キャサリンはポリオ(小児麻痺)に罹っています。まだワクチンがなく、罹患した者は亡くなるか、脚が不自由になるかという時代だったといいます(キャサリンは脚が不自由に。その障害は生涯続く)。
そして父プリンスがなんとか定職を求めようとして移り住んだのが、マイケルらジャクソン兄弟が誕生したインディアナ州ゲーリーだったのです。キャサリンの父プリンスは、ジョー・ジャクソンと同様、USスチールの製鉄工場の仕事に就くのです(その後、まだ若かったプリンスはイリノイ・セントラル鉄道で特別客車のボーイの仕事をみつけている)。
ゲーリーに住み着いてわずか1年たらずで、キャサリンの両親は離婚します(キャサリンの母マーサは子供とゲーリーにとどまりまる)。キャサリンは16歳になるまで脚が不自由だったため松葉杖をつき、歯に矯正用ブレスもつけていたこともあり、よくからかわれたため引っ込み思案になってしまったといいます。
入退院を繰り返えしながら学校に通いましたが結局、高校は卒業できませんでした(大人になってから高校資格取得クラスを受講し卒業証書を得ている。また脚の不自由さは大人になってからも残ることに)。
学校に良い思い出のない母。「音楽」だけが楽しみだった母
学校ではほとんど良い思い出もないキャサリンにとって、当時「音楽」だけが楽しみだったようです。妹ハティと、ラジオのカントリー&ウェスタン番組を聞くのが唯一の楽しみだったといいます(ちなみにカントリー音楽は、キャサリンの家族が代々暮らしていた米国南部で発祥した音楽で、ヨーロッパの民謡やケルトの音楽に南部の教会の霊歌のゴスペルや賛美歌が混じり合って生み出されたものです。
カントリー&ウェスタンと「ウェスタン」がつくことがあるのは、後にハリウッド映画やブロードウェイ・ミュージカルの影響で、カントリー・ミュージシャンが当時人気を博していた西部劇風の小道具や演出;カウボーイハットやブーツを取り入れたためでした)。
キャサリン姉妹が好きだったカントリー&ウェスタン音楽が、白人ミュージシャンの奏でる音楽だったことは、母親っ子だったマイケルが、”白人”へのオブセッションを持ち続けただけでなく、その音楽も、黒人と白人のサウンドを”融合”したものだったことを考えれば、すでにその源流の一筋が母の「心の樹」に宿っていたことに気づかされます。
キャサリンはハンク・ウィリアムズやアーネスト・タップスのカントリーミュージックの熱狂的ファンで、幼子マイケルを腕の中に抱いてよく歌ったのもまた白人ミュージシャンのジミー・デイビスとチェールズ・ミッチェルが歌った「ユー・アー・マイ・サンシャイン」(1940年公開の映画「Take Me Back to Oklahoma」の挿入歌)や「コットン・フィールズ」だったのです。
学校にも充分に通えず引っ込み思案だったキャサリンが、そんな大好きなカントリー・ミュージックに酔いしれるようになったとき、うっすらとあった女優への夢や憧れは、歌手になる夢へと変じていったのです(キャサリンはシアーズでパートタイムをしていた)。そしてその夢は別のかたちをなして芽吹いていくのです。自身と曾祖父の声が継がれて。
・参照書籍『ムーンウォーク;マイケル・ジャクソン自伝』河出書房新社/『マイケル・ジャクソン・レジェンド』(チャス・ニューキー=バーデン著 AC Books/『マイケル・ジャクソンの思い出』坂崎ニーナ・眞由美著 ポプラ社/『マイケル・ジャクソン;孤独なピーター・パン』(マーク・ビゴ著 新書館)/『マイケル・ジャクソンの真実』J.ランディ・タラボレッリ著 音楽之友社)/『マイケル・ジャクソン The King of POP 1958-2009」青志社