伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

マイケル・ジャクソン(1):父と祖父は厳格な気質だった

マイケルの声は、母、そして母方の曾祖父の美声を継いだもの。USスチールの製鉄所に職を求め北上した両親の家族。祖父の厳格な気質を継いだ父ジョー

 


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はじめに:

This is it  これだ!」と叫ぶまで、無我夢中になって「完璧」さをめざすわずか5歳からステージに立ち、兄弟で結成されたジャクソン5のリードボーカルとして子供時代から脚光を浴び、「キング・オブ・ポップ」として頂点にのぼりつめたマイケル・ジャクソン

とくに『スリラー』『Beat It』『ビリー・ジーン』などのミュージック映像は、音楽シーンを新しい次元を生み出し、史上最高のレコードセールスを叩き出しました。


あまりにも早熟だったマイケルでしたが、奇怪で不可解な行動や噂が飛び交いだした大人になっては、真逆に心の中の「ピーター・パン」を、巨大な「ネバーランド」に遊ばせ、それがまた「変人マイケル;Wacko Michael」のイメージを増幅させました。

幾冊もの伝記やドキュメンタリー映像にくわえ、自伝『ムーンウォーク』(1988年刊 30歳の時)も出版されるなか、今では多くの秘密も露呈されることになっています(情報が飛び交い余計見えにくくなったものも多い)。

 


自伝『ムーンウォーク』から伝わってくるのは、「This is it!これだ!」と叫び、徹底的に納得するまで、無我夢中になって「パフォーマンス」と「クリエーション」を永遠に繰り返すマイケルの姿です。その「完璧」さは、ミケランジェロのシスティナ礼拝堂の天井壁画のように「完璧」なものでなければならないんだと、マイケルは生前語っています。

 

後のすべてにわたるヴィジュアル・センスの源流の一つは、幼い頃から「絵」を見ることが大好きだったことにあるようです。そして歌やダンス、パフォーマンスへの絶えざる追求の上に、「映画」(とくにホラーやSF、ファンタジーなどの映画 B級映画も含む)「写真」への関心と好奇心がそこに加わり、『スリラー』などのミュージックビデオ(マイケルはそれをショート・フィルムと呼んでいた)に合流していったのです。

 

 

またディズニーランドのアトラクション「キャプテンEO」の製作に参加した時には、ウォルト・ディズニーの伝記本を何冊も読んでいたり、玩具やゲーム、コミック類への熱中だけでなく、興味が惹かれるものに関する読書もつねにかかさなかったようです(日本公演終え帰国後、古代日本が中国と陸続きになっていたことを、おそらく本を通して知って驚き、知人に電話で確認している)。

 

さてマイケル・ジャクソンの「マインド・ツリー(心の樹)」は、ジャクソン・ファミリー抜きに存在することはありません。ジャクソン・ファミリーは、まるで一つの”惑星”のようでした。その”惑星”が、間違いなくマイケルの”土壌”になっていますが、その独特の”美声”は、母方の祖父から星を継いできたといわれています。

ムーンウォーク」の原型はすでにこの世に存在していましたが、研ぎすまされた感性でそれを吸収したマイケルが、”アレンジ”しながらつくりだしていったものでした。

それではまず、ジャクソン・ファミリーという一つの”惑星”に着陸してみましょう。そこはシカゴの東部、ミシガン湖に面した鉄鋼都市、アフリカ系アメリカ人の割合が全米で最も多く、犯罪発生率が全米でも最も高い場所の一つに数えられた白煙で煤けた土地です。

大人になったマイケルの歩幅で、玄関を入って5歩も歩けば通り抜けてしまう(マイケルの言葉)小さな「家」、それがマイケルの”惑星”でした(まさにムーン・ウォークすればたちどころに外の空へと抜けでてしまうほどの小さな家だった)。

 

南部から北上した両親のファミリー、

栄枯盛衰の人工鉄鋼都市に生まれる

 

マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson)は、1958年8月29日、ミシガン湖に面したインディアナ州の製鉄の町ゲーリー(Gary ゲイリーとも)に生まれています。シカゴのダウンタウンから南東に40キロ程で、シカゴ・メトロポリタン・エリアに属し、「Magic City of Steel 」とか「City in Motion」をニックネームにするゲーリー(人口10万人程)は、つぎの5点で全米にもよく知られる町となっているようです。

 


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まず最初に圧倒的な「黒人の町」(人口の84パーセント余)であること、そして全米で最も早く黒人市長が誕生した町であること(1967年)、USスチールの巨大製鉄工場や煙突が林立していること、その凋落、そしてジャクソン5やマイケル・ジャクソンが誕生した町であること(全米ツアーを故郷ゲーリーからスタートしたことがある)。

そして"デンジャラス”極まりない町、ずっと高い犯罪率です。2000年に入ってから犯罪率が2年連続で全米トップだったこともある程です(年間の殺人は70人余で全米の他の地方都市の8倍を超える)。

 


じつは製鉄の町ゲーリーの急激な隆盛と衰退が、「ジャクソン・ファミリー」を生み出す重要な背景となっているのです。なぜゲーリーが全米にも聞こえる「黒人の町」になったか。それは巨大鉄鋼カンパニーのUSスチールがこの地に製鉄所を建設し、安い賃金で使える大量の労働者を必要としたからです。なんとUSスチールが製鉄所を設立する前は、ゲーリーという町は存在しなかったのです(ゲーリーという町名は当時のUSスチールの社長の名前です!)。


マイケル・ジャクソンの父方の先祖も、母方の先祖も、それぞれ南部のアーカンソー州アラバマ州に暮らしていました。そして奴隷解放後、各々の一家は職を求め南部から北部へと流れ、米国製鉄業が沸騰しはじめたイースト・シカゴに向ったのでした(実際の町名イースト・シカゴは、ゲーリーの西隣の町のこと)。

 


マイケルの父ジョゼフ・ウォルター・ジャクソン(通称ジョー)は、実際USスチールの関連会社インランド製鉄でクレーンの操縦士をし、マイケルの母キャサリンの父も同地で製鉄工場の仕事に就いています(後にイリノイ・セントラル鉄道で特別客車のボーイの仕事に就く)。


父ジョーは、子供たちを戸外で遊ばせないような祖父の厳格な気質を継いでいた


まずはマイケルの父方のジャルソン家を少し辿ってみます。

よく知られるマイケルの父ジョーの鉄拳制裁をいとわないその厳格な気質は、じつはジョーが父サミュエル・ジャクソン(マイケルの祖父)から受け継いでしまったものだった気質そのものだっただけでなく、父ジョーがマイケルだけでなく兄弟姉妹全員を同年代の子たちと家の外で会ったり、遊んだりするのを許さなかったりしたのは、祖父サミュエルが息子のジョーら子供たち(ジョーは5人兄弟の長男)にしていたことだったのです。

 

子供たちを口喧しく躾けた祖父サミュエル・ジャクソンも父ジョーも、自身の恋愛面にはゆるく、高校教師だった祖父サミュエルの妻は教え子クリスタルでしたし、ジョーも再婚で、キャサリンと結婚してからも浮気心が静まることはなかったようです(別の女性と一児をもうけている)。また繊細だったけれどもよそよそしく近寄りがたい性格だったこと、家族に滅多に愛情を見せなかったこと、など祖父と父は瓜二つなのです。


祖父サミュエルや父ジョーが、なぜ子供たちが家の外で友達と会うのを好まなかった(あるいは許さなかった)のか。それは「悪い奴とつき合うと、若者の性質が台無しになる」という『聖書』の言葉によっていたともいわれています。もともと南部は「バイブル・ベルト」と呼ばれる程、『聖書」はよく読まれていました。

 

 

しかし、女性関係だけは、祖父サミュエルや父ジョーだけでなく、キャサリンが以前属していたバプティスト派とルーター派の牧師も同じだったのです(キャサリンは牧師たちが外で女性たちと付き合っているところを目撃している。自身の家族の失敗から異性関係に潔癖性だったキャサリンは、さらに厳格な「エホバの証人」に向うことに。

エホバの証人」は白人中心だったが、精神的な行き場が失われた低所得者層の黒人にも強くアピールすることとなり、かなり多くの黒人たちが入信している)。

 

マイケル・ジャクソン(2)へ続く:


・参照書籍『ムーンウォーク;マイケル・ジャクソン自伝』河出書房新社/『マイケル・ジャクソン・レジェンド』(チャス・ニューキー=バーデン著 AC Books/『マイケル・ジャクソンの思い出』坂崎ニーナ・眞由美著 ポプラ社/『マイケル・ジャクソン;孤独なピーター・パン』(マーク・ビゴ著 新書館)/『マイケル・ジャクソンの真実』J.ランディ・タラボレッリ著 音楽之友社)/『マイケル・ジャクソン The King of POP 1958-2009」青志社