伝記ステーション   Art Bird Books

あの「夢」はどこからやって来たのだろう?

2011-01-01から1年間の記事一覧

セザンヌ:「近代絵画の父」の源流へ(2)

感受性が強く、臆病ではにかみや、性格が弱かったが、時にわけもなく怒り出す、烈しい気質を秘めた少年だった。得意だった絵は学校では評価されず。エミール・ゾラらと「三人組」と呼ばれ、詩を読みながらプロヴァンスを散策する日々。パリでは落選 ▶(1)…

 セザンヌ:「近代絵画の父」の源流へ(1)

セザンヌはなぜ「近代絵画の父」と呼ばれるようになったのか? セザンヌがぶちあたった困難とは。「模写」から個人の「感覚」へのジャンプ。一般的な解説がセザンヌの生涯をまるで面白みのないものに。セザンヌ少年を生んだプロヴァンスの色彩と光、そしてサ…

小学校時代からはじまった父の折檻。ブコウスキー一族に流れていたアルコールの血。高校生になると酒場へ潜りこむ。高校卒業時に読んだ「自伝的小説」を書くジョン・ファンテが神様に。放浪の旅の間中、肉体労働をしながら短篇を書き出版社に送りだす

▶(1)からの続き:ブコウスキーは自伝的作品『くそったれ! 少年時代』の中やインタビューで、自身の子供時代をふりかえり、「喜びとは無縁で怯(おび)えてばかりだった」と語っています。何に対して怯えていたかといえば、父と母の無関心でした。おそら…

長編小説のほとんどは自伝的小説。51歳の時に出版した処女長編『ポスト・オフィス』は15年間に及ぶ郵便局勤めを描いたもの。少年時代はまさに「くそったれ!」の連続。13歳の時、超悪性のデキモノが上半身と顔中にできてしまい寝室に閉じこもる

ブコウスキー伝—飲んで書いて愛して▶小説『町でいちばんの美女』『くそったれ! 少年時代』『プルプ』『ありきたりの狂気の物語』『ポスト・オフィス』『パンク、ハリウッドを行く』……。人生半ばをとうに過ぎてからダーティー・リアリズムのスター作家となっ…

中学3年で強烈な初恋。ワル仲間から離れる。図書館で「ラジオ技術」の本を借り「アンプ」部品を買い自前で組み立てる。数学や技術に強かった少年矢沢。高校1年の時、キャバレーの社長から手渡されたD.カーネギーの『人を動かす』を10回以上繰り返し読み、ついでケネディの伝記本を読んでいた。

人を動かす 新装版 ▶(1)からの続き:少年矢沢が繰り返し10回以上も読んだ本、それがデール・カーネギーの『人を動かす』だった。本当か?(よく読めば実際にそう書いてある)。実際、矢沢永吉はファンだけでなく、スタッフやグループ・ミュージシャン等、…

極度なおばあちゃん子だった訳。貧乏長屋のみじめな空気。屈辱に満ちた少年時代。小学6年から新聞配達とアルバイト人生。中2で出会ったエレキサウンド。ところが高校1年の時の将来の「夢」は板金屋だった。なぜ板金屋だったのか。

「音楽に出会って、スーパースターになると決めてからは、苦労が苦労じゃなくなった。土方やっても、フィルム運びやっても、つらくない。『そうだ。こういうふうに苦しいんだよな、最初のうちは。こういうことがあって、いろいろやって、最後にスーパースタ…

イサム・ノグチ(2):母レオニーは当時の「ニュー・ウーマン」

当時の「ニュー・ウーマン」だった母レオニー。茅ヶ崎に建てた小さな家の設計と「庭づくり」を少年イサムに任せる。指物師に弟子入りし大工道具を学ぶ。札幌モレエ沼公園の中核「遊び山」とは何だったのか www.youtube.comイサム・ノグチ(1)より: 27歳の…

イサム・ノグチ(1):自分は母の<想像力>の落とし子?

「自分は、母の<想像力>の落とし子なのかもしれない。米国人の母レオニーから与えられた日本伝統文化という”ミルク”。最後の大仕事、札幌モレエ沼公園に結実するまで半世紀にわたって「遊園地」を理想の国として構想しつづけた理由とは。世界に誇れる公園…

靴屋の息子だったシェーンベルグ。両親は音楽が好きで自らも演奏していた。少年時代に家にあった「モーツァルトの伝記」を読み、音楽へのめり込む。父が死去、実科中学校を中退。家計が逼迫し16歳で銀行員に。仕事に耐え難くなり「音楽家になる!」と叫んだ

偏愛するシェーンベルクの作品を演奏するグレン・グールドとメニューイン 「十二音技法」を生み出し<現代音楽の巨匠>と呼ばれるアルノルト・シェーンベルク。調性の破棄と不協和音を徹底的に解放した革新者シェーンベルクは、じつのところ「私は急進派の人…

出生と生い立ちのなかに「シャネル・モード」の原点と、「白・黒のシャネルの基本色」の秘密があった。騎兵ー馬ー乗馬用仕立て、「シャネル・スーツ」の発想の源。修道院の孤児たちが着用していた制服は黒のスカートが基本だった

ココ・シャネル 時代に挑戦した炎の女 (FIGARO BOOKS)(1)からのつづき▶エドモンド・シャルル=ルーが暴くことになったシャネル(シャネル・モード)の秘密とは何だったのでしょう。それはシャネル・モードの「基本色」と「シャネル・スーツ」の発想の<原…

サティ(3):「中世音楽」に魅了される

サティ6歳、母が病死。父の両親の許へ。祖父がサティの「音楽好き」に気づき宗教音楽の教師を養成する音楽学校に入れる。「グレゴリオ聖歌」と読書に夢中に、風変わりな詩人と出会う。22歳、「ジムノペディ」を作曲。その楽譜を出版したのは楽譜出版を事業…

サティ(1):ノルマンディー地方の船乗りの家系

ノルマンディー地方の船乗りの家系だったサティ一族。父は数カ国語を操るものの学校が大嫌いな「音楽マニア」だった。母はスコットランド出身、嫁姑問題勃発。「変わり者」の遺伝子は奇人変人の叔父から受け継いだとも。母方の大叔父もまた変人。サティは大…

ウィリアム・モリス(1):感性の源流は遊び場だった「エピングの森」

「モダン・デザインの父」W.モリスの感性の源流は、幼少期の遊び場だった「エピングの森」にあった。幾何学はクラス最低、歴史が好み。奇妙な手の癖。その森にあった古い小屋(その草木模様の飾り)がのちに手がける部屋の原型に www.youtube.com ウィリアム…

里親から離れパリの盲目の音楽家の許へ。シャンソンを書きボードレール、ドストエフスキーを読む。14歳半で回顧録を記しはじめ無賃乗車で感化院送りに。30歳頃、獄中でプルーストを「再発見」。長年の「観察者」が作品を書きだす

「私はとても早くから、14、15歳の年からすぐに、自分は浮浪者か泥棒にしかなれないだろう、と分かった。もちろん、無能な泥棒に、だが結局、泥棒にだ。社会における私の唯一の成功は、バスの車掌とか肉屋の見習いとかの領域だったのかもしれない…。このよう…

「わたしの人生はずっと幼年時代の続きだった」と語ったシャネル。カフェ・キャバレーで歌手をめざしていたシャネル。出生や生い立ちを秘匿し虚構の物語(伝説)を生み出した公式の伝記本。その回顧録で自身の気質や本心までも消すことはなかった。そしてシャネルの過去が暴かれる非公式の伝記本が出版された。

ココ・アヴァン・シャネル 上—愛とファッションの革命児 (ハヤカワ文庫 NF 350) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) 「わたしの人生はずっと幼年時代の続きだった。人間の運命が決まるのはまさにこの時期よ。その頃の夢が一生を左右する。何から何まで全部覚…

無性に学校嫌いだった少年マーラー。通信簿はクラス最低。しかし家では本を沢山集めてきた。女中たちのうたうボヘミア民謡や近所の兵営から聞こえる軍楽やラッパの音がマーラーの「耳」を育てる。両親の不和。幼少期、音楽は「夢の世界」への逃避でもあった。

ヴィスコンティ映画『ヴェニスに死す』。マーラー交響曲第5番アダージョが全面的に用いられてているだけでなく、マーラーへのオマージュから、トーマス・マンの原作にある主人公が、小説家から作曲家・指揮者へと変わっている マーラー—未来の同時代者▶作曲…

「遊び」や「いたずら」への情熱が「音楽」に切り替った3歳の出来事。「習う」ことへの強烈な好奇心は最愛の父に認めてもらいたい欲求と結びついた。「作曲職人」だった父への長年の不当な仕打ちへの見返しが、父と息子の気持ちの根底にあった

▶(1)からの続き:「作曲職人」となった父レオポルド・モーツァルトは、受難曲からオラトリオ、セレナードにトリオ、シンフォニー、劇場音楽に管楽器ソロの協奏曲、ディヴェルティメントなどなど、教会用であれ世俗のものであれ何でもこなしていったようで…

モーツァルト家は、機織り職人や石工職人、製本職人など代々「職人」の家系だった。父レオポルドは中学を中退、大学から退学処分をくらい「就活」。そして「作曲職人」の道へ

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この音楽史上最も有名な「神童」にして、無限の音楽の可能性が体現された奇蹟の音楽家は、何世紀にもわたって「天才」として呼ばれてきました。日本でも評論家・小林秀雄が「モーツァルト」についての一文を戦中…

児童養護施設の「遺棄窓口」から里親の許へ。育てられた家は「教会」と「学校」にはさまれていた。冒険物語の本など「学校図書館」の本をすべて読む、内気な心を明かさない成績優秀な「読書」好きな少年だった

「創造するとは、つねに幼年時代について語ることだ。それはつねに懐古的(ノスタルジー)なのだ。とにかく私の書くもの、それに現代の作品の大多数はそうだ。…13歳まで公立の小学校に行ったが…作家がどのようなものか、私はまだ知らなかった。世界を観察す…

米国の一般的中流家庭に生まれる。小学5、6年生の時、探検家ヴァスコ・ダ・ガマの「伝記」を読み、学校演劇を企てる。ハリウッド流<映画術>にない映画づくりは、20代の時、脚本家志望の延長に、6年間続けることになった「産業映画」の監督経験からだった

ロバート・アルトマンが監督として製作に加わった『ジェームズ・ディーン物語ーThe James Dean Story』(1957 32歳の時)ー事故の再現シーンはアルトマン本人が運転している 映画『M★A★S★ H』や『プレイヤー』『ショート・カッツ』(あの村上春樹氏訳のレイ…

 父はピアノ好きの牧師で弁護士。幼少期にあった「建築」との接点とは? 英国のウィリアム・モリス好きだった母が子供部屋に念入りに準備したもの。「交響曲は音の建物である」と語っていた父の存在。そして「自然」とのかかわり

「落水荘」は、帝国ホテル設計の依頼を受け、日本に滞在の折り、箱根山中の「自然」の懐に抱かれた別荘の佇まいからインスピレーションを受けていた米国の稀代の建築家フランク・ロイド・ライトについては、「建築」という専門性が高い職業のため、彼が手が…

(1):27歳から本格的に「画家」をまざしたゴッホ。16歳の時、叔父の画廊に勤めだす前の少年期にこそ、ゴッホの秘密を解く鍵がある。いつも独りで野に分け入り花や鳥、昆虫を観察し収集していた。「好奇心」のかたまりと母譲りの「意志」の強さが結びついて…

映画『夢』(監督:黒澤明)より 牧師の息子フィンセント(ヴィンセント)・ファン・ゴッホが、「画家」を本格的にめざしはじめたのは27歳の(1880年)頃と、今日画家やクリエーターをめざす人からすればかなり遅い方に感じられます。14歳年上のセザンヌは21…

イビチャ・オシム(2):オシムの「反権力」「反権威」を貫く姿勢、挑発的、反骨精神は、なんと母からきたものだった。旧ユーゴで母はスターリン批判し密告され、2日間牢獄に留め置かれた。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で生地ボスニアのサッカー場は死体置場に

「無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるのか? 大切なことはまずどういう選手がいるか把握すること。個性を活かすシステムでなければ意味がない。システムが人間の上に君臨することは許されないのだ。日本人は平均的な地位、中…

(1):旧ユーゴスラビア、ボスニア出身のクロアチア人とは、オシム氏のサッカー人生においてどんな意味、背景となっているのか? 大学での専攻は「数学」と「物理」。大学創立以来の「数学」の最優秀生徒だった。強靭な肉体と芸術的感性をもった父の遺伝子

掲載のYoutube2分後に現役時代のイビチャ・オシムの写真がでてきます 「そもそも監督と呼ばれることが嫌いだ。私の国では監督をトレーナーというが、もともとの意味は調教師だ.....だが、私は調教師ではない。あえていうならば『教師』だと思う。調教師と教…

「旅」「海」「旅館」「宿」を好んだ理由は少年期の記憶のなかにあった。父は大島の旅館の板前さんだった。つげ漫画の根っ子にあるもの。自閉症、赤面病、対人恐怖症が進行した10代

世捨て人的な孤独感漂うシュールな作風と、その底にこびりつくようなユーモア感で、日本漫画界に独自の表現と陰影を生み出したつげ義春。その作風にはつげ義春の自画像が喰い込むように映し込まれていました。”根強い”ファンがをもつ一方、つげ義春自身はま…

トルーマン・カポーティ(2):『冷血』の殺人犯の一人に入れ込んだ理由。14歳まであたかも同じ家に住んでいで、一方は裏口、一方は表玄関から出ていったようなものとカポーティは感じていた

映画『カポーティ』よる/一家殺人事件を取材し『冷血』を書き上げるカポーティ。他にカポーティのノンフィクション・ノベル『冷血』を映画化した映画『冷血』もある ▶(1)の続き:母方の親戚で小学校の教師キャリーが、隣人の盲目の元大尉のために新聞を…

(1):子供時代に焦点を合わせないとカポーティの人生のパズルはまったく組み合わない。両親の関係は破綻し4歳でアラバマ州の親類に預けられる

19歳の時の処女作『ミリアム』(1943年)がオー・ヘンリー賞を受賞して以降、アンファン・テリブル(恐るべき子供)としてその名を轟かしはじめたトルーマン・カポーティ。オードリー・ヘップバーン主演で映画化した『ティファニーで朝食を』、『遠い声・遠…

ロンドンの伝説のブティック「BIBA」を創業者したのは、ポーランド生まれのエルサレム育ちだった一人の女性だった。中東問題で暗殺された父。少女バーバラは人形遊びよりもお店ごっこをするのが大好きだった

「スウィンギング・ロンドン」時代の流行の発信地であり伝説のブティックとなった「BIBA」。創業者のバーバラ・フラニッキの名前を知らなくても60s、70sファッション好きな人なら、「BIBA」の名前を知らずに通ることはないでしょう。当時、青春を送った日本…

養父は機械工だった腕を活かした「レポマン」のはしりをしていたことも。ぶっきらぼうでありながら快活で誇り高い性格、物事にはポジティブに建設的な姿勢だった養父。10歳頃に「エレクトロニクス」に取り憑かれるようになったスティーブ少年

「コンピュータ」産業に革命を起こしたアップルからの追放後、「映画」産業で革命を起こし、さらにアップルでの第二ラウンド、「iTune」「iPod」で音楽ビジネスに革命を起こしアップルに再臨した共同創業者スティーブ・ジョブズ。そのタフな起業力とリーダー…

ビートの先駆者ジャック・ケルアックに刺激を与え、映画『荒野へ』のマッカンドレスを荒野へと駆らせた、あまりにスケールの大きなその生涯

地球を駆けぬけたカリフォルニア作家—写真版ジャック・ロンドンの生涯作家ジャック・ロンドンの名前は、犬のバックを主人公にした小説『荒野の呼び声』で日本でも名高く、同書が突出して知られすぎたため、作家ジャック・ロンドンの人物像が日本ではほとんど…